(16)




ドラマの最終回の撮影の合間の休憩中、新一は険悪な雰囲気を隠しもしなかった。
いや、険悪というよりは徹底的に快斗を拒絶するような雰囲気を醸し出していたため、
快斗も近寄ることは諦めたのだが、周りのスタッフはそんな二人に戸惑い、喧嘩でも
したのかと勘ぐっていた。

こちらを見ようともしない新一を、離れたところから快斗は見つめる。

「本番いくよー!」

監督の声がかかった。




                   ***



好敵手の負傷にキレた怪盗が、組織の本部にいよいよ乗り込んだ。
出くわす敵と単身戦いながら、気取られぬよう静かに、しかし確実に中枢へと迫って
いく。

その頃、目を覚ました探偵が、協力者の情報屋に、怪盗が動きを見せたらしいと聞き
慌てて情報を探り出した。
ベッドの上で傷の痛みと熱に脂汗を滲ませながらも、自分を置いていき無理な戦いを
仕掛けた怪盗に強い光を宿した瞳で『ふざけやがって』と一人呟いた。





高層ビルの47階の廊下は静まり返っていた。
長い廊下の先、たった一つしかない扉を躊躇いなく開け放つ。

その男は、悠然と怪盗を待ち構えていた。

『待っていたよ、怪盗キッド』

重厚な椅子に座りながら振り返った男の手には、銃が握られていた。

『アンタがこの組織のボスだな』
『その通りだよ』
『パンドラを渡せ』

言い放った怪盗に、男はやれやれと首を振った。

『ここまで辿りついたことは褒めよう。しかし、君にはここで死んでもらう』
『上等だ。やれるもんならやってみろ』

言うや否や、キッドは閃光弾を落とした。

『甘いな』

眩しい光の中、銃弾が飛んでくる。
一つがキッドの肩をかすって皮膚を抉った。

『くっ……』
『そんなおもちゃのような銃で私を殺せると思っているのか?』

光が収まり、男がサングラスを外す。銃口はまっすぐ、キッドに突きつけられたまま
だ。
キッドはトランプ銃を構え直した。

『生憎と……』

次の瞬間、キッドの胸元から大量のトランプが溢れ出た。

『なにっ?!』

部屋の中を舞うトランプに紛れて、一枚の札が男めがけて放たれた。
庇おうとした手に直撃し、傷をつける。

『この程度……っ?! しまっ、た…………』

男は床に崩れ落ちた。キッドはゆっくりと男に近寄り、縁に麻酔が塗ってあったカー
ドを回収した。

『……てめぇなんか殺す価値もねーよ』


キッドは男の懐を探り、鍵を探し当てた。そして壁を飾る絵画を外し、現れた金庫に
差し込む。
幻の宝石を隠す場所としてはあまりにオーソドックスすぎるが、不老不死を手に入れ
ようとするような馬鹿げた男なのだから、こういう形式的なところにこだわるのかも
しれない。

大きな金庫のなかにはただ一つ、あの夜に盗み出した宝石が転がっていた。

壁一面を占めるガラス越しに見える満月に宝石を翳す。一度見た赤い光が再び燈った。

『こんなもののためにっ……』

キッドは宝石を床に叩きつけようと、腕を振り上げた。

その時。

『ま、待て! その宝石を壊したら後悔するぞ!』

気絶していると思っていた男がかろうじて意識を取り戻していたようで、男は床に転
がったまま叫んだ。

『貴様に究極の選択をさせてやろう』
『究極の選択?』

怪盗は嘲笑うように問い返した。
今の自分には、パンドラを破壊し組織を潰すという目的以外に優先すべきことはない。
たとえ、その代償が自分の命だとしても。

だがそれを見越していたように、男は笑みを浮かべて言った。

『君が天秤に掛けなくてはならないのは、パンドラと―――工藤新一の命だ』

怪盗は息を呑んだ。

『な、んだって……ハッ、そんなもの―――』
『それが君の答えなら、私はここにあるボタンを押すだけだ。そうすればすぐさま私
の部下へと合図が発信される』
『部下?』

目を眇めるキッドに、男は嫌な笑いを浮かべた。

『優秀な情報屋だ』
『……おい、まさか………』
『気づいたかな? 私の部下は、ずっと彼の近くにいたのだよ』
『てめぇ……!』
『おっと、気をつけたまえ。今私が君の麻酔銃を食らったら、この手がそのまま落ち
てボタンを押してしまうよ? そしてそうなれば、今もあの探偵の傍にいる私の部下
が、いとも容易く彼の背中に銃弾を放つだろう』

男はボタンの上にゆらゆらと手を翳しながら言った。

『さあ……答えは決まったかな?』
『……俺がパンドラから手を引いたとして、お前が名探偵に手を出さない保証はない』

苦々しく言うと、男は笑みを深めた。

『保証など甘いもの、この世界には必要ないのだよ』







カチリ、と背後で聞き慣れた独特な音がして、探偵はパソコンに走らせていた指を止
めた。

『どういうつもりだ? …………ベルモット』

探偵は振り返ることなく言った。
そこには、つい数分前までベッドの傍らで見舞い品のりんごを勝手に食べていた協力
者であるはずの情報屋――ベルモットが、サイレンサーつきの銃を構えていた。

『悪く思わないでね。これも命令なのよ。あの怪盗を始末したらあなたのことも口封
じしろってね』

突然の仲間の裏切りに、しかし探偵は背を向けたまま微動だにしなかった。

『なるほど……このタイミングってことは、俺の命を取引材料に怪盗を脅すつもりか』
『さすが名探偵、そこまでお見通しなのね』
『しかしおかしな話だな。探偵が怪盗にとって枷になるとでも?』
『ふふ。相変わらず、自分の価値には鈍感なのね。自分が向けられている感情を理解
しなきゃ、あの怪盗が可哀そうよ?』

ベルモットがおかしそうに言った。
それに探偵は相変わらず背を向けたまま、臆することなく言った。

『自分の価値、か。俺は十分、俺の価値を理解しているつもりだぜ? 例えば……こ
うしてアイツの手を逃れたお前を捕まえる役回り、とかな』
『この状況でずいぶんな自信ね、探偵さん』
『いいのか、ベルモット? お前はこの間から俺への見舞いの品をさり気なくチェッ
クしていたつもりかもしれねぇが、さすがに昨日青子ちゃんが持ってきたお菓子の袋
は、見過ごしたようだな』
『え?』

ベルモットが青子の持ってきたビニール袋に気を取られた一瞬の隙に、探偵は布団の
下から掌サイズの小型拳銃を取り出し、振り向きざま撃った。銃口から飛び出したの
は銃弾ではなく麻酔針で、ベルモットは床に崩れ落ちた。

『なん、ですって……?』
『白馬に頼んで、青子ちゃんの見舞い品の中にこっそり仕込んでもらったんだよ。そ
もそも白馬がつい数ヵ月前から怪盗の協力者になったことを知らずにノーマークなん
て、情報屋のくせに詰めが甘いな』
『ど……うして……』

倒れ伏すベルモットを見下ろして、探偵はナースコールを押しながら悠然と言った。

『俺は最初から、お前のことを信用してなかったんだよ』








『……わかった』
『答えが出たようだな』

怪盗キッドは険しい顔のまま、振り上げていた腕を下ろした。

『パンドラは諦める。だから、名探偵には手を出すな』
『ほう。君にはよほどあの探偵が大事と見える』
『さっさと部下に伝えろ! 名探偵には一切手出し無用と』
『伝える。だがその前にパンドラだ』
『……くそっ』

キッドはパンドラを強く握りしめ、唇を噛んだ。

そして男を射殺すほど睨みつけながら、パンドラを放った。















ドラマ部分すら終わらなかった、だと……?







2012/09/17