「行くか」
先に支度を終えてリビングでテレビを見ていたが、それほど時間を
かけずに快斗もやってきた。
帽子とサングラスをかけているのはやはり誰かに見つかりたくない
のだろうか。
「その……片付いたんだよな?」
キッドに警察とは違う敵がいたのは感づいていたから、念を押す。
快斗が頷いたから、新一はほっとした。
だがまあ、あくまで確認だ。本当に見つかるとまずいのなら、快斗
は完璧な変装をしただろうから。
門の外へ足を踏み出す時、僅かな緊張が伝わってきたが、新一は気
づかないふりをした。
快斗が何を思って新一のところに居続けるのか、正直なところよく
わからなかったが、その理由が何であれどうでもいいと新一は思っ
ていた。新一の探偵という肩書きを利用しているのならそれでも構
わないし、裏の顔を知っている新一の傍が都合がいいというなら大
いに結構。
どんな意図があろうと構わなかった。新一の方こそ、自分の都合の
ために快斗の存在を利用しているのだから。
人の少ない平日の午後。
今日の予定では、ショッピングをして、外で夕飯を食べて帰ること
になっている。特に今日は洋服を見るつもりだ。
快斗がボストンバッグ一つで工藤邸にやってきた翌日、自分で送っ
たらしいダンボールが一つ届き、そこに衣類も多少は入っていたよ
うだが、そろそろ気温も上がってきた。それに真新しい服を着れば
気分も変わるかもしれない。
電車を乗り継いで、ショッピングモールのある駅へ向かう。
街に出た快斗は一見、普段と変わらないように見えた。
新一と軽口を叩き合って、笑って。
「久しぶりの外はどうだ?」
「何その言い方、俺が刑務所入ってたみたいじゃん?」
「お、それは可能性としてなくはなかったな」
「俺が捕まるかよ」
快斗が得意げににやりとする。
けれど新一の目には、些細な違和感がきちんと把握されていた。そ
れはいつもより少し速い口調だったり、少し頻度の高い瞬きだった
り、僅かに小さい歩幅だったり。
そして何より、新一との距離だ。親ガモについて歩く子ガモのよう
に、快斗は常に新一の傍にいた。手を伸ばせば届く、そんな近さだ。
その距離を快斗はごく自然な動作で、しかし頑なに守ってみせた。
さて、困ったのは彼らが洋服を買う目的でショッピングしていると
いうこと、そして洋服を買う時には通常試着をするということだっ
た。
試着室はカーテンで仕切られているし、当然いい歳した男が二人で
入るわけにはいかない。
「えっと、快斗……」
新一の困ったような顔を見て、快斗は察したようにすっと離れた。
「大丈夫か?」
「だいじょぶだいじょぶ。その代わり一着ずつ見せるから、ここに
いろよ?」
快斗は念を押すと、選んだ数着を腕にかけて小さな箱に入り、軽薄
なウィンクを残してカーテンを引いた。
さて、と腕を組んで待つ体勢になった新一だったが、予想を裏切っ
てカーテンはものの数秒で再び開かれた。
「え――」
「これどう?」
小さいドット柄の可愛らしいシャツの上にダークグレーのジャケッ
ト。
「変か?」
「あ、いや。いいんじゃねーか?」
「そ?」
じゃあ買いだな、と言いながら快斗がカーテンをしめる。それも三
秒後にはまた開いて、同じシャツの上に今度はカーディガンを羽織
っていた。
「こっちも楽でいいんだけどな」
「両方買えばいいんじゃないか?」
「新一が言うならそうする」
快斗はそう言ってさっさと元の格好に戻ると、その場に新一を置い
てレジに並んだ。
――何だ、やっぱりマジックやるんじゃないか。
新一は面食らったまま、取り残されたように立ち尽くしていた。
いや、カードを操っているのは見たし、まったくマジックをしない
わけじゃないのだろう。仕掛けを施せるわけではないからキッドの
早着替えほどの素早さではないが、ボタンの多いシャツに数秒で着
替えられるくらいには指先は鈍っていないようだ。
「新一? どうしたんだ?」
会計を終えた快斗が近づいてくる。
「いや……お前、マジックは続けてるんだな」
普段見せてくれないからどうしたのかと思ってたけど、と店を出な
がら言うと、快斗の表情が固まった。
「……マジック?」
「早着替え。さっきやってただろ?」
快斗は意外な言葉を聞いたように反芻する。
「早着替え……」
「快斗?」
考え込む快斗に、新一はもしかして気づいていなかったのかと訝る。
何の仕掛けもなしにただ訓練された手先の器用さを用いての早着替
えだから? いや、それだって一般人からしたら十分マジックだ。
ふと、人にマジックを披露することはなくなったものの、携帯を取
り出したりの日常的なマジックは今でもやるようだと青子が言って
いたのを思い出した。もしかしたら、単に本人がマジックだと意識
しないまま身体が勝手にやっていたのかもしれない。
どこか動揺した様子の快斗に、あまり触れない方がいい話題だった
かと、新一は強引に話題を変えた。
その後、どこか上の空の快斗は買い物にも身が入らないらしく、何
の収穫もないまま日が傾いてきた。
「疲れたか?」
「え? あ……」
「久しぶりの外だもんな。どうする、夕飯はやっぱり家で食うか?」
快斗は控えめに頷いた。
二人はショッピングモールを出て、ゆっくりとした足取りで駅への
道程を歩いていた。
その時、二人の横につけるように、一台の車が路肩に寄せて停まっ
た。
よく磨かれた、黒に近い臙脂色の外国車だ。
道路側を歩いていた新一は、咄嗟に快斗を背に庇った。抗議するよ
うに快斗が服を掴んできたが、無視した。
助手席のスモークウィンドウがゆっくりと下がっていく。数センチ
引いた右足がざりっとアスファルトを擦った。
窓の向こうから現れたのは、黒光りする銃口――ではなく、親しげ
な微笑を浮かべた、見知った探偵の顔だった。
「やあ、久しぶりだね、工藤君。それから、黒羽君も」
「白馬……」
緊張が解けると一気に脱力して、車に近寄る。
「しかしまさか君たちが知り合いだったとはね」
白馬の含むようなセリフに、彼がキッドの正体を確信していること
を知る。今そのあからさまな言い方に気づかないふりをすることは
すなわち、新一がそれを暗に認めてしまうということでもあったが、
それでも新一の中には、しらじらしく「それどういう意味だ?」な
どと演技する選択肢はとっくになかった。
何故なら、いまだに新一の服の背中のあたりを、快斗の手が掴んだ
ままだからだ。
「今こいつ、うちにいるんだ」
新一が取り繕わずに流したことに白馬はおや、と驚いたような顔を
したが、ここで快斗を追い詰めたいわけではないようで、すぐに苦
笑した。快斗の普通じゃない様子にも気づいたのかもしれない。
「経緯についてはまた今度詳しく聞かせてくれよ」
「ああ。それと、悪ぃんだが……」
「大丈夫、誰にも言わないよ」
話の早い白馬に安堵する。
性格的に合わないところは多々ある男だが、探偵としては認めてい
るし、悪い奴じゃないことはわかっている。
「黒羽君」
「何だよ」
「次は学校で会えることを願ってるよ」
「そうかよ」
ぶっきらぼうな返事を意に介さないところを見るに、普段からこん
な感じなのかもしれない。だが本当のところ彼らが嫌い合っている
わけではないのがわかる。二人とも妙なところで捻くれていて、素
直じゃないだけだ。
(でも、だとしたら……)
去っていく白馬の車を見送りながら、新一は眉を顰めた。
車が視界から消えて、ようやく快斗の手が離れていった。
「あ、悪い。皺に……」
新一はくるりと振り向くと、快斗の手を取った。
やっぱりだ、小刻みに震えている。
「快斗。帰ろう」
手を上げて、ちょうど通りかかったタクシーを止める。
後部座席に二人で乗り込んで、家に着くまでの間、ずっと手は繋い
だままだった。
とんでもない勘違いをしていたのかもしれない、と新一はアサリを
貝から引き剥がしながら思った。
元々外で食べる予定だったから、夕飯は簡単にパスタを作った。ボ
ンゴレビアンコ。材料は新一が買ってくる以外にも快斗がネットで
注文しているようで、おかげで新一が事件にかまけていても冷蔵庫
がすかすかになる事態は避けられた。
快斗が外に出たがらない理由。
怖いのだと思っていた。そしてその推理はおそらく正しい。
問題は、何を怖がっているかだ。
人が怖いのだと思っていた。誰かに傷つけられるのが怖いのだと。
組織との戦いの中で何があったのか、新一は何も知らないが、ただ
ただ、これ以上快斗が傷つけられることがないようにと願っていた。
だが、快斗が今日一番怯えを見せたのは、大勢の知らない人間たち
の中にいる時ではなく、むしろ友人の前だった。
その時新一は初めて気づいた。快斗が恐怖しているのは誰かに傷つ
けられることではなく、誰かを傷つけてしまうことなのではないか
と。
新一の服を掴んでいた手。あれは縋る手ではない。手が自分の意思
に反して誰かを傷つけないように、塞ぐために掴んだのだ。
「快斗……」
気づいた途端、やりきれない気持ちになった。
違うのに。快斗の手は人を傷つけるものじゃなくて、奇跡を生み出
して、人に夢を与える手なのに。
「大丈夫だ、俺が傍にいるから」
それでも言ってやれる言葉は、結局いつもただ一つなのだ。
「絶対に離れないから」
快斗が誰かを傷つけそうで怖いと言うのなら、自分が傍にいて止め
てやる。そしてそんな思考回路が溶けて消えてしまうくらいにぐず
ぐずに甘やかしてやる。
謎が一つ解けて、新一の中に明確な決意が芽生えた。
快斗誕生日おめでとう(遅刻)。
シリアスって難しい。
14/06/23
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