『リングは持ってきたか?』
『……これだ』
『……鍵は?』
『鍵はない』
『何だと?』
『一回の襲撃では鍵までは奪えなかった。ピッキングも試したが、ケ
ースの構造が複雑すぎて無理だった』
『ふざけているのか。開けられなければ、この中に本当にリングが入
っているのか確認できない』
『人質を返したら、鍵も手に入れてこよう』
『……なるほどな』
数秒の沈黙が流れる。
張り詰めた空気が盗聴器を通して伝わってきた。
『……いいだろう。人質はこのホテルにいる。こそこそしていないで、
堂々と探すといい』
(ベルティーニが手下を潜入させて探させていたことには気づいてた
わけか)
しかし、本当に人質を返す気があるとは思えない。
複数の足音がして、やがて静かになった。
部下との会話もないということは、ベルティーニのボス共々部屋から
追い出したのだろう。
新一は一層耳を澄ませた。
一人になったマッジョーレがやることは一つだ。
足音はカーペットに吸収されて聞こえないが、規則的な衣擦れの音か
ら歩数を数える。
1、2、3、4……10歩で止まる。
ガチャ、とドアの開く音、そして閉まる音。
また数歩。
ガコン、という物音。
その後、再びドアの開閉の音と衣擦れの音がして、作業が終わったの
だとわかった。
鍵の開く音と、さっきよりも大きなドアの開閉音がする。
『ここは頼む』
『『はい』』
二人分の手下の返事。
そして廊下を足早に進む足音は二人分。
エレベーターに乗り込む音がした。
『……ケースの中身を確認しなくてよろしかったのですか?』
『リングはついでだからな。四年前のお返しといったところか。目的
はあくまであの男の愛人だ』
『今頃必死に探し回っているでしょうね』
『馬鹿な奴だ。こんなところに連れてきているわけがない』
(ということは、まだ生きているのか……!)
今回の依頼にもボンゴレにも関係のないことだが、新一は知らず詰め
ていた息をそっと吐いた。
「快斗、戻ってくる」
『わーかってる』
返事が帰ってくるやいなや、メインエレベーターがチン、という音と
ともに開いた。
『じゃすと12分。やりぃ』
「オメーなぁ……」
聞こえてきた得意げな声に、快斗の考えていることを察した新一は呆
れてため息を吐いた。
『賭けに勝ったから、新一、あとでご褒美ちょうだい』
「俺はそんな賭けしてねぇよ」
小声で言ったところでマッジョーレのボスがバーカウンターへ寄って
きたので、口を噤む。
「今日はまったくめでたいな。君、祝杯を上げたい気分なんだ」
「かしこまりました」
新一は迷わず三角錐型のカクテルグラスを取り出した。グラスの縁に
レモンの果汁を塗り、皿の上の塩をつける。それからシェーカーにテ
キーラ30ml、ホワイト・キュラソー15ml、レモンジュース15ml
を入れ、氷を詰める。
シェーカーを左胸の前で構えた時に、快斗の驚いたような顔が目に入
った。
シェーカーは癖が出やすい。
できることなら避けたいと、作戦の話し合いの中でそう言った。
新一、と快斗の唇が微かに動く。
新一はそれを無視してシェーカーを振った。
「マルガリータです」
すっと差し出されたそのカクテルを、マッジョーレのボスは訝しげに
見た。
「これが祝杯にふさわしいと……?」
男の戸惑いは手に取るようにわかった。
ワインや、南イタリアらしいトマトカクテル。ふさわしい酒なら他に
いくらでもある。
だが、新一はどうしてもこの男に、このカクテルを出したかった。
「マルガリータの由来、ご存知ですか?」
「何?」
『新一……!』
耳の奥に響く快斗の制止を無視して、新一は続けた。
「作り手の、事故で亡くした恋人の名を冠したカクテルです。ほら、
涙の味がするでしょう?」
「……貴様、何が言いたい」
男が睨むように新一を見据えた。
新一にはすぐにわかった。何人もの命を奪ってきた、そしていくつも
の大切なものを奪われた、悲しい人殺しの目だ。
『入江さん! 五秒でいいっ、ラウンジの電気を!』
イヤホンの向こうで、快斗の押し殺した悲鳴のような声が上がった。
入江も準備していたのだろう。快斗が言い終わる前に、ラウンジは暗
闇に包まれた。
「っ、何だ?」
「停電か?!」
「きゃあっ」
「おい、今ぶつかって――」
「皆様、落ち着いてください!」
きっかり五秒で、電気はついた。
「! ボス!」
「……逃げられたか」
新一の姿がどこにもないことを確認して、快斗はほっと安堵の息を吐
いた。
『工藤君っ、無事?!』
「ああ」
綱吉の焦ったような声が聞こえてくる。階段を駆け下りながら、新一
は短く答えた。上を見上げるが、追ってくる様子はない。
『新一! もう、心臓に悪いよっ。どうして計画外のことするかな、
この人は……』
「悪い悪い。でもオメーならフォローしてくれるだろ?」
『ったく……』
『ハラハラしたよ……電気、準備しといてよかった……』
「すみません、助かりました」
入江がぐったりしている様子が容易に想像できて、新一は申し訳なさ
そうに言った。
「快斗、今後のマッジョーレの動きはオメーに任せる」
『はいよ。ま、最初からそのつもりだったしね。……おっと、早速ヤ
ツがきた』
見込み通り快斗の“ラッキーテーブル”に戻ってきたマッジョーレは、
機嫌を取り戻したらしい。すぐにゲームに没頭している。
「奪還組、いよいよだ」
これからがこの作戦のメイン。
「見張りはドアのところに二人。麻酔銃で眠らせて、獄寺君と山本君
で中に入ってくれ」
『オーケー』
『了解』
通信機を通して、二人が動き出す気配がした。
普段なら本物の銃を扱う彼らだが、今回の作戦はできるだけ隠密に済
ますことを考慮して、麻酔銃を使うことになった。マフィア相手に甘
いと突っぱねられるかと危惧したが、眠らせるだけの方が応援も呼ば
れにくいし、証拠も残しにくいと言ったら、意外にもあっさり受け入
れられた。
何より綱吉自身、人を傷つけることをあまりよしとしない性格だった
のが幸いしたようだ。
『俺はどうする?』
綱吉が聞いてくる。
「ツナは非常階段で待機。誰が来ても、通すなよ?」
誰が来るかは、綱吉にもわかっていた。すぐに了承の声が返ってきた。
2013/06/15
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