獄寺たちに連絡をとってからきっかり2ゲーム後。
マッジョーレの首領が側近にせっつかれて渋々テーブルを離れるのを、
快斗はにこやかに見送った。

エレベーターが一階で止まっているのに焦れた側近が、ボスを階段へと
連れていく。
それを横目にもう1ゲーム終えると、快斗は手持無沙汰にしていた代わ
りのディーラーを呼び寄せ、客には少し休憩だと告げてその場を離れた。

誰もいないバックルームに入るやいなや、快斗は変装を解き、それから
今度は別のマスクを被った。蝶ネクタイを外して派手なネクタイを締め、
スーツのジャケットを羽織れば、従業員から招待客へと早変わりだ。

そしてさりげなく煙草とライターを持てば、ラウンジを出て行く快斗を
引き止めるものはいない。

「さて、と」

非常階段へ続くドアをそっと開ける。

下を覗き込むと、綱吉とマッジョーレのボスと側近が相対しているのが
見えた。扉を再び閉め、エレベーターのボタンを押す。さきほどボタン
を押していたマッジョーレの側近のおかげで、エレベーターはすでにこ
こ最上階に到着していた。

乗りこむ前に、自らに仕掛けてある発信機を通信機ごと潰した。
今はリボーンも入江も綱吉の戦闘と獄寺・山本の脱出の方に意識が向い
ているはずだから、一つくらい、発信機のマークが消えたところで気づ
きはしないだろう。

エレベーターに乗り込むと、「9」のボタンを押す。

九階について静まり返った廊下を進むと、非常階段からほど近い位置に
ある物置部屋のドアを開けた。

その瞬間、中にいた先客に銃口を向けられる。

「ルパン」

快斗がにやりと笑ってそう言うと、先客も同じようににやりと笑って構
えた銃を下ろした。

「……ホームズ」
「懐かしいね、この合言葉」
「初めて正面切って対決した事件だったな」

中に入って戸を閉めると、二人は改めて、手足を拘束されて転がる人物
を見た。新一が眠らせたフィオナ・ランツァだ。

「よくここがわかったな」

獄寺には、適当な場所に隠しておくように指示しただけだ。

「そりゃね」

快斗が肩を竦める。探偵ほどではないが、推理は決して苦手ではない。

獄寺がフィオナを回収したのが八階。

あの時獄寺たちは、新一の指示を受けて地下の配電室から十七階のリネ
ン室に向かって階段を上っている途中だった。ならば、階段を余計に上
り下りしなければならない八階以下の階は除外できる。
かと言って、十階以上はマッジョーレに招待された、裏社会に関係のあ
る人間が泊まっている部屋が多数ある。姿を見られるリスクを、あの慎
重な獄寺が犯すとは思えない。

したがって、この九階が最も都合の良い隠し場所だ。しかもこの階には
ちょうど、折りたたみベッドやそのほかの用品をストアしている物置部
屋がある。

合理的な判断を下せる獄寺だからこそ、思考がトレースしやすい。新一
が天然な山本ではなく獄寺を指名したのはそんな理由からで、快斗もそ
れには気づいていた。

「おーい。起きろ」

新一がフィオナの身体を揺する。
獄寺には数時間は起きないと言ったが、それは一般人相手の場合。彼女
が訓練によって薬への耐性をつけているとしたら、一時間ほどで覚醒し
てもおかしくない。

「ん……? あ……」

案の定、うめきながら薄く目を開いたフィオナは、覗きこむ新一の顔を
見て一気に覚醒した。

「あなた……!」

起き上がろうとして、手足が拘束されていることに気づいたようだ。

「あんたに危害を加えるつもりはねぇ。少し話をしたいだけだから、不
便だろうが暫くそのままで頼む」
「……話? 何が狙いなの」

疑り深く新一を睨み上げるフィオナに、新一は小さく笑った。それが自
嘲的に見えて、フィオナは訝る。

「ただの自己満足さ」
「?」

だが彼女がそれ以上問う前に、快斗が口を開いた。

「こっちもあまり時間がないんでね。さっさと本題に入るけど」

フィオナはその時初めて快斗の存在に気づいたようで、弾かれたように
頭を上げて、新一の後ろに立つ快斗を見上げた。

「どうやらあんたらが探してる人質はまだ生きているようだぜ」
「えっ……」

彼女は驚愕に目を見開いたが、すぐに眉を顰めて懐疑的な色を浮かべた。

「誰かもわからない怪しい人間を信じるとでも?」
「残念だがこっちも確証はない。けど、マッジョーレのドンがそういう
口ぶりで話していたのは聞いた」
「…………」

彼女は答えなかったが、その鋭い目に希望が宿るのは見て取れた。

「ちなみにボンゴレリングはもうマッジョーレの手にはねぇから、ケー
スの鍵を奪いにボンゴレを襲撃しても無駄だぜ」
「!」
「代わりに、これをやるよ」

快斗がどこからか取り出したマイクロチップを、フィオナの内ポケット
に滑り込ませた。

「?」
「マッジョーレ本部の内部構造と見取り図が入っている」
「なっ?! 何でそんなもの……」
「大切なものを取り返しに行くなら、早い方がいい」

少なくとも今晩中は、マッジョーレの首領はここに足止めを食らってい
る。

ベルティーニのような中堅マフィアが、マッジョーレに真正面から挑む
のは無謀だ。
人質を取り返しに行くだけなら、もっといい方法がある。ベルティーニ・
ファミリーは元々、個々の能力が高い、少数精鋭での戦いが得意なのだ
から。

「どうしてベルティーニを助けるようなこと……」
「別に助けるわけじゃねぇよ。あんたらがボンゴレを襲撃するのは無意
味だし、まだ助けられる命があって、あんたらが諦めてねぇなら、少し
は協力したいと思っただけだ。言っただろう? ただの自己満足だって」

新一は言いながら立ち上がると、そのままドアに向かった。快斗も後に
続く。
用件はもう済んだ。

「ちょっと待って!」

呼び止められて、二人は振り返った。

「これほどの情報を持っているなんて……あなたたち、一体どこの組織
の人間なの?」

それを聞いた新一と快斗は一瞬きょとんとし、それから意地の悪い、楽
しげな笑みを浮かべた。

「どこの組織のもんでもねぇよ」
「縛られるのは嫌いなんでね」



               ***



十六階のテラスプールはこの時間帯はすでに締め切られていて、二人以
外、人の気配はなかった。

「うーん。イタリアの夜空を飛ぶのは初めてだ」

快斗の身体が煙に包まれると、変装を解いた快斗の背には、白――では
なく、黒いマントが翻った。
あの月光に輝く大胆不敵な白い衣装は、もうとっくに封印したのだ。

「アジトのラボでこっそり作っといてよかった〜」
「腕は鈍ってねぇだろーな?」
「だぁいじょうぶ。東京のビル群に比べたら、楽勝だって」

東京ほど明るくはない町と広がる黒い海を見下ろしながら、新一は肩を
解すように伸びをした。

「しっかし、長い旅だったな」
「ホント。まさかマフィアとお近づきになるなんてな。でも、こんな逃
げるような真似してよかったのか?」
「ああ。依頼はしっかり完了させたしな」

こんな去り方をする主な理由は、ベルティーニに不必要な接触をしたか
らだ。
理由が何であれ、仲間を傷つけたベルティーニに無条件で手を貸すよう
な真似をボンゴレが許すとは思えなかったし、マッジョーレのアジトの
見取り図を手に入れるために、サーバーをいくつも経由しているとは言
え、ボンゴレのコンピューターを使ったのだ。
バレたら、命を狙われるほどではないにしろ、さすがに咎められるだろ
う。

「それに、あのまま一緒にいたら、何かあとあと離れられなくなる気が
したんだよ……」
「あー、わかる。気に入られて、また巻き込まれそう」

イタリアンマフィアからの依頼の手紙が日常的に工藤邸のポストに舞い
込むようになるなんて、ちょっと笑えない。

「さぁて、そろそろ夜空の散歩デートといきますか。お手をどうぞ?」

快斗がすっと手を差し出す。
紳士的な仕種とは裏腹に、その顔には気品も何もない悪戯小僧のような
笑みが浮かんでいる。

新一も同じような表情を浮かべて、その手を取った。
途端にぐいっと引き寄せられて、強い力で腰を抱き締められる。

そして二人はナポリの空へと飛び出した。




























2013/06/29