(15)




「カットカット!」

監督の鋭い声と共に、周りのスタッフの困惑したざわめきが聞こえる。

「ちょっとどうしたんだい、二人とも。体調でも悪いのかい?」

いつになく演技に身が入っておらず、NGを連発している極めて珍しい状態の二人に、
監督も心配そうだ。

「すみません……」

謝る新一の表情は硬く、いつもなら明るく場を賑わす快斗もぎこちない。二人の間に
気まずい空気が流れているのは明らかだった。

結局予定を変更し、二人一緒のシーンは後回しにして、個々のシーンから撮っていく
ことになった。



病院の薄暗い廊下を、険しい表情で歩く快斗。

『ぜってー許さねー』

新一が眠る病院を一度だけ振り返り、決意したように闇の中へと消えた。


一方、救命器具をつけられた新一が、ブラインドの隙間から差し込む朝陽に照らされ
て、ゆっくりと瞼を開けた。



                  ***



「お疲れ様です」

挨拶をしてさっさと帰ろうとした新一を、快斗は慌てて追いかけた。

「おい工藤! ちょっと待てって」

追いかけてきてるのはわかっているはずなのに無視を決め込んだ新一は、肩を掴まれ
てようやく振り返った。
そんな態度に、快斗はぎゅっと眉を寄せた。

「何か用か? 悪いけど、俺今日は忙しいんだ」
「話がある」
「俺はない」
「いいから来いって!」

快斗は新一の腕を掴むと、強引に引っ張っていった。

「お、おい!」

廊下に出てきた何人かのスタッフが何事かと驚いているのもかまわずに、快斗は強引
に新一を駐車場まで連れて行き、車に押し込んだ。


終始無言のまま二人は快斗のマンションに到着した。

「ちょっと座って待ってろ」

新一をリビングのソファに座らせると、快斗はキッチンに入っていった。
そして間もなくアイスコーヒーのグラスと、先日新一がこの場所で見つけた昔の写真
集を手に戻ってきた。

「……何なんだよ」
「何なんだよはこっちの台詞だって。どうして一昨日、いきなり出てったりしたんだ
よ?」
「別に」

ふい、とそっぽを向く新一に、快斗は押し殺したような溜息を吐いた。
視線を逸らしながらも、新一が快斗の持つ写真集を気にしているのは明らかだった。

「……これが原因なんだろ?」
「…………」
「いいか、確かに俺は、お前が昔女装してモデルやってたことを確認するつもりで、
お前の中学時代の写真を要求した。それは認める」
「やっぱり! 俺のことこそこそ嗅ぎ回りやがって。……どういうつもりだ? マス
コミにリークでもすんのかよ」
「んなことしねぇよ」
「じゃあ何だ、それをネタに俺を脅そうってか?」
「だから、んなことしねぇって」
「はっ、どうだかな」

視線を合わせないまま、新一は嘲るように鼻で笑った。
だがその顔は辛そうに歪んでいて、快斗は新一のそんな顔を見ているのが耐えられな
くなった。

「〜〜〜っ、ああもう! こっち見ろって!」

新一の胸倉をぐいっと掴んで、無理やりこっちを向かせる。
拍子に襟元のボタンが一つはじけ飛んだが、気にしている余裕はなかった。

「おいてめぇ、ボタンが――」
「いいから聞け! 俺は別に、お前が女装してモデルしてた過去があろうと、それを
誰かに言うつもりもなければ、お前を脅そうなんて考えてもねぇ。そりゃ女装姿があ
まりに自然だったから、びっくりはしたけど、お前が女装してようとしてなかろうと、
そんなの―――」
「女装連呼すんな!……うわっ!」

新一がキレて快斗を押しのけようとした時、快斗が新一の襟を離さなかったために、
二人はバランスを崩して縺れ合うようにソファに倒れ込んだ。新一が快斗の上にのし
かかる形で。

その時、新一のシャツからもう一つボタンが飛んだ。
シャツの割れ目から現れた白い肌に、快斗の目が吸い寄せられる。そのなめらかさに
思わず喉が鳴って、そしてそれに気づかぬ新一ではなかった。

「っ、結局そういう目で俺を見るのかよっ。俺は女じゃねぇ!」
「ちがっ……」

快斗の手の力が緩んだ隙に今度こそ襟から引きはがすと、伸ばされた手をすり抜けて
新一は玄関へと走った。

「―――何で俺に近づいたんだよ……」

出ていく寸前、新一が苦しそうに呟いた。俯いた顔はよく見えなかったが、快斗には
泣きそうに見えた。

「工藤!」

目の前でバタンと閉まったドアに、快斗は立ち尽くした。

「くそっ……」

壁に拳を打ちつける。
そして唐突に訪れた静寂が、非情に感じられた。









「こんな夜中に一体何の用だよ」
『あら、今頃悩みすぎて眠れないだろうと思っていたのだけど』

自棄酒を飲みながら今までに放送されたドラマを見なおしている時だった。
今はあまり声を聞きたくない、けれど無視するとあとあと絶対面倒な人物からの電話
が鳴った。

「……何で知ってんだよ」
『あなたのことだから、そろそろそんなことになっているんじゃないかと思ったのよ』

社長――紅子は言った。

『――というのは半分嘘で、志保から連絡をもらったのよ。……工藤君が誰かさんの
せいで落ち込んでて手がつけられない、とね』
「何でそれでお前に連絡が行くんだよ……そう言えば、宮野さんに俺のことチクった
のお前だったな……」
『チクっただなんて人聞きが悪いわね。工藤君のことを心配している志保に手を貸し
てあげただけよ。私も、彼のことは気にかけているしね』
「つまり、もう工藤には近づくなってか?」

不機嫌を隠しもせずに言うと、紅子は電話の向こうで盛大な溜息を吐いた。

『まったく……鈍感にも程があるわ』
「おいっ」
『あなた、工藤君の過去についてはもう知ってるのよね?』
「ああ」
『それであなた、自分の気持ちとは向き合ったの?』
「自分の気持ち?」

訝しげに問い返すと、紅子が焦れたように言った。

『あなた、それを確かめるために彼のことを調べ始めたんじゃなかったの?』
「え………」

予想もしてなかったことを言われて、快斗は言葉をなくした。
初めて新一に会って共演して一緒に食事をした時。もっと新一のことを知りたいと思っ
た。もっと、彼に近いところに行きたいと思った。
その気持が一体何を意味するのか、その時はわからなかった。
けれど今は――――。

『彼はね、私にとっても大切な人なの。だから傷つけることは許さないわ』

紅子の、まるで快斗よりも新一に近いところにいるかのような言葉にむっとする。

「何でお前はそんなに工藤を気にかけるんだ?」
『……私の最後の仕事のことを知っているかしら』
「ああ、あの写真集な」

今、手元にある。
この仕事を最後に、紅子はモデルとしての活動を辞めてしまったのだ。

『当時私はモデルとして成功していたし、国内のモデルの中では断トツだと思ってい
たわ。誰も私の右に出る者はいなかった』
「すげぇ自信だな」
『事実だったわ。彼が現れるまではね。……あの写真家の被写体として選ばれた時、
もう一人の被写体として年下の女の子を紹介されたわ。確かに綺麗だったけど、身体
は未熟だし、まだ中学生だし、最初はただの私の引き立て役としか認識しなかったわ』
「それが、工藤?」
『ええ』

紅子は思い出すように言った。

『いざ撮り始めたら、驚いたわ。彼女、完全にオーラで私を凌駕していた。彼女の私
より小さな身体全体から滲み出る存在感に、私は気圧されたの。それでも写真の被写
体としては私がメインに据えられていたから、彼女以上の存在感を持って仕事しよう
と躍起になったわ』

紅子は自分の若さに、少し恥ずかしそうに苦笑した。

「それで、工藤を尊敬するようになったのか?」

負けず嫌いな紅子がそれだけで他人を尊敬するのがピンとこなくて、快斗は首を傾げ
た。

『いいえ、それだけじゃないわ。撮られていた時は必死だったから気付かなかったけ
ど、本当に驚いたのはその仕事の後、出来上がった写真を見せてもらった時だったわ。
彼女、私の引き立て役をしっかりこなしていたのよ』
「どういう意味だ?」

手元の写真集をパラパラとめくりながら、快斗は問い返した。
確かに写真の中の新一は、存在感こそあるもののあくまで紅子がメインなのだとわか
るような写り方をしていた。それは構図的な意味ではなくて、オーラ的な意味で。

『その写真集に写っている私は、それまでの仕事と比べても際立って輝いてるわ。自
惚れではなくね。そしてそれは……彼女が絶妙な存在感の調節で、私を挑発して真価
を引き出したからなのよ。あくまで、私の存在感を越えてしまわないようにね』

紅子は、ここに写っている中学生の新一はまだ、己の持つ相手を呑みこむような存在
感を抑えているのだと言う。

『完敗だと思ったわ。そして彼女ほどのモデルがいるのなら、私がその時モデルとし
て頂点に立っていたのはまやかしだと気づいたのよ。そんな見せかけの座に、私が甘
んじるはずないでしょう?』

だから思い切ってモデルを辞めたのよ、と紅子は言った。
それが、きっとほとんどの人間は知らない、紅子がその世界から抜けた理由だ。

『彼女が実は男だったというのは、その時に本人に教えてもらったのよ。私がモデル
を辞めるって打ち明けた時にね。おそらく、新しい道を選ぼうとしていた私への、彼
なりの敬意というか、手向けのようなものだったんじゃないかしら』

芸能事務所を立ち上げたのは、その後しばらくしてモデルを辞めてしまった新一を、
男としてでも自分の事務所に入れたかったからなのだと紅子は言った。

『そもそも、街で見かけたあなたに真っ先に声を掛けたのは、あなたがどことなく、
工藤君と似たオーラを持っていたからなのよ』
「似たオーラ?」

快斗は意外そうに問い返した。
快斗と新一は顔こそ似ていると言われるものの、雰囲気はまるで違うと言われがちだ
からだ。

『ええ。あなたたちって、きっと本質的なところで似ているのね』

紅子の声は、どこか嬉しそうだった。
そんな、滅多に聞けないような声色で、彼女は続けた。

『さあ、今度はあなたが考える番よ。工藤君と一緒に仕事をして、どう思ったのか。
これからどうしたいのか』





















過去の説明部分が予定以上に長くなってしまった…。
あと1話、くらい?




2012/09/12