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「なかなかいい店知ってんな」
「前に知り合いに教えてもらったんだ」

 そこまで高級でもなく堅苦しくもない、小さめのレストランだ。好みがわからな
かったから、無難なところでとりあえずイタリアンにした。

「で、一緒に仕事したモデルの子とか誘って来るわけだ」
「そんなことないって!」
「ホントかー?」
「ホントだって!」

 目が笑っているから、からかわれているのはわかるのに、何故か一生懸命否定し
てしまう。自分でもらしくないのはわかっているのに。

「悪ぃ悪ぃ。黒羽ってあんま浮ついた話聞かないからさ。実際どうなのかと思って」
「あー。つき合ってる人はいないよ」
「へぇ、でも周りが放っておかないだろ。お前ほどカッコ良ければ」
「俺ってそんなにカッコいい?」
「バーロ、本当はしっかり自覚ありのくせして」
「バレた?」
「バレバレだ」

 軽口を叩きながら食事をする。こうしていると、まるで古くからの友人のようだ。
体が雰囲気に自然と馴染んでいる。

「ここは食事に合ったワインを出してくれるから気に入ってるんだ。ワインは好き?」
「ああ、わりと」

 さきほどオーナーが持ってきたトスカーナのキャンティを味わう。香りを楽しみ
ながら口に含む、それだけの仕種がひどく様になるのだ、この男は。と二人が同じ
ことを考えていたのは二人とも知らない。

「っていうか工藤の方こそ、女性関係の話聞かないよね」
「俺の周りの女は何と言うか……一筋縄じゃいかないようなのが多いんだよ」
「でもファンの子たちもすごいっしょ」
「まあ……そういうのはきっと志保が何とかしてくれてんだろうな」
「志保って、あの美人マネージャー?」
「ああ」
「ふぅん」

 マネージャーのことが話題になると格段に新一の雰囲気が柔らかくなった。何だ
か少し、おもしろくない。

「なんだお前、志保のこと気になるのか?」
「違うよ」
「あいつはやめとけ」
「え、それってどういう……?」

 問い返したが、新一はそれには答えず、微妙な笑みを浮かべて曖昧に濁した。

(もしかして、工藤は彼女のことが好きなんだろうか……。)

「まあ、確かに彼女綺麗だけど、何となく雰囲気がなぁ……うちのとこの社長を思
い出すから、ちょっと苦手かもしんねーわ」
「あー、彼女な。わかるかも」
「え? 工藤うちの社長知ってんの?」
「えっ。いや、面識があるわけじゃねぇんだけど。小泉さん、だろ? あの人何か
と有名だし」
「ああ、なるほど」

 どことなく落ち着きなくグラスに手を伸ばす工藤をちらりと盗み見る。

「マネージャーさん、元モデルって言ってたっけ」
「あ……まぁ、な」
「?」

 さっきからどうにも歯切れが悪い。

「そのことなんだけどな、できればオフレコで頼む」
「それは構わないけど」
「悪いな。お前相手だと何故か口が軽くなっちまうみてぇ」

 それはそれで信頼してもらえているようで嬉しいのだが。

「大丈夫、口の堅さは信用してくれていいぜ。だからもっと飲んでどんどん喋っち
まえ」
「何だそれ」

 ワインをなみなみと注ぐ快斗に、新一はくすくす笑った。


                 ***

「この後どっか飲み直しに行く?」

 それならいい店知ってるけど、と提案した快斗に、新一は申し訳なさそうに言っ
た。

「悪い、明日朝から別の仕事が入ってんだ」
「そっか。それならしょうがない」

 明後日からはまた二人ともドラマの撮影が入っている。第一話の最初の方のシー
ンがまだまだ残っているのだ。明日は警察のシーンばかりで、二人は行く必要がな
いのだが。

「第一話は一緒に撮るところないからな。本当の共演は次回に持ち越しってわけだ」
「焦らすねぇ」
「ファンを? それともお前を?」
 
 面白そうに尋ねた新一に、快斗はにやりと笑って答えた。

「もちろん、両方」



                 ***



 翌日、快斗は朝から事務所に顔を出していた。社長に会うためだ。

「わざわざあなたの方から私に用だなんて、一体どうしたのかしら。今日オフなん
でしょう?」
「ちょっと訊きたいことがある」
「何かしら」
「工藤新一のこと、だ」

 注目の若手俳優、工藤新一。快斗のように多くの出演依頼に応えているわけでは
ないようで、最近は映画にしか出演していなかったようだが、それでも若手の中で
は最も人気のある俳優だろう。

 主演はもちろん、主役を立てる脇役も相応にうまく務めるというのだから、演技
力は相当のものだ。母親が伝説の銀幕スター、藤峰有希子でありながら、彼女の息
子であること以上に工藤新一自身のネームバリューが業界内外で認められているの
も頷ける。

「工藤新一のことを知りたい、ですって?」
「ああ」
「何でまた」

 単なる共演者のことを気にするような男でないのは知っている。

「何でだろうな。俺にもよくわからねぇ」
「わからないって……」

 珍しいものを見るように、紅子は目を少し丸くしている。

 何しろひどく器用で大抵のことは何でもこなすこの男の物事の基準は、興味があ
るかないか、それだけだ。
 他人に対する感情も同じように処理するきらいがあって、自分の中ではっきりと
割り切って位置付けできない人間など、今までいなかったに違いない。

「あなたでもそんなことあるのね……」
「あ? んだよ」
「いいえ、何でもないわ」

 この仕事を通して、良くも悪くも彼は変わろうとしているのかもしれない。紅子
は小さく微笑んだ。

「でもそんなこと、ネットで検索すれば、公開されている情報はすぐに見つかるじ
ゃない」
「…………」

 快斗はばつが悪そうに目を逸らした。

「つまり、非公開の情報がほしいのね?」
「……ああ」
「何故、私に訊くのかしら?」
「知り合いなんだろ? 工藤と」
「……彼がそう言ったの?」
「ああ。違うのか?」

 昨夜の新一の態度から推測しての鎌かけだったのだが、読みが外れたのだろうか。

 しかし紅子は少し考えるような素振りを見せてから、曖昧に頷いた。

「知り合い、と言えばそうなのかもしれないわね」
「何だよそれ」
「複雑な事情があるのよ」

 知り合いだという事実が公になったらまずい事情でもあるのだろうか。少なくと
もその事情を話すつもりがないことは察することができた。

「と言っても、私が知っていることも多くはないわよ」

 そう前置きしてから、紅子は話しだした。

「工藤新一が俳優としてデビューしたのは結構最近のことなのよ。まだ3年も経っ
てないんじゃないかしら。デビュー作のドラマでは脇役だったけど、素晴らしい演
技力ですぐに脚光を浴びたわ。ちなみにそのドラマの監督と脚本家は、今あなたた
ちが共演しているドラマと同じ二人なのよ」

 だから彼も出演を快諾したんじゃないかしら、と紅子は言う。

「でも彼のデビューまでの経歴は謎に包まれているの」

 どこの劇団、あるいは養成所に在籍していたのか、あるいはどこにも在籍してい
なかったのか、デビューのきっかけは何か、オーディションを受けた記録がないの
にどこで監督の目に留まったのか、あるいは誰の推薦だったのか。

「世間は彼が藤峰有希子――今は工藤有希子だけど――の息子としてデビューのチ
ャンスを掴んだと思っているけど、実は、彼が工藤有希子の息子だとわかったのは
デビューから一年以上経ってからなのよ」
「藤峰有希子の名声は、工藤には関係なかったってことか」
「もちろんよ。七光りなんて言葉は、彼を侮辱するだけだわ」
「ずいぶん認めているんだな」

 珍しい、と暗に言うと、紅子は鼻で笑った。

「認めているんじゃないわ。尊敬しているのよ」

 この女から尊敬という言葉を聞けるとは思わなかった、と快斗は内心驚愕した。
そして同時に、工藤新一の一体何が紅子にそこまで言わせるのか気になった。

快斗の促すような視線に、紅子は意味深に微笑んだ。そして快斗は逆に眉を顰めた。
紅子がこういうふうに笑むのは、何かを企んで面白がっている時だ。

「前に彼と仕事をしたことがあるの」

 紅子は数年前まで、海外でも認められるほどのモデルだった。
 
 それが何を思ったのか、突然日本に帰国してモデル事務所を設立し、若きモデル
たちを育てる側に回ってしまった。

「彼は確かに、そう、美しかったけど、それは外見だけのものじゃないわ。彼の全
身から澄んだ気配が発せられていて、私でさえ彼の存在感に気圧されないように大
変だったわ。特に彼の瞳ね。とても真っ直ぐで、見透かされているような気になる
の」

 紅子は少し懐かしそうに目を細めた。

「不思議な人よ。外見なんて、彼の輝きには関係ないんだわ」

 それから快斗を見ると、また例の意味深な笑みを浮かべた。

「私が言えるのはこれだけよ。さあ、私も仕事があるの。あとは自分で……本当の
彼を見つけなさい」



                 ***


「本当の、工藤新一」

 紅子の言った言葉を反芻する。それが何を意味するのかはまだわからないが、き
っと彼女はヒントをくれたはずだった。

 もどかしい、この気持ちが何なのかはまだわからないが、快斗は俄然燃えていた。
クランクアップまでに、絶対に工藤新一の秘密を暴いて見せると。














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工藤が気になる黒羽。




2012/04/27