(12)
佐久島ロケから帰って来てからというもの、二人を取り巻くスタッフの雰囲気がおかしい。
別によそよそしいわけでも気まずいわけでもないのだが、というよりむしろはしゃいでる
気がする。主に女性陣が。
いや、原因はわかっているのだ。
十中八九、あの「まくらなげ」事件(?)のことが他のスタッフに広まったのだ。いやも
しかしたらすでにあの時撮られた映像も見られているのかもしれない。
思い返してみればあの時頭の中にあったのは、ひたすら新一を構い倒したいという自分で
もよくわからない欲求だ。
くすぐられて涙目+上目づかいで懇願してきた新一の顔には一瞬ぐっときたが、別に疚し
い気持ちがあったわけではない。断じて。
ガコン。
自動販売機からオレンジジュースを取り出す。
誰もいない休憩所のベンチに腰掛け、プルタブを開ける。
「あら」
休憩所の入り口に立つ人物に気づいて、快斗は顔を上げた。
「あ、宮野さん、ですよね。工藤のマネージャーの」
「ええ。黒羽君だったわね」
志保は自動販売機の前にくると、小銭を入れてコーヒーのボタンを押した。
「ちょっと隣、いいかしら」
「あ、はい」
少し間をあけて快斗の隣に腰を下ろすと、志保はしばらく無言でコーヒーを飲んでいた。
少し気まずい空気の中、快斗がジュースを飲みきったのを見計らったように、志保が口を
開いた。
「あなた、小泉さんの事務所のモデルなのよね」
「え、はい」
突然の質問に、少し戸惑う。
「社長と知り合いなんですか」
「ええ。知ってると思うけど、私も元モデルだから。昔一緒に仕事したこともあるのよ」
活動していたのは同じくらいの時期だから、仕事が重なることもあったのだろう。
「どうしてモデル辞めちゃったんですか?」
確かに若手ではないが、辞めるほどの年齢でもない。実際、局内を歩いていて出演者と勘
違いされたこともあると新一がこっそり言っていた。
「始める理由はみんな似たりよったりだけど、辞める理由は色々あるのよ」
「もしかして、工藤のマネージャーをするためですか?」
「……工藤君がそう言ったの?」
「いえ、そういうわけじゃないですけど」
「そう」
志保は結局答えなかったが、きっとそうなんじゃないかと快斗は思った。
今までにこうして話すことはなかったが、おそらく新一のことを考えている時だけ、彼女
はその普段は無感情な瞳に色を浮かべる。
それは愛しさと罪悪感が混ざったような、複雑な色だ。
「そういえば、宮野さんと工藤って元々どういう知り合いなんですか? 長い付き合いだ
から、そのよしみでマネージャーやってもらってるって聞きましたけど」
「幼馴染なのよ。家が近いの」
「それじゃあ、昔の工藤のことも知ってるんですね」
志保が振り返る。探るような眼差しを受け止めて、快斗は胸元から一枚の写真を取り出し
た。
「っ、これ……!」
「工藤に見せてもらったんです」
新一の中学生時代の写真だ。
「工藤君が、あなたにこれを?」
「はい。温泉入ってる時にちょっと中学時代の話になって。見せてもらって吃驚しました
けど、何ていうか……」
「可愛い?」
言い淀んだ快斗の代わりに、志保が言う。
見透かすような瞳を向けられて、快斗は押し黙った。
ただ勝負するんじゃつまらないから、何かを賭けようと言い出したのは快斗だ。新一の中
学生時代の写真が見たいと言ったのも。
「……すごく、可愛いと思います。髪が長ければ女の子に見えるくらい」
快斗のゆっくりと慎重に発せられた言葉に、志保は額に手をやって深いため息を吐いた。
「小泉さんから連絡をもらったの」
「え?」
「あなたが、工藤君に興味を持ったみたいだって」
「えっ」
あの女バラしやがって、と心の中で毒づく。
「だから警戒していたのだけど。まあ教えてもらわなくても、あなたを見ていれば何とな
くわかったけどね」
「え」
どういう意味だろうと疑問に思う前に、志保は突然鋭い視線を向けてきた。
「あなた、なぜ工藤君に近づいたの?」
「それは……」
自分でもまだよく整理できていない感情だ。いや、本当は気づきたくないだけなのかもし
れない。
「単なる好奇心なら、これ以上彼の中に踏み込まないで。あなたの中途半端な気持ちが、
彼を苦しませているのよ」
志保は空になっていた缶をゴミ箱に捨てると、無言で歩き去っていった。
「……やっぱ、そういうことなのかな」
新一の写真を指ではじきながら呟く。
最初に疑念を抱いたのは、紅子のモデル時代の写真集やらCMやらポスターやらを漁ってい
る時だった。
紅子のモデルとしての最後の仕事となった有名写真家の写真集に、何枚か紅子と一緒に写っ
ていた少女。
何となく思い立って、元モデルだと言った志保の写真も探してみると、案の定その少女が
時折一緒に写っていた。ほかにも少女の写真を探してみたが、個人の仕事はないようで、
経歴も謎に包まれている。
最初はずいぶん可愛い子だな、くらいにしか思わなかった。確かに目は奪われるけれど、
細く儚い雰囲気の少女は、男前で鋭い眼光を放つ新一には結びつかなかった。
携帯に送られてきた、新一の中学生の頃の写真を見るまでは。
気になって昨夜、白馬に電話したのだ。
『お前、前に工藤が誰かに似てるって言ってたよな』
『ああ』
『それって……紅子と写真集に写ってた――』
『……気づいたのかい』
『確かめたのか?』
『誰に? まさか工藤君に? そんなこと聞けるわけないじゃないか』
『そうか……そうだよな』
『……黒羽君。これは結構なスキャンダルのネタだ。情報は慎重に扱ってくれよ』
『……わかってる』
中学生の新一は、今の男として成長した身体からは考えられないほど、小さくて儚げで、
それこそ女の子ように可愛かった。
顔にしても、大きい目とふっくらした唇と小さな鼻は今や全体的に鋭さを増して、綺麗と
いう形容が当てはまるまでに成長した。
何より雰囲気が違いすぎて、一見しただけでは気づかなかった。
けれど中学生時代の新一の写真を見れば、写真集の中で笑っていた少女と重なるわけで。
「はぁ……」
志保に釘をさされたこともあるが、快斗自身、秘密を知ってしまった今どういうふうに新
一と接すればいいのかわからなくなっていた。
いや、というより、自分がどう接したいのかが、まだわからなかった。
「黒羽ちゃーん」
休憩室の入り口から声を掛けられて、快斗は顔を上げた。
「監督」
「どうしたんだい、ため息なんか吐いて」
「あ、いえ……聞こえちゃいました?」
監督は自動販売機でコーラとココアを買い、ココアを快斗に差し出した。
「え、いいんですか?」
「うん。落ち込んでる役者を元気づけて良い演技させるのも監督の仕事ってね」
「あ……ありがとうございます。……っていうか俺がココア好きって知ってたんですか?」
「工藤君が前に教えてくれたんだよ。『あいつ、あんななりして甘党なんですよ』って」
勝手な想像だが、きっとからかうように、けれどいつもの優しい目をして言ったんだろう。
そう思うと、胸が熱くなった。ついでに頬も。
「君たちホント仲良いよね」
「あ……あの噂聞いたんですか」
にやにやして言う監督に、快斗が苦笑する。
「聞いたも何も、ばっちり映像を見たよ。あの体勢でまくらなげはないよね。いや〜、お
かげで現場が明るくなったよ」
「はは……」
快斗が乾いた笑いを洩らす。
すると、監督が不意に遠くを見るような目になった。
「工藤君もずいぶん変わったよ。前はあんなふうに笑ったり怒ったり照れたりする俳優じゃ
なかったんだよ」
「そういえば、監督は前に工藤と仕事したことあるんですよね」
「うん。彼のデビュー作だったね。彼は基本的に雰囲気が堅かったね……人づきあいは必
要以上にするタイプじゃなかったよ。まあ今も、黒羽君が特別なのかもしれないけどね」
「え……」
そういえば、快斗のヘアスタイリストが似たようなことを言っていたのを思い出した。
「まあ演技に幅ができて、よかったんじゃないかとは思ってるよ。やっぱり、黒羽君と組
ませたのは間違いじゃなかったみたいだ」
「俺も、工藤と組めて良かったです」
「そうかい。ま、仲がいいのはいいけど、襲う時は優しくしてやれな」
「か、監督……」
監督は立ち上がって伸びをすると、おかしそうに笑いながら休憩室を出ていった。
続
監督が出張っててすみません…。
2012/08/31
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