町外れに、その教会はあった。 門の鍵は開いていて、新一はそっと押しあけて中に入った。静寂の中で、微かに金属が 軋む。 教会の裏手に回ると、整えられた芝一面に立つ白い石の中に紛れて、一つだけ、黒い影 があった。 芝を踏む音に気づいて、影が振り返る。 「……新一」 「よう」 驚いたように瞠目する快斗に、新一はにやりと笑って手を上げる。快斗は驚愕で言葉が 見つからないようだった。ポーカーフェイスの上手い恋人のこんな表情はなかなか見ら れるものではないから新鮮だった。 「ったあく、どこ行ったかと思えば」 「……ごめん」 「何謝ってんだよ」 すぐ背後まで近寄ると、座り込んでいる快斗の目の前に立つ墓石の文字が、暗い中でも 読むことができた。 ―――Touichi Kuroba 墓石の前には花の代わりに小ぶりのジャック・オ・ランタンが置かれていて、その空洞 の中で蝋燭の火がちろちろと揺らめいていた。 死者が家族を訪ねてくる日。 快斗がこの日会いたいと願う人なんて、考えればすぐわかるはずだった。 「……パンドラを見つけてキッドを止めてから、初めてのハロウィンなんだ。だから何 だか、今日は会える気がして……」 快斗がキッドを継いでから止めるまでの間、一度たりとも墓参りに行っていなかったの を新一は聞いて知っていた。だからこそ、今年のハロウィンは快斗にとって特別な意味 を持っていたのかもしれなかった。 「……別に、本当に信じてるわけじゃないんだ」 ただの伝承に、信憑性を求めるわけでもない。ただ、自分が会った気になりたかっただ けだ。 クラスメイトに魔女を名乗る奴はいるけどさ、死者が現れるわけはないんだ、と苦笑し た快斗に、新一は思い出したように手に持っていたものを差し出した。 「何それ?」 不思議な光を宿すそれに、快斗が瞬く。 「さっき魔女にもらった」 「は?」 「赤い魔女」 「って紅子ぉ?! なんであいつが新一に……」 「さあな。でも俺に快斗の居場所を教えてくれて、それでこれを持ってけって言われた。 何かの道しるべになるからとか何とか」 ジャック・オ・ランタンとは鬼火の一種であるウィルオウィスプ伝承の一つで、とある 悪賢い男が悪魔を騙して地獄に落ちないように契約したものの、生前の悪行のせいで天 国へ行くこともできず、永遠にこの世を彷徨い続けることになった姿だとされている。 その際に悪魔からもらった火種を、元々はくり抜いたカボチャではなくカブに入れてラ ンタンにしたという。 そのランタンは、旅人を迷わせたり迷わせなかったり。 「道しるべぇ?」 快斗が疑い深そうな目で新一の手の中で光っているジャック・オ・ランタンを見つめる。 と、その瞬間、風が吹いていたわけでもないのに、快斗が墓前に置いていたジャック・ オ・ランタンの蝋燭の火がふっと消えた。 木々に囲まれた墓地に俄かに闇が降り、唯一の光源は空に輝く月と小さなジャック・オ・ ランタンだけになった。 「え、何――――」 快斗は自分のジャック・オ・ランタンを振り返って、そしてその時目に入ったものに、 言葉を失った。 「快斗?」 どうしたのかと新一も快斗の目線を辿って、ハッと息を呑む。 墓地の端。 そこに、白く揺らめく半透明の影。 見間違えようもない、それは。 「……おや、じ……?」 快斗の呟きに反応したかのように、それはゆっくりと近づいてきた。 「久しぶりだね……快斗」 白いスーツにマント、シルクハットにモノクル。 見慣れていたそれは、だが自分の知るキッドではないと、新一はすぐに気づいていた。 ―――初代、怪盗キッド。 非科学的なものは一切信用しない主義の新一も、夢を売るくせに自分自身は意外とリア リストな快斗も、不思議とその光景を何かの仕掛けやマジックだとは思わなかった。 彼が本物だと、直観が告げていた。 「親父……親父、親父……!」 何度も呼ぶ快斗の表情は今までに一度も見たことがないもので、衝撃から我に返った新 一はそっと後ろへ下がった。 父子の奇跡の再会を邪魔してはいけない。たとえ、相手が幽霊であったとしても。 しかし、そんな新一の意図に気づいた初代怪盗キッドの霊が新一を呼び止める。 「新一君、だね。君も立派になったね。私は黒羽盗一、快斗の父親だ。よかったら君も ここにいてくれないかい。どうやら君のおかげで、私は今夜こうしてここに出てこれた ようだ」 「俺の、おかげ?」 「君の光と、その小さなジャック・オ・ランタンのおかげだ。ありがとう」 「い、いえ……」 新一はジャック・オ・ランタンをそっと両手で包みこんだ。 「快斗、新一君の前で何て情けない顔をしているんだい。教えただろう、ポーカーフェ イスを忘れるな、とね」 「……俺、親父に言いたいことがいっぱいあるんだ。母さんのこととか、寺井ちゃんの こととか、キッドのこととか……それから、聞きたいことも」 初代キッドの目的は何だったのか。何故快斗に継がせたのか。 快斗がキッドとして犯行を繰り返しながら、ずっと疑問を抱いていたのを新一は知って いた。答えを聞くとしたら、今しかない。 しかし、快斗は微笑むと、立ち上がって徐に新一の手を取った。 「え? 快……」 「でも一番は、報告な。俺はこの人を幸せにする。んで、この人に幸せにしてもらう。 だから、この人の前ではポーカーフェイスはいらないんだ」 「ほう」 「か、か、かい……!」 「俺は幸せだよ、親父」 満面の笑みを浮かべて言った快斗の横顔を、新一は呆然と見つめた。すとんと、快斗の 言葉が落ちてきて、心に浸透していく。 「快斗……」 そんな快斗を面白そうに見つめていた盗一は、徐にシルクハットのつばを引き下げてく すくすと笑った。 「大人になったな、快斗。……本当に」 久々に出てきたらのろけられてしまったよ、と楽しそうに言う盗一は、もしかして泣い てるんじゃないだろうかと、新一は唐突に思った。 「………おっと、そろそろ時間のようだね」 半透明だった白い影が、徐々に薄くなっていく。新一の手の中のジャック・オ・ランタ ンも、光を失いつつあった。 「新一君、快斗をよろしく。……それから、我が最高の好敵手にも、よろしく言ってお いてくれるかな」 それが父のことだと、新一はすぐにわかった。二代目キッドの好敵手が新一であるよう に、初代には初代の認めた好敵手がいたのだ。それが何だか嬉しくて、新一は力強く頷 いた。 「快斗……今まで千影を守ってくれて、ありがとう」 マントを優雅にさばいてみせた盗一は、最後にそう言って、月光降り注ぐ夜の空気に消 えた。 家路をゆっくりと歩きながら、快斗と新一は小声で話した。今夜の特別な空気を、壊し たくなかったのだ。 「お前、よかったのかよ。盗一さんに、聞きたいことあったんじゃねぇのか?」 「あー、まあいいよ」 「いいよって……」 「親父が本当に何を思ってたのかは、親父だけのものだ。俺には俺の、キッドをやる理 由があった。それでいいかなって」 「そうか……」 快斗の顔は晴れ晴れとしていて、新一はほっと安堵の微笑を浮かべた。 「本当はさ、今日、新一に一緒についてきてもらおうと思ってたんだ」 「へ? そうなのか?」 「うん。まさか本当に親父に会えるとは思ってなかったけど、新一のことまだきちんと 紹介もしてなかったし」 「しょ、紹介って」 「でも、哀ちゃんたちからハロウィン・パーティーに招待されてたでしょ? だから遠 慮しちゃった。一人置いていってごめんな」 「えっ、ハロウィン・パーティーのこと知ってたのか?」 「もちろん。私を誰だとお思いで?」 何だかちょっとムカついて、急にキッドモードになった快斗の頭をガシガシ掻き混ぜて やった。 「うあ、やめろー」 「ハッ。俺に遠慮なんてくだんねー真似すっからだ」 快斗の言動のせいで、どれだけ不安になったか。 「うん。愛してるよ、新一」 「う、ゎ」 ストレートな言葉と蕩けるような愛しさで溢れた微笑みに、心臓がドキドキと暴れ出す。 でも、そんな甘い空気も、今日は素直に受け止められる気がした。 「……俺も」 愛してるよ、快斗。 耳元で囁いた新一に感極まった快斗が抱きつくのを、月とジャック・オ・ランタンだけ が見ていた。 今日になって急に書こうと思い立った話のわりに、予想以上に長くなりました。 明るいイメージのあるハロウィンでしっとり系に挑戦してみたのですが、いかがでした でしょうか。
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