警視庁からの帰り道。
新一は眠気で霞みがかる頭を何とか真っ直ぐ支えながら、土手の上を
歩いていた。

久々の少々厄介な事件に手こずって、解決するのに三日もかかってし
まった。いくら気が散ってストレスの溜まる現場だったからと言って、
犯人の動きに対して遅れを取ってしまったのは明らかに自分のミスだ。
不覚だ。

はあ、と深い溜息を吐いて、ゆるゆると頭を振った。高く昇った日が
寝不足の目に眩しい。
三日分の睡眠を犠牲にしたツケが一気に伸しかかってくる。
正直、この眠気で家まで辿りつけるか自信がない。

人並み外れた意地でもって周りからはしっかり歩いているように見え
るだろうが、実は結構際どい状態だ。

とにかく、次に自販機を見つけたらコーヒーかエナジードリンクを買
おう。
そう思い、気合いを入れ直して顔を上げた時だった。

「……あれ?」

土手の反対から、一人の少年が歩いてくる。まだ数十メートルの距離
があるが、彼の様子がおかしいことは一目でわかった。

ふらふらとふらつく足元。
瞼が半分閉じていて、焦点の合っていない目。

土手の斜面の際を足を引きずるようにして歩く少年に、新一は眉を顰
めた。
あんな状態で、躓きでもしたら――。

その瞬間、案の定青年の足がもつれ、身体がゆらりと傾斜側へ倒れた。

「っ、危ない!!」

新一は咄嗟に走り出すが、寝不足で重い身体はいつもの瞬発力をどこ
かに落としてきてしまったようで、数十メートルの距離を埋めるのに
ずいぶんと時間がかかった。

やっと少年が躓いたところに辿りついた時には、彼は受け身を取るこ
ともできずに土手の斜面を転げ落ちており、そのまま意識を失ってい
るようだった。
新一も慌てて(途中転びそうになりながら)斜面を駆け下りて、少年
に近寄る。

咄嗟に呼吸と脈と外傷を調べる。倒れている人間を見た時の条件反射
のようなものだ。

呼吸正常。脈正常。目立った外傷なし。

確認して、安堵の息を吐いた。

改めて、少年を観察する。

土手を覆う雑草がクッションになったのだろう。意識はないが、どう
やら眠っているだけのようだ。よく見たら新一に負けず劣らずどす黒
い隈が目元に鎮座している。
顔も手も、血の気が引いたように白い。

前の開いた学ランの隙間から見える白いシャツは不自然によれており、
良く見ればボタンをかけ違えている。
学ランの襟に校章と学年を示すバッジがついていて、江古田高校の三
年だとわかった。

眠い頭を無理やり回らせる。

江古田高校はこの土手からそう遠くない。彼が歩いてきた方向からし
て、これから学校に向かうところだったのだろう。
だが、こんな昼を過ぎようかという時間に学校に向かっているのは何
故か。
具合の悪そうな状態からすると病院に寄っていた可能性も考えられる
が、学校に辿りつけないほどの状態ならばいっそ病欠で休む方が妥当
な選択肢だろうに。

規則正しい寝息が聞こえるから、ただ眠っているだけだろう。目の下
の濃い隈を見ると起こすのが忍びなくなった。新一は「しかたねぇな」
と呟いて、少年の投げ出された手足を整えてやり、頭の下に彼の薄っ
ぺらな鞄をまくら代わりに敷いてやった。

そこまでやったところで、新一はくらりと眩暈に襲われた。

「あー、くそ……」

そう言えば俺もクソ眠ぃんだった、と思い出した時には、新一の身体
はすでに土手の斜面に横になっていた。
瞼が完全に落ち切る寸前、頭を横に向けると、少年の穏やかな寝顔が
すぐ隣にある。

もうどうにでもなれ、と新一は意識を手放した。




               ***




ぱち、と瞼が開いて一番最初に目に入ったのは、夕焼けだった。

「……えー……」

時計を確認するのが少し怖い。

だがいつまでもここに横になっているわけにはいかない。意を決して
腕を持ち上げ、時計を見る。
針は七時すぎを差していた。寝たのが十二時過ぎだったから、およそ
七時間もここに転がっていたことになる。

「捜索願とか……出てないよな……」

なかなか帰ってこない新一を心配した隣人が警視庁に連絡なんかした
ら、「えっ、工藤君なら昼には帰ったよ」という衝撃の台詞から新一
の大捜索が始まっても不思議はない。いやむしろ自然だ、新一の事件
遭遇率からすると。

帰るの怖ぇなあ、とぼやきつつ、起き上がる。

そしてふと隣を見て、新一は驚いた。

少年が、昼に見た時のそのままの体勢で横たわっている。暗くなった
空を見た時からとっくに起きて姿を消しているだろうと思っていた少
年は、泥のように眠り続けていた。

寝心地の悪い土手の斜面で七時間もぶっ通しで眠れる人はそうはいな
い。そういえば目元の隈は相当濃かった。もしかして彼も新一同様、
何日もまともに寝ていないのだろうか。

生きてるよな、と唐突に変な考えが過ぎる。
思わず呼吸と脈をもう一度確認した。両方とも正常だ。本当にただ眠
っているだけのようだ。

まったく起きる気配のない少年に、どうしたものかと思案する。
起こすのはやはり忍びないが、このまま放っておくわけにもいかない。
風邪をひくかもしれないし、不用心だ。

「おい。起きろ……おいってば」

肩を軽く揺するもののぴくりとも表情に変化がない。新一はしかたな
く少年の頬を摘まんで、力いっぱい引っ張った。

「……っ、いってぇぇぇ!!」

思いのほかびよーんと伸びた頬に感心したところで、ぱちりと少年の
瞼が開いた。

「!」

その瞬間、新一は息を呑んだ。

藍とも紫とも取れるような、深い深い青色。
勢いよく起き上がった少年は、土手の上の街灯の明かりを背にして新
一を見る。そして、驚きに目を瞠った。

(こいつ……!!)

驚愕に固まっているのは新一も同じだ。

さっきまでは目を閉じていて気づかなかったが、この独特の虹彩は知
っている。月明かりの中、ヤツに最も肉迫し距離を縮めることのでき
た小さい姿の自分だけが、影に浮かび上がる彼の宝石のような瞳を目
にすることができた。

「お前……!」

新一は思わず、パッと後方に跳び退った。
なぜ自分が跳び退いたのかはわからない。追う側であるはずの自分が、
なぜ咄嗟に逃げるような行動を取ってしまったのか。

だがその瞬間、重大な事実に新一は気づいた。

(身体が軽い……?)

そういえば頭もすっきりしている。

たった七時間の、それもお世辞にも寝心地がいいとは言えない土手で
の仮眠で三日分の睡眠不足が解消されるとは思っていなかった。
徹夜の後に寝て起きても身体がだるく頭が重いのが常だ。
しかも、他人の隣ではぐっすり眠れないだろうと思っていたのに。

「お前……」

一言も喋らずに、いまだ目を丸くして新一を見ている少年に、新一は
身構えたままの体勢で話しかけた。


「俺のうちに、来ないか」


























唐突に始まる同居。
それぞれの組織戦を終えて、心に傷を負った二人が立ち直っていく話、
になる予定です。



14/04/16