「はじめまして。僕は工藤新一。工藤優作の息子です。お話は父から伺いま
した」
博士の運転するレンタカーでブラン氏の自宅に訪れ、滑らかなフランス語で
挨拶をした新一に、ブラン氏は困惑した表情を見せた。
「あの、工藤先生は……」
「父は所要で外しております。僕でよければ、協力させてください」
「ムッシュ・ブラン、彼は日本で活躍する優秀な探偵なんじゃ。きっと、エ
ミール君を助け出してくれるじゃろう」
「そうでしたか、それは頼もしい。とりあえず、中へどうぞ。どこで聞かれ
ているかわからないと、工藤先生が仰っていましたし……警察でなくとも、
探偵を雇ったと知れたら………」
「大丈夫ですよ。玄関周りに盗聴器はないようですから。それに、この顔ぶ
れでしたら、犯人もまさか探偵が来たなんて思わないでしょうしね」
新一が後ろに立っていた哀と博士に視線をやり、ブラン氏に安心させるよう
に微笑みかける。
ブラン氏はその時初めて、哀の存在に気づいたようだった。大きめのキャッ
プをかぶり髪を中にしまっているせいか、パッと見、少年か少女か見分けが
つかない。
「その子は……?」
「彼女は灰原哀。僕の手伝いをしてくれるので、お気になさらず」
「はぁ」
目礼した哀に、ブラン氏は戸惑いながらも一行を中へと通した。
リビングルームに通されるとまず、哀がラジオのような機器を取り出して部
屋の中を歩き回った。やがて新一に向かって一つ頷くと、新一が口を開いた。
「この部屋に盗聴器はないようです」
「今ので調べていたんですか?」
「ええ。彼女なら、どこかから見られていたとしても怪しまれないでしょう
しね。まさか、こんな小さな女の子が盗聴器探知機を持って調べてるなんて、
誰も思いませんよ」
そう言って、新一がカーテンの開いたままの窓を見やる。
「開けたままにしておくようにと、工藤先生に言われて……」
「懸命です。閉めれば、警察や探偵から指示を受けているんじゃないかと勘
ぐられ兼ねませんからね。こちらが監視に気づきもしないような態度を取れ
ば、向こうの警戒も緩むはずです。ですが、犯人がどこからあなたを監視し
ているのか、特定する必要がありますね」
「え、そんなことができるのですか?」
驚くブラン氏に、ある程度は、と新一は頷いた。
「今のところ、この家の中には盗聴器を仕掛けられた痕跡がない。というこ
とは、電話を盗聴されているか、どこかの部屋を盗み見しているか。あるい
は監視しているというのはハッタリか。もし電話を盗聴されているとしたら、
あなたが工藤優作に依頼したことは向こうにもバレているでしょうね」
「そ、そんな……」
「まずは犯人からの接触を待って、様子を見ましょう。大丈夫、餌はもう撒
きましたから」
新一が浮かべた笑みに、ブラン氏は少し気を落ち着かせた。
一同がソファに腰掛けると、新一は早速ブラン氏に尋ねた。
「ところで、この家には今はあなたお一人ですか? 奥様はどちらに?」
「実は妻は今ニューヨークに出張中でして。普段は家政婦が一人、昼前に来
るのですが、今日はこんな事情ですのでさすがに休んでもらいました」
「奥様には息子さんの誘拐のことをお話しましたか?」
「いいえ、心配をかけたくなくて……。あなた方以外、まだ誰にも言ってい
ません」
「失礼ですが、奥様は何のお仕事を?」
「ルーヴル美術館の学芸員です」
「ルーヴルですか。昨日僕も行きましたよ」
微笑を浮かべて言った新一に、ブラン氏も少し表情を和らげた。血の気の引
いていた頬に、多少色が戻ってくる。
「とても混んでいて、残念ながら有名な絵画はあまり見れなかったんですけ
どね。一緒に行った友人が宝石に興味があったので、そちらの方を重点的に
見て回ったんです」
「ほう、それならもしかして、私が貸し出している宝石もご覧になったかも
しれませんね」
ブラン氏の言葉に、新一は目を丸くした。
「ルーヴル美術館に宝石を貸し出してらっしゃるんですか?」
「ええ。我が家に受け継がれているものでしてね。ダイヤモンドの埋め込ま
れたバングルなのですが」
「……それはもしかして、フランス王家最後のお抱え職人が作ったというバ
ングルですか?」
新一がもしやと思い尋ねると、今度はブラウン氏が目を丸くし、手を叩いた。
「そうです! 本当にご覧になってらしたのですね。これはすごい偶然だ!」
「まさかあなたがあのバングルのオーナーだったとは……」
「ええ。ですが、ここだけの話、あのバングルはレプリカなんです」
「え? レプリカ?」
ルーヴルでそんなことが許されるのだろうか。
快斗の口ぶりでは、当然だがレプリカを見たがっているようには聞こえなか
った。
「もとはと言えば、ルーヴルに貸しだすことになったのは、以前ネットのア
ングラサイトで私がそのバングルを所有していることが話題になったことが
ありまして、セキュリティーのより高いところに移そうと考えたからなので
す」
実際、一ヶ月ほど前に一度、空き巣に入られたことがあるという。その時は
多少の金品を盗られただけで、別に隠してあったバングルは無事だったが、
この先も狙われるとなると身の危険を感じる。貸金庫にでも保管しようかと
悩んでいたその頃、夫人を通してルーヴルから展示依頼が来たのだという。
「バングルがルーヴルにあると公表されれば、家を狙う輩はいなくなると思
いましてね」
「しかし、実際にルーヴルに展示されているのはレプリカ……」
「ルーヴルとてセキュリティーが完璧なわけではありません。ご存じでしょ
うが、過去にあの『モナ・リザ』だって盗まれたことがあるのですから」
新一は、バングルを見つめていた快斗の横顔を思い出していた。
何かを考えるような、訝しむような……。
あの(元)怪盗キッドがレプリカに気づかないはずがない。
(快斗は知っていたんだ……)
だが自分にはその事実を明かさなかった。
新一はぎりっと奥歯を噛んだ。
その時、唐突に電話のベルが鳴った。
***
意識が浮上して、快斗はまず周りの気配を探った。
冷たいフローリングの床。とりあえず部屋の中に他の人間の気配がないのを
確認して、むくりと身を起こした。
得意な縄抜けで後ろ手に縛られた腕の拘束からするりと抜け、目隠しを外す。
部屋は普通のアパートメントの一室のような場所で、部屋の中には快斗しか
いなかった。
明かりとり程度の小さな窓に近寄り、カーテンの隙間から外を覗き見れば、
そこには見慣れない街並みがあった。
パリの中心街からは外れているようだが、それほど遠くへ来たわけでもなさ
そうだ。
ガスは大して吸っていないはずだが、頭痛がするところを見るに、どうもあ
の後追加で催眠ガスを吸わされたらしい。断続的にこめかみが痛む。安いガ
ス使いやがって、と快斗は内心悪態を吐いた。
腕時計を見ると、とっくに昼時を過ぎている。
しかも無理な体勢で寝ていたせいで腕が少し痺れていた。
(さて、どうすっかな)
軽く腕を回しながら、ドアを見やる。
ドアの向こうからは3人分の気配とテレビの音がしていた。そのうちの一人
はどうやら誘拐されていた子供のようだ。
何故快斗だけ別の部屋に放っておいたのかは知らないが、さっきのようなイ
レギュラーな事態は置いておいて、2人くらい伸してここを脱出するのは簡
単だ。
しかし、子供は今奴らの手の中にいるのだ。しかも相手は銃を持っている。
それも、さっきの手慣れた構え方からして素人ではない。
万が一子供を人質に取られでもしたら、快斗とて自由に暴れ回ることはでき
ない。それは許される失敗ではなかった。
しまったな、と快斗は頭を掻いた。
いかにも探偵が関わりそうな事件に巻き込まれてしまった。新一の事件吸引
体質が移ったのだろうか。それはそれで、それだけ傍に長い間いたというこ
との証のような気がして照れくさい。
しかし同時に昨夜の口論を思い出して凹んだ。
言うつもりのなかったこと、言うべきでなかったことをたくさん言ってしま
った。
そして快斗にしても新一にしても、口をついて出てしまったそのどれもが、
限りなく本音であったことがまたさらに悪かった。
本音をぶつけ合うというのは、思ってもないようなことを勢いで言ってしま
うような普通の喧嘩よりも数段、互いを傷つける。
口をつぐむべきだったのだ、と思ってみても、それはそれで同じだけ新一を
傷つけるのだろうから、結局何をしても同じなのだ。互いの傷を抉り合うだ
け。
不意に隣室のテレビの音が消えて、快斗は一気に意識を引き戻した。
低い声で交わされる会話に耳を澄ます。
『……は、どう……』
『誰か…電…して………』
『……そ……家を……る?』
『……すこし……。……待……様子を……』
途切れ途切れに単語が聞こえてくるが、内容はほとんどわからない。わかる
のは、一つは女性の声だということだ。そしてもう一つは、おそらく快斗を
襲った長身の男。
ということは、自分に背後から催眠ガスを投げつけた男を含めて、最低でも
3人は犯人がいるということだ。
その時、聞き覚えのある単語が耳を掠めた。
『……ングル……ダイ…モンド………』
『…の家の………』
(バングル? ダイヤモンド? まさか………)
ルーヴルに展示されているあのダイヤモンドの埋め込まれたバングルのこと
だろうか。
しかし、誘拐犯とバングルに、一体何の関係があるというのか。大体、あの
ダイヤモンドはレプリカのはず………。
(……だぁもう! こういう推理は俺の専門じゃねーっつの………)
快斗は嘆息して、こういう推理が大好物な恋人を想った。
2013/02/08
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