そんな生活を続けて二週間。

快斗の目元の隈もすっかり消えていて、本来の調子を取り戻したのか、
家の中でも忙しなく動き回るようになった。

ある朝突然、入ってほしくない部屋には鍵をかけておくように言われ
て何かと思えば、どうやら家中の掃除をするつもりらしく、新一自身
どこにしまっていたか知らなかった掃除用具の数々を引っ張り出して
きた。
見られて困るような部屋もないはずだから好きにしろと告げれば、何
だか奇妙な表情を浮かべていたが、変な話だ。大体にして、奴は鍵開
けのプロなのだ。本当に見られて困る部屋があったらそもそも同居な
んて提案しない。

それから快斗は、工藤邸をぐるりと取り囲む庭の手入れも勝手にし始
めた。
鼻歌を歌いながらリズミカルに剪定バサミを操って、好き放題に伸び
ていた枝やらツタやらを整えていく。低木の一つがいつの間にか庭園
アートさながらのハート型に切り揃えられているのを見た時は思わず
コーヒーをふいた新一だった。

次いで庭の一画に、世話が難しい薔薇なんかも植え始めた快斗に、新
一は「イギリス庭園でもつくる気か」と呆れたように言った。 

こうして半月の間に、工藤邸は内も外も見事に生まれ変わったのだっ
た。


一緒に夕飯を作りながら、別にそこまでする必要ないのに、と新一が
言うと、快斗は機嫌良く軽い調子で言った。

「俺が好きでやってるんだよ。それに新一にはお世話になってるしね」

いやこの場合世話になっているのはむしろ自分の方だ、と思った新一
だったが、快斗がいいならいいか、と納得して口を噤んだ。


今日のメニューはマーボー豆腐と酢豚、玉子スープ、春雨のサラダ。
辛味と酸味が際立つ中華だ。
程良く豆板醤の効いたマーボー豆腐に身体が中から温まるのを感じな
がら、そういえば、と思い出したように快斗を見る。

「お前、辛いの平気なんだな」
「ん? なんで?」
「極度の甘党だから、辛いの駄目なのかと思ってた」
「甘いのはもちろん大好きだけど、辛いのも普通に好きだよ」

辛いもの食べた後は甘いもの食べたくなるよね、といい笑顔で言う快
斗はやはり相当な甘党のようで、この様子からするに、ちゃっかりデ
ザートも用意しているのだろう。


「ごちそうさま」

新一が箸を置くと、快斗は眉を顰めた。
ここ二週間の間に見慣れた表情だ。

「もう食べられない?」
「悪い」
「ううん。でもやっぱ、心配だからさ」
「ああ」

新一の皿にはまだ半分ほど料理が残っている。もともと盛っている量
も少なめだから、実際に新一の胃に入っているのはほんの僅かだ。少
なくとも、十代の育ち盛りの少年が満足する量ではない。お前はダイ
エット中の女子か、と自分でツッコミを入れたくなるほどだ。

快斗の料理の腕は天下一品だし、味は申し分ない。ただ、量が食べら
れない。
原因ははっきりしているし、これでもここ最近だいぶ改善してきてい
る方ではあるから、新一はむしろ今日これだけ食べられたことに安堵
しているのだが。点滴せずに済んでいるからましだ、なんて言えば余
計に心配させるだけだとわかっているから、何も言わない。

心配そうに窺い見てくる快斗を安心させるように、新一は微笑みかけ
た。

「残した分は明日またちゃんと食べるから」
「いや、それは別にいいんだけど……」

夕飯の残りを次の日の昼に回すのがここ最近の習慣になりつつある。

「なあ。俺が口を出すことでもないんだけど……」
「何だ?」
「隣のお嬢さんは何て?」
「灰原? ああ、検診の結果か。まったく問題ないとは言えねぇけど、
心配するほどのこともねぇよ。オメーが来てから調子もいいしな」

そう言うと、快斗は納得したようなしていないような微妙な顔をしつ
つ、照れたようにマーボー豆腐を口に突っ込んだ。



              ***



ふっと意識が浮上して最初に気がついたのは、窓の外で風に揺れる風
の音だった。その音に混じって、低い声のような音が聞こえて、目が
覚めたのもそのせいだと気づく。

「……快斗?」

ゆっくりと身体を起こし、目が慣れるのを待った。

カチ、コチ、カチ、コチ。
規則的な時計の針の音が壁掛け時計から聞こえてくる。枕元のデジタ
ル時計は、午前3時22分を指している。


喉の渇きを覚えて、部屋をそっと出る。
声は聞こえなくなっていて、廊下はしんと静まり返っていた。

長年住んだ家は目をつぶっていても歩ける。電気をつけずに階段を下
り、冷蔵庫から麦茶を出して飲んだ。

ついでにトイレに寄る。

部屋に戻ろうと階段を上っていると、途中でまたあの声が聞こえて足
を止めた。
押し殺すような、苦しそうな声。

新一は足音と息を殺して階段を上り切ると、自分の隣の部屋――快斗
の部屋のドアに、耳をつけた。

「……ッ……ぅ……ぁ……」

尋常じゃないほど荒い息の合い間に、掠れた声が混じる。

薄くドアを開けてみるが、中は真っ暗で何も見えない。息と衣擦れの
音だけが聞こえてくる。

今度はもっと大きくドアを開けて、滑り込むように部屋に踏み入れた。
忍び足でベッドに近寄る。
組織の本拠地へ潜入した時のことを思い出すほどの緊張感だ。たった
二ヶ月前のことで、身体がまだあの空気を覚えている。

「快斗……?」

ベッドの上の塊に、小声で呼びかける。
塊はシーツを蹴るように脚を動かしている。

「快斗、」

すぐ傍らまで近寄って、頭まで覆い隠していた薄い毛布を剥いだ。

「く……」
「おい、快斗っ?」
「……っ……」

暗闇の中、快斗の頬に手を当てる。びっしょりと汗で濡れた感触に驚
いて、新一は肩を揺すった。

「快斗! おい、起きろ!」
「……ぁ」

瞼がゆっくりと上がるのを、焦れる気持ちで見ていた。

「……あれ……新一?」
「ああ。大丈夫か?」
「俺……」
「魘されてたぞ」
「……ああ……」

快斗は再び目を閉じた。だんだんと呼吸が落ち着いていくのを、緊張
しながら見守った。

「……水、持ってくるな」

そう言って部屋を出ると、新一は詰めていた息を吐き出した。

あの魘され方は、尋常じゃなかった。快斗はすぐに目を閉じてしまっ
たが、瞼が持ち上がった時、現れた瞳に浮かんでいたのは紛れもなく
恐怖だった。

(あいつがあんな目をするなんて……)

新一の知っているキッドは常に自信満々で、どんな窮地だろうと得意
のポーカーフェイスで飄々としていた。
そんな男が、あんな、幽霊を怖がる子供のように頼りない目をするな
んて。

「――大丈夫か?」

水のコップを持って部屋に戻ると、快斗はのろのろと身体を起こした。

「ああ……ごめん」
「気にすんな」

コップを手渡すと、快斗はごくごくと一気に飲み干した。

「もっといるか?」
「いや、いい」

空になったコップを受け取る。手の中で弄びながら、新一は目を合わ
せずに言った。

「……こういうこと、今までにもあったの、か」
「…………」

沈黙は肯定。いや、聞く前に答えはわかっていたのだから、端から返
事は求めていないのだ。
根掘り葉掘り聞く時ではない、それくらいはわかっている。今快斗に
必要なのは、休息だ。

だが、一つだけはっきりさせておかなければならない。

「……うちにいるのが辛いなら――」

新一は最後まで言うことができなかった。すっと顔を寄せられて、口
を塞がれたのだ。
近すぎる藍の瞳は思いのほかしっかりと新一を見ていて、絡みとられ
たように動けない。

「…………」

快斗は近づいた時と同じようにすっと離れた。僅かな湿り気が唇に残
る。

「……おやすみ、新一」

新一に背を向けて布団にもぐりこんだ快斗に、新一も何とか立ち上が
った。

「……おやすみ」

静かに扉を閉じた後で、今夜は果たして眠りにつけるだろうかと溜息
を吐いた。






























14/05/11