それは、何かの拍子に出た話題だった。



「え、ヒデさんって工藤新一と知り合いなのか?」
「知り合いってわけじゃないんだけど、以前お世話になったことがあるん
だ」


ビッグ大阪と東京スピリッツの合同練習の後、ロッカールームの前で赤木
と比護が話していると、ふとしたことから工藤新一の名前が出たのだった。

「比護君こそ、彼と知り合いなのか?」
「何年か前に、あいつが中学の時のサッカー部の試合を見てな。Jリーグ
に誘ってみたんだが……断られた」
「えっ、工藤君ってサッカーするんだ。その様子だと相当上手いんだ?」
「ああ、少なくともあれは中学生のレベルじゃなかったな」
「へぇ……あ、それならちょうどいいか」
「?」

思いついたように言った赤木に、比護が首を傾げる。

「来月試合あるだろう? それのチケットを彼にあげようと思ってるんだ。
まだ何もお礼できてないし」

来月、大阪でビッグ大阪と東京スピリッツが対戦する試合のことだ。

「それ、いいな……できたら俺もまた会いたいし」
「じゃあ、来れるようだったら知らせるよ」
「頼むな」

赤木が去っていくと、入れ違いに真田が声をかけてきた。

「あの、比護さん」
「貴大か」
「今の話、ちょっと聞こえてもうたんやけど、工藤新一って誰っすか」
「ああ、有名な高校生探偵だよ」
「高校生探偵?」

言われてみれば、何となく聞いたことがあるような気がする。
大阪の高校生探偵と言えば、他に思い当たる人物がいるのだが。

「と言っても、俺があいつに会ったのは、まだあいつが探偵として活躍し
始める前だったからな。あれだけサッカーが上手いなら当然プロになるつ
もりなんだと思ってたんだけどな」
「……Jリーグに誘ったって」
「ああ。惜しい奴を逃したよ」

いつになく他人を褒める比護に、真田は少し嫌な気分だった。
比護は基本的に自分にも他人にも厳しいタイプで、先日恋人同士になった
真田のことも、サッカーに関しては滅多に褒めない。恋人であると同時に
大事な後輩であるからこその厳しさだということはわかっているが、自分
の知らない人間、まして年下でアマチュアの人間を目の前でべた褒めされ
るのは、当然いい気がしない。

「貴大?」
「何でもないっすよ」

無口になった真田に首を傾げる鈍感な恋人を置いて、真田はさっさとロッ
カールームに戻っていった。




                ***






「新一ぃ〜〜〜、俺を置いて大阪に行っちゃうの?!」
「バーロー、先に俺を置いていくのはお前だろーが」




そろそろ夏休みの計画を立てようと考えていたところで(新一はほとんど
事件の予定だ、ちなみに)、新一に2枚のチケットが送られてきた。東京
スピリッツとビッグ大阪の試合、それも赤木選手本人からだ。

「新一、ヒデとチケット送ってもらうような仲だったの?」
「いや、そういうわけじゃねぇんだけど」

ずいぶん前に弟の誘拐事件の関係で助けたことはあったが、どうもそのお
礼をしていなかったのがずっと気にかかっていたらしい。
新一がサッカー好きとどこからか聞いて、これ幸いと試合のチケットを送
ってくれたようだ。

それなら、工藤新一のサッカー好きをもっと公言すれば、試合の解説席や
らイベントやら色々なサッカー関連の催しに招待されるんじゃないだろう
か……この手は以外と使えるかもしれない……いやいや、それだと自分を
狙う輩がサッカースタジアムに何か仕掛けてくるかもしれない……と、思
考に落ちていた新一は、快斗の奇声で一気に現実に引き戻された。

「あーーーー! 見てよこれ! 日付!」
「うっせぇ馬鹿。……8月2日? それがどうしたんだよ」
「俺……7月の終わりから1週間ツアー……」
「あー、そういやそうだったな」

まだ学生の身でありながら新進気鋭のマジシャンとして名を知られている
快斗は、夏休みを利用して地方ツアーをする予定だ。

ここで、冒頭の台詞に戻る。



「えぐ、えぐ……じゃあ新一、誰とその試合見に行くの……」
「そうだなー。大阪だし、服部……は駄目だ、8月入ったら和葉ちゃんと
旅行行くっつってたな」
「あの2人上手く行ってるんだ」
「ああ。いろいろ大変だったけどな……」
「あー……」

思い出して二人で遠い目をする。

「あ、ビッグ大阪っつったら比護選手いるよな。よし、灰原誘おう」
「そういえばファンだったよね。……何か意外だけど、哀ちゃんってああ
いうのがタイプなの?」

本人に聞かれたら何だか殺されそうなので、2人しかいないが一応声を潜
める。一応。

「いや、タイプっつーか……比護選手って、ノワールからビッグ大阪に移
籍しただろ?」
「ああ、そういうことか。何となくわかった」

それだけで察した快斗は、安心したようにほっと息を吐いた。

「哀ちゃんが一緒にいるんなら安心かな。楽しんできなよ」





                ***





試合の後、赤木に呼び出されて、新一と哀は選手控室へと向かっていた。

試合の直後だからか選手の行ききは多くて、関係者しか入れない場所を平
然と歩く青年と少女の奇妙な組み合わせに、ユニフォームを着た選手たち
が不思議そうな顔で注目していた。
そんな中に、自販機に向かっていた真田も含まれていて、やたら綺麗な顔
をした青年と、将来が有望そうな、明らかに血の繋がりのなさそうな少女
に、訝しげな視線を向けた。

すると、それまで周りの視線をまったく意に介していなかった二人が、真
田に目を向けた。そして目が合った瞬間、青年の方が一瞬だけ微笑んだ。

「っ」

それは男である真田ですら、少しドキッとしてしまいそうな微笑だった。


すれ違ったあと、新一と哀は小声で言葉を交わした。

「今の、真田選手よね」
「ああ。……あの事件の時の、英雄の一人だ」


「あ、工藤君!」

廊下の途中で、赤木に出くわした。

「呼び出したりしてごめんよ。どうしても直接お礼が言いたかったんだ」
「いえ、とんでもないです。僕の方こそ、チケット頂いて。ありがとうご
ざいました」
「改めて自己紹介させてくれ。俺は赤木英雄だ。東京スピリッツのFWをや
っている」
「僕は工藤新一。探偵です」
「灰原哀よ」
「哀ちゃん、か。もしかして、前にイベントに参加してくれた子かな?」

赤木が思い出したように言った。

「ええ、よく覚えてたわね」
「確か、めちゃくちゃ上手い男の子と一緒にいたよね」
「ええ。江戸川コナンのことね」

哀がちらりと新一を見る。

「はは……コナンは僕の親戚なんですよ」
「そうだったんだ……あ、そうだ。僕以外にも工藤君に会いたがってた人
がいるんだ。まだ時間大丈夫かな」
「ええ、構いませんけど……」
「ちょっと待っててな」

もしや依頼だろうかと思っていると、程なくして赤木が戻ってきた。
そしてその後ろにいる選手を見て、隣の気配が揺れた。

「工藤!」

まるで旧友のようなフレンドリーな笑顔を向けられて、少し戸惑う。つい
でに、名前を呼ばれた瞬間隣から送られてきた鋭い視線にも。

「比護選手?」

会ったのは一度きりで、それも何年も前の話だ。
まさか比護が自分のことを覚えていたとは思わなかった。

「久しぶりだなあ。俺のこと覚えてるか」
「ええ、もちろん」
「それじゃあ、俺はそろそろ。本当にありがとな、工藤君。また試合観に
きてくれよ」

赤木はそう言って爽やかに去っていった。

「比護さんこそ、俺のこと覚えててくれたんですね」
「そりゃあ、印象に残るプレーだったからな」
「そういえば、遠藤さんもお元気ですか?」
「え?」
「お兄さん、トレーナーなんですよね」
「……俺、言ったか?」
「まあ」

曖昧に笑った新一に、比護は苦笑した。そしてふと気がついたように哀を
見た。

「あれ、その子は……」
「灰原哀、です」

赤木を前にしていた時とは異なる態度に、新一は噴き出しそうになって慌
てて堪えた。うっかり噴き出してしまったら後で何をされるかわからない。
代わりに、哀の背中を優しく押して一歩前に出させた。

「比護さん、よかったらこいつにサインをお願いできませんか? 比護さ
んのファンなんです」
「ちょっと工藤君?!」
「もちろんいいよ。俺のファンにこんな素敵な女の子がいて嬉しいよ」

どこか自分の恋人に似た言いまわしに、比護の女たらしを疑った新一だっ
た。

「ところで、どうして俺に……?」

何か事件に巻き込まれているのだろうかと俄かに瞳に鋭さを煌めかせた新
一に、比護は苦笑して首を振った。

「いや、実はただ会いたかっただけなんだ。この間のイベントで、君によ
く似たプレイスタイルの男の子を見かけて、聞いてみたら君にサッカーを
教えてもらったって言うからさ。俺はまだ諦めてないんだぜ、あの話」
「え……まさか、あのお誘いですか? でも俺、サッカーは中学で止めち
ゃいましたし、探偵ですから」
「わかってるよ」

比護は軽く笑った。

「でも、それを抜きにしても、工藤とは一度一緒にプレーしたいと思って
たんだ。せっかく大阪に来てるんだし、よかったら練習に参加してみない
か? 明日は自主練だから、俺から話通しとけば大丈夫だろうしな」
「えっ、いいんですかっ?」
「ああ。俺からお願いしてるんだ」

プロの練習に参加させてもらえるなんて、願ってもないチャンスだ。
今はただのサッカー少年の顔で、新一は、それは輝くような満面の笑みを
浮かべた。

「よかったわね、工藤君。……ところで」

不意に哀が後ろを振り返って、角の向こうに鋭い視線を投げかけた。

「いい加減出てきたらどう? 盗み聞きとは感心しないわね」

すると、壁の影から明るい色の癖っ毛が覗いた。

「貴大?!」

現れた人物に、比護が驚いたように瞠目する。

「お前、そんなところで何やってたんだ」
「別に……」

不機嫌そうに目を合わせようとしない真田に、比護はため息をつくと新一
に向き直った。

「悪いな。こいつは真田貴大。チームメイトだ」
「知ってますよ。俺は工藤新一、探偵です。この子は灰原哀」
「へぇ、アンタが例の高校生探偵っちゅうやつか。なんやすかした顔しと
んな」
「貴大! 工藤に何てこと言うんだ」

諌める比護から顔を背けて、拗ねたように口を尖らせる真田。

何だか既視感を覚えた哀は、呆れたようにため息を吐いた。
こんなところにもバカップルが一組。

「ごめんな工藤。いつもはもっといい奴なんだけどな」
「いえ、気にしてませんから」

苦笑する新一の頭をぽん、と一撫でして明日の待ち合わせ場所と時間を告
げ、携帯の番号を渡すと、比護は真田を引っ張ってロッカールームへと退
散していった。

「なーんか真田さんって、憎めないんだよなあ」

それは彼があなたの恋人に少し似ているからよ、という言葉は呑み込んだ。




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