十四日目の午後。


推理小説を読む新一と、その隣にぴったりと寄り添うように座る快斗。
リビングには僅かな緊張を孕んだ沈黙が落ちていた。


「……哀ちゃんから、連絡来ないな」

ぼんやりと空を見ていた快斗が、ぽつりと零す。

新一は本を閉じた。

「……灰原は、できないことは口にしねぇ。知ってんだろ?」
「うん……」

快斗は浮かない顔で俯く。
新一はため息を吐くと、快斗の両脇に手を差し込み、また一周り小さ
くなった快斗の身体を持ち上げた。

「わっ」

よっこらせ、と快斗を膝の上に座らせる。

「ははっ、オメーにこんなことできんのも、今日が最初で最後だな」
「新一ぃ」

唇を尖らす快斗の頭をわしゃわしゃと撫でくり回して、新一は至近距
離で快斗の顔を覗き込んだ。揺れる大きな瞳にぴたりと視線を合わせ
る。

「なーに不安がってんだよ。言ってみ?」
「……哀ちゃんのこと、信じてないわけじゃないけど」
「うん」
「もし、解毒薬が間に合わなかったら。俺、このままどんどん小さく
なって、消えちゃうのかなって……」

新一は、自分で乱した快斗の髪を直すように、優しい手つきで快斗を
撫でた。

「たとえ、オメーが何もわからない赤ん坊になっちまったとしても、
俺はオメーの傍にいる」
「…………」
「快斗? かーいと」

再び俯いた快斗に呼びかける。

その時、ぽたりと、雫が新一の膝に落ちた。

「快斗……?」

新一は驚いたようにジーンズにできた小さな染みを凝視した。

「大丈夫か?」
「………い」
「え? 何て――」
「……嬉しい。新一が、そこまで俺を想ってくれて」
「何だ、そんなこと……あたり前だバーロ」

顔を上げた快斗の目には水の膜が張っていて、くしゃりと笑うと縁か
ら涙がこぼれ落ちた。

「涙腺弱くなってんじゃねーの?」
「そうみたいだ……」

快斗は頬を擦ると、抱きつくように、新一の胸に顔を埋めた。

「まったく……ホント甘えたがりだな、オメーは」

呆れたように言うも、顔は幸せそうに緩んでいた。


そしてその時、玄関のチャイムが鳴った。






「待たせたわね。条件つきではあるけど、一応解毒薬は無事できたわ
よ……それにしても」

手ぶらでやってきた哀はそう言うと、いまだ新一の膝の上に座ってい
る快斗に視線をやった。

「ずいぶん満喫してるみたいじゃない、黒羽君?」
「えへへー。まあね」

相好を崩す快斗に、つい先ほどまでの涙の痕跡は見当たらない。

目の下に濃い隈を作った哀は若干の苛立ちを隠さず眉を寄せた。

「それで、条件って何だ?」

不穏な空気に気づいたのか、新一が話を軌道修正する。

「……ちょっと時間がなくて調整がきかなかったの。だから、薬を服
用する際の黒羽君の身体の状態に条件があるのよ」
「どんな?」
「黒羽君の体温が38度以上あること」

新一と快斗は顔を見合わせた。

「え……つまり、風邪をひけと……?」
「ええ。解毒作用の効果を十分に引き出すにはそれが一番手っ取り早
いの。以前工藤君が飲んだ解毒薬の完成版は、平熱でも効果がでるよ
うに調整する時間があったんだけど」

今回はそうも言ってられないみたいだから、と言いながら、哀は快斗
を上から下までさっと見る。専門家の目で観察しているのだ。
一応毎日快斗の状態の経過を診に来てはいたが、最終確認しているの
だろう。

「でも、いきなり風邪ひけって言われても……」

もともと身体はかなり丈夫な方だ。
二週間とちょっと前に風邪をひいたのだって、本人がすぐに熱に気づ
けないほどに珍しいことだったのだ。

四月の夜の海を泳いで風邪をひいたことはあるが、今は夏。
氷水にでも浸かるか?と快斗が半ば本気で考えたところで、新一が何
か思い出したように手を打った。

「そうだ、あの薬があったじゃねーか」
「何のこと?」
「ほら、前に京都に行って盗賊団とやり合った時に飲んだ……」

すると、哀も思い出したように相槌を打った。

「ああ、あれね。博士と開発した、風邪の症状が出る薬」
「何でそんなもの開発したの?」
「仮病を使いたい時用だそうよ」
「いや、熱が出る時点でもはや仮病じゃないんじゃ……」

快斗が何とも微妙そうに口元を引き攣らせたが、とりあえず氷水に浸
かるという苦行はせずに済みそうだと安堵する。

「問題は、解毒薬を服用して元に戻っても風邪の症状は治らないって
ことね」
「うへぇ」
「それくらい我慢しなさい」
「はい……」
「まあ、それは俺が看病してやっから心配すんな」
「新一v」

苦笑した新一に、快斗は満面の笑みで抱きついた。



              




















次ほんのちょっとだけエピローグあります。



2013/07/27