ジャック・オ・ランタンの灯る夜
普段イベント事に疎い新一がそれを覚えていたのは、その一週間前に少年探偵団と衣装
の調達に行ったことを哀から聞いたからだった。
―――あの子たち、あなたを驚かせようと頑張っているのだから、当日まで見せられな
いわ。
どんな仮装をするのかと尋ねた新一に、哀は悪戯っぽく答えたのだった。
新一が元の姿に戻り、必然的にコナンが姿を消してから二年が経っていたが、少年探偵
団とは相変わらず交流があった。新一自身、たびたび隣家を訪ねてくる彼らとできるだ
け顔を合わせようとしていたからだ。
去年のハロウィンの夜も、彼らは仮装して、満面の笑みを浮かべて「トリック・オア・
トリート!」と工藤邸のベルを鳴らした。事前に哀から知らされていた新一は、お菓子
を用意して彼らを出迎えた。
その後は子供たちの手によって飾り付けられた博士の家で、一緒にご馳走を食べてハロ
ウィン・パーティーをしたのだ。
今年も招待されている。
だが、今年は少しだけ、一年前と違うことがある。
工藤邸には、住人が一人増えていた。今年は恋人ができてから、初めてのハロウィンだ。
イベント好きな恋人は、ことあるごとにお祝いやら記念やら言ってご馳走を作り、新一
を独占したがる。だが子供好きでもある彼だから、雛祭りや子供の日には子供たちを招
いてご馳走を振る舞ったりもした。まだ彼には話していないが、今回は子供たちが招い
てくれたと知ったら喜ぶだろう。
―――今週中には、あなたの家に招待状が届くと思うから。
哀の言葉通り、その三日後には工藤邸のポストに手づくりの可愛らしい招待状が届けら
れていた。
生憎と事件の要請で帰りが遅くなり、招待状を見せるタイミングを逃していたが、ハロ
ウィンも明日に迫った今夜には見せよう。新一は、ちょっとしたサプライズをするよう
な気持ちになっていた。
恋人はどんな仮装をしたがるだろうか。
つい数ヵ月前まではしょっちゅう変装していた彼のことだ、きっとみんながあっと驚く
ような、手の込んだ仮装をするのだろう。そしてそんな彼の手によって、自分も仮装を
させられるのだろうなと、新一は苦笑した。
妙に凝り性な彼だから、工藤邸もきっと華やかに飾りつけられるだろう。ジャック・オ・
ランタンをその器用な手先で芸術的に彫り、中に蝋燭を灯す彼の笑顔を想像して、新一
は心がほっこりと温かくなるのを感じた。
だから、その前日の夜、彼が言った言葉に新一は驚いて固まった。
「俺、明日の午後ちょっと出かけるから」
明日は週末で大学の授業もなく、快斗のことだから朝からハロウィンの準備にとりかか
るのだろうと予想していた新一は、まるで何でもないことのように言った快斗に、何も
問うことができなかった。
「あ、夕飯は用意しておくから、心配しないでね」
「いや……明日は、隣に呼ばれてる、から………」
「そうなんだ? じゃあちょうどよかった」
そう言っていつもの変わらない笑顔を浮かべた快斗に、新一は口を噤んだ。
ハロウィンのために何かを企んでいるような様子でもなく、ただ純粋に、別の用事があ
るようだった。
ただかろうじて、新一はぽつりと尋ねた。
「その……何か、あるのか」
「あー……ちょっと、会いたい人がいてさ」
会いたい人。
快斗が照れくさそうに言ったその言葉に、新一は今度こそ何も言えなくなった。
イベントごとの時は何かと理由をつけて新一と過ごそうとする快斗が、たかがハロウィ
ンとは言え、新一ではない誰か別の人間に会いにいく。それも用事があるというよりは
会いたいという願望を持って。
その後は、急に美味しいはずの料理が味をなくし、ただ機械的に咀嚼するだけだった。
新一の様子がどこかおかしいことは快斗も気づいていたようで、その夜、快斗は新一が
寝静まってから部屋に戻ってきた。
寝たふりをしていた新一は、隣にそっともぐりこんできた気配に背を向けたまま、身じ
ろぎ一つすることはなかった。
「それじゃあ、黒羽君は今日は来れないのね」
日が傾き始めた頃、快斗が出掛けていってしばらくして少年探偵団と一緒に工藤邸を訪
れた哀が、意外そうに言った。その頭には魔女の三角帽子が乗っている。彼女に魔女の
扮装が合っていると言うべきか否か悩んで、結局口をつぐむことにした新一だった。
「ああ……用事があるらしくてな」
快斗のマジックを楽しみにしていたらしい少年探偵団は、不満の声を上げる。
「快斗お兄さんの仮装楽しみにしてたのに!」
「残念ですね」
「あの兄ちゃんが作るお菓子食べたかったのになー!」
三人を宥めて、新一が代わりに買っておいたお菓子を配る。哀が工藤邸を眺めまわした。
「どうりで何も飾り付けがないわけだわ。でも、黒羽君がハロウィンを忘れているとも
思えないのだけれど。もしかして知らないのかしら」
哀はバレンタインの騒動を思い出しているようだったが、新一は暗い顔で首を振った。
「それはないと思うぜ。今日だって、ほら、オメーらのためにパンプキンパイを作って
置いていったし」
みんなで隣へと歩きながら、白い箱を掲げてみせる。
「……なら、一体どこへ行ったのかしら。あなたを置いて」
「…………」
言葉に詰まった新一は、訝しげに見上げてくる哀の視線から逃れるように、少年探偵団
のあとを追った。
みんなでお菓子を広げて、テーブルに料理を並べる。
博士と哀の手伝いという形でだが、2年の間に子供たちはカレー以外のレパートリーも
少しずつ増やしていた。
料理を食べ終えて、子供たちは早速お菓子にとりかかる。その中には昨日学校で先生に
もらったものや、町内会のイベントでもらったものも入っているようだった。
「みんな、快斗がつくったパンプキンパイもあるからな」
「わ〜い!!」
「快斗お兄さんの手作りお菓子だ!!」
「やったぁ!!」
はしゃぐ子供たちを、新一は微笑ましげに眺める。
その様子を見ていた哀が、少し眉間に皺を寄せて言う。
「……気になってるんじゃないの?」
「え?」
「言わなくてもわかってるでしょ。黒羽君のことよ」
不機嫌そうに言った哀は、呆れているようにも見えた。
「……でも」
昨夜快斗が言った言葉が頭に浮かぶ。
(会いたい人、か……)
少し恥ずかしそうにはにかんだその表情は、新一でもあまり見たことのない顔だった。
快斗の気持ちを疑うわけではないが、自分以外の誰かを思って浮かべたその表情を思い
出すと、新一の胸はきりきりと痛んだ。
その時。
ピーンポーン
唐突に鳴り響いたチャイムに、新一の思考は中断された。
誰だか知らないが、気を紛らわすにはちょうどいいと、インターホンに出ようとした博
士を制して新一はスピーカーのボタンを押した。
「はい」
『トリック・オア・トリート』
聞き覚えのない声に、新一は一瞬言葉に詰まった。仮装して町内を回っている子供なら
ば何ら不思議のない言葉だ。だが聞こえてきた声は、落ち着いた女性のものだった。
「えっと……はい、ちょっと待っててください」
困惑しながらも、新一は余っていた菓子を持って玄関に向かった。
もしかして子供についてきた母親だろうか、けれどそれとは何か違うような……
玄関のドアを開けるとすぐそこに誰かが立っていて、新一は驚いた。当然、門の外で待
っているものと思っていたのだ。それに、門には鍵がかかっていたはずだ。
「なん―――」
時刻は8時を回ったところで、日はすっかり落ちている。
夜に溶け込むように、彼女は佇んでいた。
玄関からの明かりが、彼女の纏う深紅を闇に浮かび上がらせる。
「トリック・オア・トリート、光の魔人?」
そう言って艶やかな微笑を浮かべた彼女の放つ鮮烈な気配に、新一は一瞬呑まれそうに
なった。
「……あ、なたは?」
「私は紅の魔女、小泉紅子よ。はじめまして。お会いできて光栄だわ、光の魔人」
紅子、とは聞き覚えのある名前だった。確か、快斗の口から聞いたことがある気がする。
自分のことを魔女だと言う、不思議な少女。
「光の魔人、って?」
おそらく自分のことを指しているのだとはわかったが、意味のわからない呼称に新一は
首を傾げて聞き返した。
「あなたのことよ。闇をひきつける光を纏いし者。特に今日――魔の力が高まる死者の
祭日には、あなたの光に焦がれて多くの魔がやってくるわ。……私もその一人よ」
死者の祭日。
紅子の言葉はほとんど理解できなかったが、ケルトの伝承は新一も知っていた。古代ケ
ルトでは、この時期になるとこの世と死者の世界の間の門が開き、行き来が可能になる
と信じられていた。ケルト人は、彼らにとっての大みそかである10月31日の夜に収
穫祭を行い、作物や動物を捧げる。それらを燃やした火は村人たちに分け与えられ、村
人たちはその火で各々の家のかまどに新しく火をつけることで悪霊が入り込まないよう
にしたのだ。
また、家族を訪ねてきた死者の霊や魔女などから身を守るために仮面を被るという習慣
が、その後アメリカの大衆文化として広まり、現在のハロウィンの形となったのである。
(死者の霊……)
ハロウィンの由来を思い出して、新一はハッとした。
(もしかして……)
「あなたに、黒羽君の居場所を教えてあげるわ」
紅子の申し出に、しかし新一は首を振った。
「いや、見当はもうついてるよ」
あとは、快斗の実家へ電話して、場所を教えてもらえば―――
「ここよ」
突然下から風が沸き起こり、紅子の髪とドレスを揺らした。
彼女の手にはぼんやりと光を放つ水晶玉が、浮いている。
「えっと……」
気になることはあったが、今は問いただす時ではない。新一はそう瞬時に判断し、促さ
れるまま水晶玉を覗きこんだ。
そこには、電車で数駅先の町にある教会の入り口が浮かび上がっていた。
「……ありがとう、小泉さん」
新一の瞳に力強い光を認めた紅子は、何かを差し出した。
その掌に載っているのは、小さなジャック・オ・ランタンだった。掌サイズのカボチャ
を器用にくり抜いてあり、その中では蝋燭の火でも電球でもない何かが光っていた。
「これを持って行きなさい。これ自体にそれほどの力はないけれど、あなたの光と相俟
って、いい道しるべになるわ」
一体何のための道しるべなのか、新一が疑問を口にする前に紅子は無言で微笑むと闇の
中に溶け込むように消えていった。
「工藤君?」
やっと家の中に戻ってきた新一に、誰だったのかと哀が問う。
「悪い、灰原。俺……行かなきゃいけねーとこがある」
新一のどこか決意したような目に、哀は少し目を見開き、それから苦笑を浮かべた。
「しかたないわね。早くいってらっしゃい」
新一は小さく礼を言うと、阿笠邸を飛び出していった。その様子に驚いている子供たち
を、何となく事情を察したらしい博士が宥める。
「ほんと、しかたない人たちね……」
哀は誰にも見られないように、小さな微笑みを浮かべた。
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