「快斗!!」
警視庁の前でいきなり後ろから腕を掴まれた。
振り返ると、何となく幼馴染に似た顔立ちの少女が半分泣きそうな顔
で、新一の腕に縋っていた。
「どこにいたのよ快斗っ。家にもずっと帰ってないみたいだし、心配
したんだから!」
「えーっと……」
人違いだ。
にこやかにその旨を伝えて立ち去ることは簡単だったが、少女が呼ぶ
その名と、見間違えるほどに自分にそっくりな顔には心当たりがあっ
た。
「もしかして、黒羽快斗の知り合い、かな?」
「え……?」
物腰柔らかく尋ねたところで、少女は人違いに気づいたようだった。
さっと頬に朱が走る。
「あっ……ごめんなさい、幼馴染と間違えて……探偵の工藤新一君、
だよね?」
「うん」
「私、中森青子です。二課の中森銀三の娘で。えっと、工藤君は快斗
のこと知ってるの?」
様々な情報が一気に入ってくる。
つまり、怪盗キッドとそれを追う中森警部の娘は幼馴染だったわけ
だ。
「まあ、ちょっとね。親同士が知り合いで」
確認したわけではないが、黒羽という苗字は聞き覚えがあるし、おそ
らく間違いではない。
「それで、か……黒羽がどうかしたの?」
あまり親しげにファーストネームを呼ぶのもどうかと思い、咄嗟に言
い換える。
すると中森青子は再び顔を歪めて泣きだしそうな表情になった。
「快斗がどこにもいないの……おばさんに聞いても、家にも帰ってな
いんだって……もう三週間も」
「捜索願は出したの?」
「ううん、おばさんがそのうち帰ってくるわよって言って……」
俯く青子の肩を慰めるように撫でてやりながら、新一は目を細めた。
息子がいなくなったことを母親は心配していない。もしかしたら、母
親にはこっそり居場所を伝えてあるのかもしれない。だが、だとした
ら幼馴染に隠している理由は何だ?
あるいは、快斗は誰にも告げずに、工藤邸を潜伏場所に利用して身を
隠しているのかもしれない。
組織の残党が絡んでいるのか。
どんな理由かはわからないが、快斗は親しい者にも自分の居場所を知
らせていない。ならば自分が話してしまうわけにはいかない。
「中森さん、ちょっと詳しく聞かせてもらえないかな。もしかしたら
力になれるかもしれない」
警視庁内の休憩所に連れて行き、ソファに座る青子に缶ジュースを手
渡した。
「あっ、お金……」
「気にしないで。黒羽見つけたらあいつに請求しとく」
「あ、ありがとう……」
青子ははにかんだが、すぐにまた俯いてしまった。
「それで、黒羽がいなくなったのは三週間前からだって言ったよね」
「うん」
三週間前は、ちょうど土手で二人して寝転げてた日だ。ということは、
快斗の失踪は新一にも大いに責任がありそうだ。
「その前に、何か変わったところはなかった? 例えば、寝不足だっ
たとか」
「うん。寝不足は元々で、高校に入ってからは授業中居眠りしてばっ
かだったり遅刻とか欠席もしょっちゅうだったんだけど。新年度が始
まってからかな……隈がひどくなって、疲れてるみたいで……」
新年度が始まってから。時期的に考えて、おそらくキッドとしての活
動を終えてからだ。
「それにね、何か変なの」
「変? 具体的にどういう……?」
「うーん。雰囲気がピリピリしてるっていうか。机に突っ伏して寝て
るのかと思ったら、目は開いてたり。クラスでばか騒ぎすることも減
ったし。それから……マジックをあまりやらなくなった、と思う」
携帯を取り出したり消したり、日常的に癖のようにやっていたマジッ
クは変わらずやっていたという。ただ、クラスメイトに披露するため
にマジックをすることはめっきり減った。
「……春休みの間、黒羽が何をしていたか知ってる?」
知らないだろうな、と確信しつつ、新一は表向きの情報を探るべく尋
ねた。
「春休みの間はね、快斗、ヨーロッパにマジックの修業で留学してた
んだって」
春休みを利用して組織との決着をつけに行ったのだろう。そしてその
後から様子がおかしくなった。
「最近の快斗、やつれてて……何があったのかな。青子には相談でき
ないことなのかな……」
「中森さん……」
青子がゆっくりと顔を上げる。泣いているのかと思ったが、意外にも
頬は濡れていなかった。
「ねぇ、工藤君。快斗を探してくれる?」
縋るように言われて、新一は慎重に言葉を紡いだ。
「……わかった。でも、時間はかかるかもしれない」
難しい顔をして念を押した新一に、青子は力強く頷いた。
***
「おかえりー」
「おう、ただいま」
キッチンからエプロンをした快斗が顔を出した。
玄関を開けた時から漂ってきた甘い匂いで予想はついていたが、やは
りお菓子作りをしていたようだ。
「ちょうどおやつできてるよー。今日はフォンダンショコラ焼いたん
だ」
「うへぇ。フォンダンショコラってチョコレートのどろっとした奴だ
ろ? 俺無理……」
「大丈夫だよ、新一のにはビターチョコ使ってるから」
フォンダンショコラは正直遠慮したいが、気遣いが見えるから断るに
断れない。
それに、甘いものはそれほど得意ではないが、快斗のつくるものは天
下一品なのだ。
「オメー……ホント甘いもの好きだよな」
「うん! 中でもチョコレートは格別〜」
「病気になるぞ」
「いいのいいの〜。甘いもの食べないと調子出ないんだもん」
それにしても毎日毎日お菓子作りしていて、よく飽きないものだ。も
しかして暇なのだろうか。
そういえば、快斗が昼間何をしているのか新一は知らない。
家に連れ帰ったのはほとんど衝動で、新一が望んだからいてくれてい
るのだと思うと、快斗のプライベートを詮索するのが躊躇われるのだ。
あの後一応、捜索願が出ていないか調べてみたが、やはりないようだ
った。
幼馴染の少女の様子からして、学校に行っていないのは確かだ。だが、
以前快斗を呼びにいって客室をちょっと覗いた時に、ハンガーにかけ
られたままベッドに投げ出された学ランを見たから、学校に行く気が
ないわけではないのだろう。
行く意志があるのに、行かない。
(……いや、行けない、のか……?)
学校に、快斗の嫌がる何かがあるのか。
(それとも……)
新一が警視庁や事件現場に向かう時は必ず玄関で見送ってくれ、帰宅
した時には必ず出迎えてくれる。
これまでは、新一が出かけている間に自分の用事を済ませているのだ
ろうと思っていたが、思い違いをしていたのかもしれない。
熱々のフォンダンショコラをスプーンですくい、幸せそうな顔で味わ
う快斗を新一はこっそり見た。
***
風呂から上がってキッチンに水を飲みに行った新一は、ダイニングで
何かをしている快斗を見て反射的に足を止めた。
快斗の肩越しにテーブルにスプレッドされたトランプが目に入って、
快斗がマジックの練習をしているのだとわかる。
ドアに背を向けて座っている快斗は新一の存在に気づいていないよう
だった。
(何だ、マジックやってるじゃないか)
トランプを一枚抜いてからデックの中に適当に戻す。指をパチンと鳴
らすと、先ほど引いて戻したカードがデックの一番上に移動している。
初歩的なマジックだ。
マジックの難易度如何にかかわらず、新一は怪盗キッドのマジックが
好きだった。美しい指先が織りなす魔法のようなトリック。まだ月の
下で追いかけっこをしていたあの頃、何度目を奪われたことか。
ファンシャッフル、カスケード、スプリング、フライング、リボンス
プレッド、パス……
快斗は自由自在にカードを操る。
数十枚ものカードが広がっては収束する。
大がかりなイリュージョンもいいが、シンプルなカードマジックも負
けず劣らず美しい、と新一は思う。
的確に盲点をつく無駄のないトリック、そして何よりマジシャンの手
がトランプをまるで生き物のように滑らかに操るその技術。
パサッ
不意に、右手から左手へと吸いこまれるように空中を飛んでいたカー
ドが一枚、テーブルの上に落ちた。
新一は息を呑んだ。
キッドとしてではなく黒羽快斗としてマジックをする姿を見るのは初
めてだというのに、その単純なミスが何か重大なことのように新一の
目には映った。
頭の中ではすぐさま反論が上がる。
プロのマジシャンだってカードを扱い損ねることはある。たとえ初歩
的なフライングシャッフルであろうと、カード一枚落とすことくらい、
大したことじゃない……
だが、なぜか胸騒ぎは治まらない。
快斗は落とした一枚を拾って、デックに戻した。
背後からでは表情が見えないが、極めて自然な動作だった。
「あ……快斗……」
どうにも息が詰まってしかたがなくて、新一は声を発した。意図せず
掠れてしまったが、奇妙に思われなかっただろうか。
快斗が振り返る。
「っ」
新一は呼吸を詰まらせた。
振り返った瞬間の快斗は、まったくの無表情だった。
不思議な色をした双眸が底なし沼のように暗く淀んで見えるのは、薄
暗い照明のせいだろうか。
しかし新一を戦慄させたその暗い目は、次の瞬間にはまるで幻だった
かのように消え去っていた。
「あれ? 新一、もう風呂上がったんだ?」
「あ、ああ……待たせたな。オメーも入れよ」
「うん」
お風呂いっただきまーす、と言って快斗はダイニングを出ていった。
一人になって、新一は詰めていた息を吐き出す。
風呂に入ったばかりだというのに、じとりと背中を濡らす汗が不快だ
った。カチコチ、と壁時計の音がいやに耳につく。
「あ、新一」
背後から突然声をかけられて、思わずびくりと震える。
何とか平静を装って振り返ると、ダイニングの入口から快斗が顔を覗
かせていた。
「……何だ?」
「髪の毛ちゃんと乾かさなきゃ駄目だからなー」
それだけ言い残して、今度こそ快斗は風呂場に向かった。
「……ったく、何だってんだ……」
しゃがみこみたいのを我慢して、新一は額の汗を拭った。
14/05/25
|