朝から大騒ぎしてやってきた隣家の困った二人組を、哀は睨むように
見やった。目の下の隈がその視線を余計に剣呑に見せる。
昨晩研究が捗ってつい貫徹した直後で、寝不足がイライラを助長する
のを、濃いコーヒーで何とか抑えながら哀は口を開いた。
 
「常々どこか抜けている人だとは思っていたけれど……」
 
はぁ、とこれ見よがしに溜息を吐くと、新一が抗議の声を上げた。
 
「オメーがあんなもんを『風邪薬』なんてラベルの瓶に入れておくか
らだろ?!」
「しかたないじゃない。予備の瓶を切らしていて、適当に空の瓶に入
れたのよ」
 
この阿笠邸では、この類のことに関してはいつ何時たりとも油断なら
ない。
研究室の冷蔵庫が故障中だからと、調合中の薬品の入った試験管やら
微生物を培養中のシャーレやらをキッチンの冷蔵庫に入れていたこと
もあった。
麦茶を飲もうと冷蔵庫を開けたら、麦茶のピッチャーの隣に何だかよ
くわからない液体の入ったフラスコを発見した時は、クーラーもつけ
ていないのに背筋がひやりとしたものだ。
 
阿笠も科学者だからなのか、単に哀に甘いのか、そのあたりのことに
ついては寛容だ。
 
「聞いた限りでは、少しずつ若返っているようね」
「ああ。最初はちょっとあれ?ってくらいだった」
「風邪が治ったのはこの薬の効果のせいでもあるわね、きっと」
「とにかく診てくれ」
 
哀の検診が始まって、血液検査はもちろん、細胞の採取や身体測定、
血圧・脈拍・体温、心電図など、ありとあらゆる検査を行った。
 
「確かに年齢が退行――若返ってるようね」
 
今までの快斗のカルテと比較しながら哀が言う。
 
「まだ若返り続けるのかな?」
「ええ、おそらく」
「解毒剤はないのか?」
 
新一が四年前に服用した解毒薬は、まだ保管してあるはずだ。
だが哀は難しい顔をした。
 
「今回黒羽君が服用したのは、私たちが服用したアポトキシン4869と
は別物なのよ。あれに手を加えて年齢退行時の苦痛を和らげられない
かと興味本位で作ってみたものなの。人間に服用させるつもりはなか
ったから、解毒薬は作ってないわ」
「そんな……でも作れるよな、オメーなら」
「そうね。ちょっと時間はかかるかもしれないけれど」
「どれくらい?」
 
哀は肩を竦めた。
 
「何にせよDNAの分析に時間がかかるし、黒羽君用に調整もしなく
ちゃだから……二週間ちょうだい」
「二週間……」
 
新一と快斗はほっと息を吐いた。
二週間くらいなら、大した期間ではない。
幸い、どうしても外せない用事もない。
 
「小さいショーがいくつかあるけど、今の状態なら問題なさそうだ」
 
 
……と言った翌々日の朝。
 
ガシャン、という大きな音で、新一は目が覚めた。その緊急性を帯び
た音に探偵の脳は瞬時に覚醒し、部屋を飛び出す。
音の発生源のキッチンに飛び込むと、快斗が屈みこんで床に新聞紙を
敷いている。
 
「快斗!」
「……あ、新一。ごめん、お皿割っちゃった……」
「そんなことどうでもいい! 俺が片付けるから、オメーは離れてろ」
「え、でも」
 
快斗が戸惑いながらも破片の一つに伸ばそうとした手を、新一は掴ん
だ。
 
「いいから! 指を怪我したらどうすんだよ、マジシャン」
「新一……うん、じゃあお願いする。新一も気をつけて」
「心配すんな」
 
のろのろとキッチンの入口まで後ずさった快斗は、どこか呆然として
いるようだった。そしてその理由に、新一は思い当たっていた。
 
「本当にごめん。お皿取ろうとしたら、何か取り損ねて……」
「わかってる。気にすんな」
 
改めて快斗を見ると、昨日よりもさらに若返っていた。新一が初めて
怪盗キッドに出会った時よりもだいぶ小柄な気がするから、おそらく
は中学生くらいだろう。
 
刻一刻と身体の寸法が変わるせいで、腕のリーチの認識を誤ったのだ。
当然届くと思った食器棚の皿に、ほんの数センチ、届かなかった。新
一もコナンになった時に経験した。
 
「……ショー、どうしよ……」
「寺井さんに連絡しとけ」
 
快斗はすでにプロとして活躍し始めているが、今回のは知り合いの店
で少し披露するだけの小さなものだ。融通はきくだろうから大した問
題はない。有能な寺井が何とかしてくれるだろう。
 
さっさと破片を新聞紙に包み掃除機をかけると、目に見えて落ち込ん
でいる快斗を連れてダイニングに座らせた。
おまけにココアを作ってやる。
 
「ありがと……」
 
これまで常識では考えられないような奇想天外な人生を送ってきたく
せに、やはり自分の身体のコントロールが効かないというのは、快斗
にとってショックが大きいらしい。
 
「……正直言うと。俺は、ちょっと嬉しい」
 
ぽつりと呟いた新一を、快斗は困惑したように見た。
 
「俺がオメーに会ったのって、高校生の時だろ? だから、その前の、
オメーの中学生の頃とか、もっとガキの頃の姿を直に見れるのは、少
し嬉しい。だってオメーは俺のガキの姿を知ってるってのに、俺は知
らねぇなんて、ちょっとずるくねぇ?」
 
新一が悪戯っぽい笑みを浮かべて言うと、ようやく快斗の顔にも笑み
が戻る。
 
「……コナンを子供だと思ったことはないけどな。あんな末恐ろしい
子供いたらヤダ」
「何だと!」
 
ココアの優しい香りが漂う部屋に、穏やかな笑い声が響いた。
 
 
 
 
 















 











2013/07/14