匿名ノクターン








                     <9>



「あの人、また来てるね」

終業の鐘を聞きながら、蘭が窓の外を見る。
ここ一週間、快斗は毎日帝丹高校に現れていた。

何度か、通りすがりの生徒に久住栞の居所を尋ねている様子を見かけたが、
収穫は得られないままのようだ。
それはそうだろう、久住栞なんて、存在しないのだから。

「じゃあな、蘭」
「あ、うん」

新一は窓の外を見ることなく帰っていった。


                  ***



「はぁ、何で見つからねーんだ……」

ここ一週間、毎日HRをすっぽかして帝丹に足を運んでいる。
それなのに栞に会えないどころか、栞を知っている生徒も見つからない。

「完全に避けられてるよな」

あんな美少女が学校で有名にならないなんて、ちょっとどころでなく不自
然だ。もしかしたら普段は地味な雰囲気を装って目立たずにいるのかもし
れない。だとしたら、今自分がしていることは迷惑でしかないんじゃない
だろうか。

「はぁ……」
「あの」

項垂れて嘆息したところで、声をかけられた。
顔を上げると、そこにいた人物に驚く。

(毛利蘭……名探偵の幼馴染だ)

キッドとして姿を借りたこともある空手の達人だ。
思わず背筋が伸びたが、なぜ自分が声をかけられたのか疑問で首を傾げた。
黒羽快斗としては、面識はなかったはずだ。

「あの、もしかして、黒羽快斗さんじゃないですか?」
「へ?」

いきなり名前を言い当てられて驚く。

「私、毛利蘭と言います。青子ちゃんとは、塾で一緒なんだけど」
「あ、ああ。青子と」

ひとまず胸を撫で下ろす。
探偵の娘だからか何かと鋭いところがある少女なので、もしかして正体が
ばれたのかと焦ったが、杞憂だったらしい。

「それで、俺に何か?」

すると、蘭は真剣な目をして言った。

「久住栞のことなの」
「えっ?」

思わぬ人物の口から探していた久住栞の名前が出てきて、快斗は驚愕に目
を瞠った。

「栞ちゃんのこと、知ってるの?!」
「ええ」
「え、今どこに、ってか、会いたいんだけど、あの、会わせてくださっ…
…げほっ」

慌てすぎてむせた。

俺って必死すぎてカッコ悪い、と情けなく思いながら目じりにたまった涙
を拭うと、目の前の少女は優しく微笑んだ。それは快斗の目に、まるで聖
母のように映った。

「……よかった。本気なんだ」
「それは、もう」

本気も本気だ。

「黒羽君」
「?」
「あの子のこと、ちゃんと見てあげて。あの子の本質を」

白馬と同じようなことを言うんだな、と思いつつ、快斗は頷いた。
そんな快斗に、蘭は言った。

「明日は、裏門で待ち伏せしてみて」




                  ***





「あの人、今日も正門のところに来てるわね」
「ふぅん」

蘭が言っても、新一はやはり窓の外を見ようとしない。
興味なさげに相槌を打つと、鞄を掴んで先に帰っていった。

「また明日ね、新一」
「おう」






「ったく、何で諦めねぇんだよ」

人気のない階段を下りて、あらかじめ持ってきておいた靴を取り出した。
毎日栞に会いにくる快斗に、新一は責められているような気になった。
だが一方で、栞に真剣に好意を寄せる快斗に嬉しさもある。

でもそれも、正体が新一だとばれればその想いも寄せてもらえなくなるの
だと思うと心が悲鳴を上げる。


ここ一週間の習慣となってしまったが、今日も誰もいない裏門から学校を
出る。


と、門を出たところで、塀に寄り掛かっている少年が目に入った。

「?!」

思わず足を止め、目を見開く。
少年も新一に気がつき、少し驚いてから、怪訝そうに見つめてきた。

「あっ……と」

新一は慌てて目を逸らした。

向こうはこちらが工藤新一だと知っているが、その工藤新一に驚かれる理
由はわからないはずだ。
変に反応したら、こちらが怪盗キッドの正体を知っていることもばれかね
ない。

「なあ!」

背を向けて歩き出すと、背後から呼びかけられた。
だが、ここで足を止めたら、ぎりぎりで保っていた何かが壊れてしまう気
がして、新一は呼びかけを無視した。

しかし、快斗は思っていた以上にしつこかった。

「なあってば!」

いつのまに近づいてきていたのか、腕を引かれる。
触れられたところがじわりと熱くて、身が竦んだ。

「……何だよ」

目を合わせないように低く問う。

「えっと、あんた、工藤新一、だよな」
「だから何だ」
「えっと……」

快斗自身、戸惑っているようだった。
そのまま引き下がればいい、と新一は思った。怪盗が自ら探偵に関わろう
とする理由なんて、ないだろう。

「何だろ、俺にもよくわかんないんだけど……」
「はあ?」
「何か、呼び止めなきゃって、思って」
「何言ってんのかさっぱり……」

ずっと目線を下に向けていたら、いきなりぐいっと顔を掴まれて、上に上
げさせられた。
つい相手と真正面から目が合って、近くで顔を覗きこまれた。顔を、とい
うか、目を、だ。

「なっ、何だよ」

透き通った不思議な色合いの瞳に真っ直ぐ見つめられて、新一はうろたえ
た。

戸惑いながらも腕から抜け出そうとした瞬間、快斗がふわりと笑った。

「やっぱり……栞ちゃんだ」
「?!」

思わず、手を振り払った。

「な、何言ってんだよ。誰だよそれ」
「工藤が、栞ちゃんだったんでしょ?」
「意味、わかんねーよっ」

混乱して、頭を振る。
しかし対照的に、快斗は落ち着いていた。

「わかるよ、俺には。何で男だってこと隠してたのかはわからないけど、
工藤が栞ちゃんだったっていうのはわかる」
「何で……」
「だって、目が一緒だから」
「は……」

快斗は愛おしげに新一の目を見つめていた。

「二回もいきなりキスしちゃったけど、まだ言ってなかったから、どうし
ても俺の気持ちが伝えたくて会いにきちゃったよ。……栞ちゃん、いや、
新一。好きだ。愛してる」

ぼん、と新一の顔が赤くなった。

「なっ、なっ、お前」
「うん?」
「わかってんのか」
「何が?」
「俺は、男だぞ」
「知ってるよ、そんなこと」
「お前の好きな久住栞じゃないんだぞ」
「栞ちゃんだよ。格好が違っても、新一は栞ちゃんだし、栞ちゃんは新一
だよ」

言葉に詰まる新一を、快斗は抱きしめた。

「やっと会えた……」

「い、いいのかよ。俺は、探偵なんだぞ……」

すると快斗は、きょとんとしたように新一を見てから、合点がいったよう
にああ、と頷いた。

「俺の正体、知ってたんだ」
「……公園で、お前のマジック見せられた時にな……」
「それだけで?」

快斗は嬉しそうに笑った。

「やっぱり新一は、俺のことをちゃんと見ていてくれたんだ」










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2012/08/13