最初に新一が違和感を覚えたのは、キッチンで朝食を作る恋人の後ろ
姿を見た時だ。

コーヒーの香ばしい匂いに誘われて階段を下りると、新一の気配に気
づいた恋人がぱっと振り返り、愛しげな笑みを浮かべて「おはよう」
と言う。新一も、まだ半分閉じている目を擦りながら、挨拶を返す。
 
そして顔を洗って再びキッチンに戻ってきた時、新一は違和感を覚え
た。
その違和感の元を探るべく、キッチンに視線を巡らす。その目につい
さっきまでの眠気はない。
 
キッチンに特に変わった点はないようだ。
恋人――快斗はトマトを切っている。背筋はぴんと伸びていて、トマ
トを切る、それだけの動作がいやにスマートだ。
 
「ん? 新一、どうかした?」
 
トマトを盛り付け終え、二人分の皿を持って快斗がくるりと振り返る。
いつの間にか探偵の目をしている新一に、快斗が尋ねる。
 
「いや……」
「?」
 
結局違和感の正体に気づけぬまま、せっかく作ってくれた朝食が冷め
ないうちにと、新一はテーブルについた。
 
 
 
 

 
新一がその違和感を思い出したのは、その夜ベッドに入った途端、恋
人に押し倒された時だった。

明日は二人とも休みで、元々のんびり過ごそうと思っていたから、新
一も特に抵抗することなくそれを受け入れた。新一にしても行為自体
は嫌いじゃないし、快斗と近づけるのはむしろ好きだ。ただ、恥ずか
しいというだけで。
 
覆いかぶさってきた快斗の背中に、腕を回す。
その時、深いキスを交わしながら、新一は「ん?」と思った。
その瞬間、今朝感じた違和感を思い出す。
 
「おい……んっ、ちょ……快斗っ」
「んー?」
 
だが火のついた快斗を止める間もなく、新一は与えられる快楽に流さ
れた。
 
 
 
 
 
 
翌朝。
目が覚めると、隣に快斗の姿はなかった。皺のついたシーツに手を滑
らせるとまだほのかに温かい。
痛む腰を庇いながら部屋のドアを開けると、階下から水音が聞こえて
くる。シャワーを浴びているのだろう。
 
すぐに戻ってくるだろうからと、新一はドアを閉め、再びベッドに寝
転がった。
 
しかし、何だろう、何かを忘れている気がする。

思い出せなくて、ぽすん、と枕に顔を突っ伏した。
 

案の定、それから数分と経たずに快斗が戻ってくる気配がした。
枕に突っ伏したまま少し身じろぐ。
 
「起きたんだ。おはよ」
「はよ」
 
くぐもった声で言う。
 
隣に快斗が寝転がる気配がした。ベッドが沈む。
 
新一は快斗の方を向こうと首を回して――
 
その瞬間、思い出した。
そして同時に、昨夜よりもはるかに強い衝撃を受ける。
 
「あーーーっ!! オメーっ!!」
「ぅえっ? な、何……?」
 
突然大声を上げた新一に、快斗が戸惑う。それに構わず、新一は叫ん
だ。
 
「オメー! 若返ってんぞ!!!」
 

沈黙が落ちる。

 
「…………………は?」 
「だからっ、若返ってるって!」
「若がえ……ええっ?!」
 
快斗は飛び起きて、部屋の姿見の前に立った。
 
「……あー、言われてみれば、何となく」
「何となくじゃねーよ! 今のオメー、高校生くらいだぞ」
「確かに……今なら女に変装できるかも」
「オメーな……」
 
高校生の時はよくキッドの仕事で女に変装して潜入していたが、あれ
から四年経った今はすっかり男らしい均整の取れた骨格ができあがり、
女性に変装するのは難しくなっていた。
 
鏡の前で呑気なことを言っている快斗に、新一は呆れながらも、起き
抜けの脳細胞を働かせる。
 
「快斗、最近灰原に何かもらったか?」
「四日前にお茶したけど、その時は俺が紅茶淹れたし、お菓子も俺が
作って持ってったやつだったけど?」
「じゃあ、博士からは?」
「一週間前にクッキーもらったけど、新一も一緒に食ったじゃん」
「ああ、あれな……」
 
こんな状況で真っ先に疑うべきは隣家の小さなマッドサイエンティス
トだが、思い当たるきっかけがない。
 
「っていうかちょっと待って、それじゃあこれってやっぱりアポトキ
シン……」
「それ以外にねぇだろ」
「いや、俺はもう一つの方かと……」

それはあの高校時代の同級生のファンタジックな術なのだが、よく考
えてみれば彼女とはここ一年ほど接触していないし、今更魔術とやら
をかけられる理由が思いつかない。

恋人を苦しませたあの悪夢の薬を服用してしまったのかもしれないと
いう認識が、まだ眠っていた危機感を呼び覚ました。飲まされたほと
んどの人間が死亡した、毒薬なのだ。

シャワーを浴びたばかりだというのに、じとりと嫌な汗が滲む。

「でも、別に怪しいものなんて何も……強いて言うなら、三日前に風
邪薬飲んだくらいで」
「……あ」
 
新一は口を半開きにして固まった。その一音は、この状況でとてつも
なく不穏な響きを持っていた。
 
「まさか……」
 
快斗が顔を引きつらせる。
 
「えっと……」
 
新一はぎこちない笑みを浮かべた。
 
「てへっ」
「てへっ、じゃねぇよおぉぉぉ!! 俺を殺す気かっ」
 
可愛いけどちくしょおぉ!と頭を抱えて崩れ落ちた快斗に、あちゃー、
と頭を掻きながら、新一は三日前の出来事を思い出していた。
 
 
                            ***
 
 
快斗の具合が悪いということに一番に気づいたのは新一で、それは二
限の授業の真っ只中のことだった。

今週のゼミの発表者が発表を終え、他の学生と質疑応答している最中
だ。新一がコメントと質問を述べたところで、ふと、隣がどことなく
いつもより大人しい気がして、こっそりと横目で見た。

快斗は配布された発表資料に目を落としていて、態度としては何ら不
自然なところはなかったが、新一はすっと目を細めると、長机の下で
手を伸ばして快斗の手を掴んだ。

「?!」

突然の新一の行動に快斗が驚いたように視線を寄こす。

「……やっぱりな」

小さく呟いて手を離す。快斗の困惑の視線を無視して、新一はゼミに
意識を戻すふりをした。




「具合悪いなら言えよバカ」

ゼミが終わると同時に、友人たちに囲まれる前に快斗の腕を掴み、さ
っさと教室を出る。

「え……?」

人気のない階段の踊り場で新一が不機嫌そうに言うと、快斗はきょと
んとした。その様子に、新一はさらに顔を顰める。

「オメー、自分で気づいてねぇのかよ。熱あんだろ」
「え?」
「体温上がってる」

そこまで言ってようやく、「あー、そういや何か頭がぼうっとしてる
かも」と言う快斗にため息を吐くと、新一は快斗の背に軽く手を添え
て促した。

「へ? どこ行くの?」

促されるまま足を動かす快斗が問う。

「帰る」
「えっ。だってまだ講義が……」
「休むに決まってんだろ」

新一の左手は快斗の背にただそっと添えられているだけだったが、有
無を言わさぬ強制力を持っていた。だが、快斗の体調を気遣ってか、
歩調はゆっくりだ。

「帰ったら玉子粥作ってやる」
「……うん」

新一の作る、幼馴染直伝だという玉子粥は絶品だ。新一が完全に甘や
かしモードに入ったことに気づいて、快斗はくすりと小さく笑った。



大学の前でタクシーを拾って工藤邸に帰った後、快斗はベッドに押し
込まれ、新一が約束通り作ってくれた玉子粥に舌鼓を打った。その間
新一は、隣の少女に風邪薬をもらってくると言って出ていった。


まさか、それがすべての発端だとは、予想もしていなかった。





 
 




 








かづき様へ捧げます。
20002hitリク(20000hitニアピン&ミラー)



2013/07/11