「はっ……はっ……」

アジト内のだだっ広い訓練場に、微かな息遣いが落ちる。

地下に造られた全面コンクリートの四角い部屋には窓もなく、時間帯は
おろか時間の経過もわからない。味気ない蛍光灯の明かりの下で、外界
の時の流れから遮断されたような感覚を味わいながら、一人汗を流す男
がいた。


「山本」

背後から声をかけられて、刀を下ろした。
衝撃に強い重厚な扉を開けたのは獄寺だった。彼の登場に気づかないほ
ど集中していたらしいと山本は内心苦笑する。

「こんな早くからトレーニングかよ。相変わらず筋肉バカだなテメーは」
「今何時だ?」
「六時」
「獄寺も早いな」

獄寺が肩をすくめる。

「用事か?」

首筋の汗を拭きながら問うと、獄寺は盛大に顔を顰めた。
それだけで、何の用事か大体察しがついた。

「あの二人のことだ」
「黒羽と工藤な。おもしろい奴らだよな」
「アホ! 絆されてんじゃねぇ!」

獄寺が目尻を吊り上げる。

「百歩……いや千歩譲ってあいつらがそこそこ有能な奴らだとしても、
そして十代目の直感を信じて今回は味方だとしても、だ! あいつら、
何か怪しい。絶対に何か隠してやがるぜ」
「例えば?」
「例えば! あいつら、一体どういう関係なんだ?!」

獄寺が喚くのを、山本は帰り支度をしながら話半分に聞いていた。

「親戚じゃないのか? 顔似てるし」
「苗字が違う。それに黒羽盗一と工藤夫妻が血縁関係にあるなんて情報
はねぇ」
「じゃあ友達」
「男二人が一緒に海外旅行? そもそも一人は仕事で来てたんだぞ」
「なら恋人じゃねーの?」
「こっ、恋人?!」

山本がさらっと言った言葉に、獄寺がうろたえる。

「い、いい加減なこと言うんじゃねぇ! 男同士で恋人とか、そんなわ
け……」
「でも、確か部屋一緒だったよな?」

アジトに滞在中の部屋を与えられた時、快斗が同室で良いと言ったのだ。
新一の方も反論はしなかった。

獄寺が顔を赤くして力いっぱい否定する。顔が赤いのは怒りのせいか、
それとも。
変なところで初心なのだ、この男は。

「じゃあ、確かめに行こうぜ」
「はっ?」
「二人の部屋に行ってみよう」
「なっ、まだ六時だぞ、寝てるだろ!」
「だから行くんじゃねーの?」
「!」

口をぱくぱくさせる獄寺をそのままに、山本はさっさと訓練場をあとに
した。



              
 
探偵とマジシャンにあてがわれたのは客室の一つだ。
客室は屋敷にしては高い四階建ての二階にある。最上階の綱吉の部屋に
近すぎず、窓からの見晴らしはそこそこいい部屋だ。かと言って、高い
木に囲まれた立地で、遠くに信号を飛ばすことは叶わない位置どり。
 
ドアの前に立って、獄寺は緊張で唾を飲み込んだ。一方隣に立つ山本か
らは緊張感の欠片も感じられなくて、そんな山本を恨めしく思ってひと
睨みした。
 
客室のほとんどは一人部屋だ。従ってベッドも一人用。
この部屋は例外的に、「ラルとコロネロみたいに、夫婦で訪ねてくるマ
フィアもいるから」という綱吉の進言で作らせた二人部屋だ。
ベッドも、ダブル。
 
「ほ、本当に勝手に入っていいのかよ……?」
「大丈夫だろ」
 
昨日さんざん二人に噛み付いていたくせに尻込みする獄寺に、山本が軽
い調子で言ってドアノブに手をかけた。
 
「あ、おいっ」
 
 
ボンッ
 
 
その瞬間、黒い煙が上がった。
 
「山本!!」
 
獄寺が叫び、山本にタックルしてドアから遠ざける。
衝撃に尻餅をついた山本はきょとんとして固まっていた。
 
「大丈夫かっ、山本!」
 
煤のような黒い粉で真っ黒になった山本の顔を覗き込む。目のところだ
けが白くて、パチパチと瞬きする様は少しおかしかった。
 
 
『オハヨウ、ゴザイ、マス……オハヨウ、ゴザイマ、ス……』
 
突然機械の声がして振り返ると、ドアの上の方からバネで吊り下がった
コミカルな顔のおもちゃが、びよんびよん揺れながら喋っていた。
少し不気味だ。
 
「な、何だ……」
 
すると、ガチャリとドアが開く。
 
「あれ? 獄寺君と山本君。おはよう。二人とも早いね」
 
顔を出したのは黒羽快斗だった。
 
「何か用だった?」
「いや、別に……」
「そ? ……ふぁーあ、よく眠れた」
 
快斗があくびを噛み殺す。
 
「なぁ、朝ごはんって何時?」
「一応、八時半ってことになってるが、もっと早めがよければキッチン
に言えば――」
「ああ、いいよいいよ。新一もまだ寝てるし」
 
快斗はドアを後ろ手にそっと閉めてから、ブラブラとぶら下がっている
おもちゃを回収した。
 
「それ、何なんだ……?」
 
山本が恐る恐る尋ねる。
 
「これ? びっくり箱用に作ったのを改良したんだ〜。防犯装置にね」
「びっくり箱……」
「防犯装置……」
「そ。だって何かちょっとドキドキするじゃん? マフィアのアジトに
泊まるのなんて初めてだからさー」
「…………」
 
普段の山本に負けず劣らず爽やかな笑顔で言う快斗に、二人は顔を見合
わせた。
 
「山本君、それ早く落とした方がいいよ。せっかくのイケメンが台無し」
「あ、ああ」
「……早くに邪魔したな」
 
ようやく立ち上がった山本と獄寺は、何だかすっきりしないまま、とに
かくその場を去ろうと快斗に背を向けた。
 
「うん、本当に早いよ」
 
数歩も行かないうちに、二人の背に声が届く。
 
「新一の寝顔を見ようなんざ一万年早ぇんだよ」
 
 
振り向くこともできないまま、凍ったように動けなくなった二人を置い
て、パタンと扉の閉まる音がする。
廊下の窓から暖かい朝日の光が降り注いでいるというのに、そこの空気
はまるで冷凍庫の中のようにひやりと重かった。
 
別に工藤新一の寝顔が見たかったわけではないが、どうやら部屋への奇
襲は黒羽快斗の許容ラインを飛び越えてしまったらしい。
結果的に二人の関係を何となく察してしまえたことに喜ぶべきか、一介
のマジシャンの凄みに気圧されたことに落ち込むべきかわからない獄寺
と山本だった。
 
 
 
               ***

 
 
「うーん……」
 
作戦室で、ホテルの間取り図を映し出したモニターを睨んでいた新一が、
唸り声を上げた。
 
「どした?」
 
快斗が拾って声をかける。
 
「いや、全員が超小型レシーバーを持つのはいいとしても、ちょっと不
安が残るんだよな。潜入は息が合わないとぜってぇ上手くいかねぇし」
「ああ、確かに。俺と新一はともかく、他の奴らと組むのは初めてだも
んなぁ」
「誰がどういう時にどういう行動を取るのか……圧倒的にデータが足り
ねぇ。あいつらにだって俺らの行動は予測できねぇだろうし」
「んで? 平成のホームズ様はどうするつもりなわけ?」
 
快斗の茶化した問いに、新一はすっと目を細めて空を睨んだ。
 
「耳からの情報だけじゃなくて……映像を共有できねぇかな」
「映像?」
「全員が小型カメラを装備して、その映像を全員で共有する。例えばオ
メーが、ツナが見ている映像が必要になったら、画面をツナのカメラに
切り替える」
「画面って?」
 
まさかモニターを持ち歩くわけにもいかない。
訝しげな快斗に、新一は自分の目元をタップした。
 
「……まさか、眼鏡?」
「できねぇ?」
 
コナンの時に使っていた眼鏡の応用だが、快斗は渋る様子を見せた。
 
「一から、しかも全員分作るとなるとちょっと時間的に……」
「どうかしたのかい?」
 
その時、作戦室のドアが開いて入江が入ってきた。
 
「今回使う通信機器を持ってきたんだけど」
「入江さん」
「実は……」
 
事情を説明すると、入江が「それなら」と持ってきたケースを開けた。
 
「以前の戦闘時に使った通信機器なんだけど、サングラスのレンズが小
型モニターになってるんだ。これは簡単な情報しか映らないけど」
「改良すれば……!」
「うん、何とかなるんじゃないかな」
 
予想外の朗報に、二人のテンションが上がった。
サングラスを手にとってあちこち触ってみる。
 
「博士が作ったやつに似てるな」
「充電式だけどリチウム電池も入るようになってますね」
「それは予備電源なんだ」
「モニターを改良すれば、カメラの映像もカラーで映せるかも」
「デザインもいじって……俺たちが持ってても不審に思われないように
しねーと」
「よっし、そうと決まったら早速研究室だ。入江さんも手伝ってくれま
すか?」
「もちろん」
 
作戦室を出ていこうとして、新一を振り返る。
 
「新一は作戦の方よろしくな」
「俺に任せちまっていいのか?」
「今更何言ってんの」
 
作戦を立てるのにこれほど信頼できる人間はいない。
わかっているくせに、と視線だけで告げた快斗に、新一はその意味を正
しく汲み取って苦笑し、快斗を追い出すようにゆるりと手を振った。

 
 
 
「黒羽君、楽しそうだね」
 
研究室への廊下を歩きながら、入江は快斗の背に声をかけた。
足取りも軽く鼻歌交じりの快斗に、ひどく機嫌がいいのだとわかる。
思い通りの通信機器が用意できるからか、あるいはこの作戦自体に心が
弾んでいるのか。後者だとしたら相当の強者だと入江は思った。
 
これまで数々の戦闘を経て成長し、裏の世界の命のやり取りにも慣れた
綱吉たちでさえ、今回のリング奪還作戦を前に緊張した空気を漂わせて
いるというのに。

それに呑まれることも臆することもないこの二人は一体何者なのだろう。
彼らの周りだけ、場違いに明るい雰囲気が漂っている。
 
「楽しいですよ? そりゃもう、最高に」
 
ちらりと振り返った快斗の表情は活き活きしていて、本当に楽しんでい
るのが見て取れる。
 
「ぎりぎりのところでやり合うスリルとか、出し抜いた時の優越感とか、
予想外の反撃にヒヤヒヤしたりとか……こういう空気、久しぶり〜」
 
スリル? 反撃?
 
マジシャンとはそんなに危ない職業なのだろうか。
首を傾げる入江をよそに、快斗は鼻歌を再開する。
 
疑問は宙吊りにされてしまったが、入江にも一つわかることがあった。
 
「工藤君のこと、信頼してるんだね」
 
見ている方がむず痒くなるほどの絶対的な信頼が二人の間に見える。
ボンゴレ・ファミリーの固い絆はこれまでに幾度となく見てきたが、二
人のそれはもっと違う何か……ともすると依存と言ってもいいくらいの
重厚で濃密な想いを、ふとした時に感じるのだ。
 
すると、快斗がくるりと振り返った。
 
「信頼っていうのとは、ちょっと違います」
「え?」
「俺にとって、新一こそがすべてなんですよ。新一が俺の生きる意味な
んです。だから裏切られるとかそもそもありえようがないし、今更わざ
わざ信じるっていうのもちょっと違う」
 
たとえ新一の手で殺されたとしても、それが新一の決断なら、快斗にと
っては絶対的な価値のある、受け入れるべき決断だ。新一がいない世界
は、快斗には何の意味も持たない。
 
「それは……すごいね」
 
心酔、というべきなのだろうかと思った入江の思考を読んだのか、快斗
が否定するように笑った。
 
「新一も、そう思ってるはずです」
 
一方通行じゃない。
自分が抱いている大きすぎる感情を、相手にも等しく抱かれていると言
い切れる自信。
考えてみればそれはすごいことだ。入江は圧倒された気分だった。
 
二人の間にあるものを何と呼べばいいのか迷って、それから漠然と理解
した。
それはまさしく愛、なのだろうと。
 
 
「さーて。決戦は土曜日。場所はホテル・ベリッシモ・ポルト。そして
ターゲットはボンゴレリング」
 
快斗の唇が人知れずつり上がった。






















2013/05/26