名探偵を抱きかかえてゆっくりと砂浜に降り立つ怪盗。
(降り立つシーンは合成だが)
『ったくよー、いくらテロリストに人質取られて脅されたからって、飛行船から飛び降
りんじゃねぇよ。俺がいなかったらどうすんだ』
『バーロー。お前なら絶対に助けにくるって信じてたぜ』
『…………何て殺し文句』
『あ?』
『何でもねぇよ』
結局、監督の推しがあって、向かい合って抱き合う体勢を取ることになった。
のだが。
「監督! 何でこっちはお姫様抱っこなんですか!」
「え? ああ、ヘリから飛行船に乗り移るシーンね。いやだって、最初の飛行船から落
ちるシーンでは状況的に向かい合わせに抱き合うのが一番いいからさ、2回目の方では
お姫様抱っこが見たいじゃない。せっかくなんだから」
「せっかくって何ですか!」
「視聴者サービスだよ」
キッドと共謀してヘリから飛び降りるシーンでのお姫様抱っこに新一は抗議したが、あっ
さりといなされた。
「っていうか工藤軽すぎだよ。ちゃんと食べてる?」
「ロープで吊ってるから軽く感じんだよ」
「いや、それにしても……」
快斗が新一の腰回りをじっと見つめる。
「……よし、工藤、この後一緒にご飯食べよう」
「え?」
「駄目? ほら、明日撮るシーンの相談もしたいし」
「いや、駄目じゃねーけど……」
「なら決まり!」
あとで控室に迎えに行くから、と言って快斗は颯爽と立ち去った。
「工藤君」
呼ばれて振り返ると、自分のマネージャーが立っていた。
「ああ、志保。ちょうどよかった、俺この後――」
「わかってるわ。黒羽君と食事をするんでしょう?」
「ああ」
二人で控室に戻ると、志保が口を開いた。
「工藤君、最近あの人と仲がいいのね」
「ああ、黒羽のことか? まあ、いい奴だしな」
「それだけかしら」
「え?」
内心どきっとして振り向くと、志保は意味深な笑みを浮かべていた。
「な、何だよ」
「いいえ? ただ、最近のあなたの演技力、さらに磨きがかかってると思って」
「演技力?」
「ええ。特に今日の飛行船から落ちてキッドに助けられるシーン。正面から抱きしめら
れた瞬間にあんなにはっきりと赤面するなんてすごいわね。名探偵さんが怪盗キッドを
意識してるのがしっかり伝わってきたわよ」
「あ、あれはっ……」
新一は慌てたが、適切な言いわけが咄嗟には思い浮かばなかった。
打ち合わせ通り正面から抱きしめられた瞬間、あの夜、快斗の部屋でリビングの床に押
し倒され、強い力で抱きしめられた記憶が蘇ったのだ。
熱い体温、逞しい腕、首筋に当たるくすぐったい髪、ふわりと香る快斗の匂い。そして、
押し殺された声。
台本通りの台詞だとわかっているのに、新一の心を揺さぶった。
「それじゃ、今晩は楽しんでらっしゃいね」
軽く言われた言葉にも、新一は素直に頷けなかった。
***
「……で、何でお前ん家なんだよ」
「え? 嫌だった?」
一緒に食事、と言うからてっきりどこかの店に連れて行かれるのかと思いきや、連れて
こられたのは先日訪れたばかりの快斗のマンションだった。
「せっかくだから、腕を揮おうと思ったんだけど」
「嫌じゃねぇけど、仕事の後なのに疲れてねぇか?」
新一が少し申し訳なさそうに言うと、快斗は笑って首を振った。
「大丈夫だよ、料理はわりといつもやってるからね。悪いんだけど、できるまでちょっ
と待っててもらえるか? 何か嫌いなものある?」
「いや、ねぇけど……あの、俺にも何か手伝えることあるか?」
ただ待ってるのもつまらないし、何より料理をする快斗を少し見てみたい気がした。
新一の申し出に快斗は、それじゃあスープをよろしくと言って野菜を渡してきた。
新一が鍋を火にかけている間に、快斗はてきぱきとマッシュポテトと付け合わせの野菜
を拵え、下ごしらえをした分厚い肉を絶妙な火加減とタイミングで焼く。
新一がそのかなり手慣れた様子に感心しながらスープの味見をしていると、今度はソテー
のソースをつくっていた快斗がスープの鍋を覗きこんできた。
「そっちも美味しそう。ちょっと味見させてよ」
快斗はそう言うやいなや、新一の手首を掴んで引き寄せ、新一が味見に使った小皿に若干
残っていたスープを舐めた。
「なっ……」
「ん、美味しい」
固まった新一を余所に、笑顔を浮かべる快斗。
「お、おま……」
「ん? ……あ、もしかして工藤、今ので照れてる?」
「て、照れてなんか……!」
「へぇ?」
にやりと笑った快斗が、ただでさえ近かった距離をさらに縮めてきた。
新一が逃げようとする前に、するりと腰に手を回す。
「今のじゃちょっとわからなかったから、もう一度味見させてほしいな〜。ね、工藤?」
「わ、わ」
顔を近づけてくる快斗に、新一は頭が沸騰するかと思った。
が、先に沸騰したのは新一の頭ではなかった。
「く、黒羽!」
「ん〜?」
「スープが!」
「え?」
驚いてコンロを振り返った快斗の脇から手を伸ばして、急いで火を消す。
「ふぅ、よかった」
ほっと息をつくと、快斗がソテーを皿に盛り付け、スープをよそった。
「さて、食べよっか」
***
快斗は焦っていた。
ここのところ、自分でもわけのわからない感情に取りつかれている。
特にさっきのはだいぶ危なかった。あからさまに恥ずかしがった新一をちょっとからか
うつもりが、うっかり本当にキスするところだった。
キス。
何でそんなことしようと思ったのだろう。
いや、しようという意識はまったくなく、ただ気がついたら顔が吸い寄せられていた。
ちらりと新一を盗み見る。
今は食事が終わって、リビングに移動していた。軽くウィスキーを飲みながら、二人と
も台本を開いている。
一応、話し合いも兼ねて食事に誘ったのだ。と言っても、それは誘うための口実でしか
ないのだが。
そういえば前の夜も、ここで共演シーンの話し合いの最中であんなことをしてしまった
のだった。
「うわぁ」
思い出すと心臓が速くなる。
顔が熱くなって、誤魔化すようにテーブルに突っ伏すと、新一が訝しげに快斗を見た。
「黒羽? 大丈夫か? やっぱり疲れてるんじゃ……」
「いや! 大丈夫だから。それでえーっと、アクションシーンだけ先にまとめて撮るっ
て言ってただろ?」
「ああ。ロープ吊るす装置借りてるうちにな」
「次のシーンはヘリから飛行船に降り立った直後の……」
言いかけて気がついた。
この状況で話し合うには、あれは何だか結構、まずいシーンじゃなかっただろうか。
「大丈夫だ、適当に服の中探ればいいんだろ?」
「うん……でもちょっと、気になることが」
「何だ?」
「明日の俺の衣装、下着も用意されてる」
「…………」
それはつまり、下も脱がせということか。
「ま、まあ、男同士だし、そんなに不自然なことではないよな」
「そうだよな。しっかし、この状況でズボンまで脱がそうとするなんて、慌て過ぎだよ
な。名探偵のえっち〜」
「うっせーよ。お前のパンツなんか見たって何とも思わねーっつの」
「ええ〜、ホントに〜?」
快斗が少し不服そうに、「今日のパンツは気合い入ってんだけどなー」などと馬鹿げた
ことを言うので、新一はため息を吐いて徐に手を伸ばした。
快斗のベルトに。
「え? えっ? く、工藤さん……?」
「んだよ、お前が気合い入ったパンツとか言うから、俺様が見てやろうとだな」
「いやいやいや、だからっていきなり脱がそうと……」
「じゃあ脱げよ」
どーん。
そんな効果音が付きそうなほど男らしく言ってのけた新一に、快斗は危うく頷くところ
だった。
はっとして新一をまじまじと見つめると、何だか頬が少し赤い。もしかしなくとも、こ
れは酔ってるんじゃなかろうか。
「工藤、今日は泊まってけよ。ほら、風呂貸すから」
「……ああ、そうだな」
意外にもすんなりと聞き入れて、新一は立ち上がった。
「こっちだよ」
快斗が手を引いて風呂場まで連れて行く。
「入ってる間にタオルと着替え持ってくるから。服は洗濯機に入れとけな」
そう言って快斗がドアを閉めようとすると、腕を掴まれた。
「何?」
「お前も入れよ」
「へ?」
「パンツ見てやるから」
「え、ええっ?!」
どうやら妙に聞き分けがよかったのは、快斗のパンツを見るためだったらしい。
足がふらついていなかったからそれほど酔ったわけではないと思っていたのだが、すっ
かりおかしなテンションにはまっている。
度数の高いウィスキーをロックで飲んでたのがまずかったのか。
「早くしろよ」
少し呆けてた間に、新一の手がベルトのバックルにかかる。酔っ払いとは思えないくら
い淀みない手つきであっさりベルトを外された。
「わー! わー! ちょっ、くどおぉぉぉ!!」
抵抗も虚しく、快斗のズボンが下ろされる。
「……なんだ」
新一は快斗の下半身をまじまじと見つめ、ぽつりと呟くように言った。
「普通じゃねーか」
「え」
あっさりと快斗を解放すると、新一は一人でバスルームへ入っていった。
「………え?」
何とも言えない気分で立ち尽くす快斗だった。
続
2012/08/20
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