<序>




寝ぐせを直しながら、新一はあくびを噛み殺した。
昨日は午後の授業中に目暮から緊急の連絡が入って学校を早退し、そのままつい数時間
前まで事件にかかりきりだったのだ。
普段なら、高校生である上に出席日数が危うい新一に気を遣って、ある程度の時刻にな
ると馴染みの刑事たちから帰宅を促されるのだが、何せ昨晩は一刻の猶予もない誘拐事
件だったのだ。睡眠時間云々と言っている場合ではなかった。

「おはよう、新一」
「よぉ、蘭」

通学路の途中で幼馴染と合流する。

「その様子だと遅くまでかかったのね。お疲れ様」

目が半分しか開いていない新一に、蘭が苦笑して労りの言葉をかける。その表情は心配
を色濃く表しながらも、あくまで優しかった。

事件ばかりにかまける新一に、いつからか蘭は文句を言わなくなった。おそらく、新一
が組織との戦いを終え、本当の姿を取り戻して復帰してからだろう。戻ってきた幼馴染
の、以前とは違う、妙に大人びた雰囲気と静かな覚悟を秘めた瞳に気づいたのだろう。

「あ、そういえばね、新一」

蘭が思い出したように言いかけたところで、背後から二人を呼ぶ声がした。

「らーん、新一君、おっはよう!」
「園子、おはよう」
「はよ……」
「なーに、新一君、残業続きのサラリーマンみたいな顔してるわよ」
「園子……つーか、何かテンション高くねぇ?」

基本的に元気でテンション高めな女の子だが、今日は普段よりも一段とウキウキしてい
るようだった。こういう時の園子は碌なことを考えていない。……主に新一にとって。

さりげなく距離を取ろうとした新一の腕を、それより素早く園子が掴んだ。

「ふふふ、昨日ねー、ロングホームルームの日だったでしょー?」
「ああ……そういえば」

早退してしまったから忘れていたが、そういえば昨日は放課後LHRがあって、議題は確
か……。

「文化祭でやるクラスの出し物を決めたのよ」

蘭が言う。

「うちのクラスは何になったんだ?」
「バザーになったよ。各自色んなものを持ち寄ったりして売るの」

三年になると、受験勉強が忙しいせいで、あまり準備に時間のかからない展示やバザー
にするクラスが多い。
まあ妥当だろうなと思っていると、蘭が少し困ったような表情になった。

「蘭?」
「ふふふふふふふ」

背後から聞こえてきた怪しい笑いに、新一はハッとした。このお祭り大好きなお嬢様が、
高校最後の文化祭をそんな地味に終わらせるはずがない。新一の胸に一気に不安が広が
った。
嫌な予感しかしない。

「おーほっほっほ、この園子様が、新一君のため、いいえ、ひいては帝丹の全校生徒の
ために、一肌脱いであげたわよ!」

勝ち誇った笑みを浮かべて言い放つ園子。

「新一君には、ミスコンに出場してもらうわ!」


ミス、コン。


新一はゆっくりと反芻し、殊更ゆっくりと首を回して蘭を見た。
新一の視線を受けて、優しい幼馴染は申し訳なさそうに、しかし小さく笑みを浮かべ
た。

「……なっ」
「一クラスから一人ずつ出すじゃない? LHRの時に推薦したら、満場一致で決まった
わ」
「え、はっ?」
「止められなくてごめんね、新一」

ミスコンとは、学校一可愛い女の子を決めるコンテスト……ではなくて、女装した男の
コンテストだ。受け狙いでわざとごつい男を出すクラスもあれば、それなりに華奢で可
愛い顔の男を出して優勝を狙うクラスもある。
自分が母親ゆずりの綺麗な顔をしていることは自覚している新一だが、だからと言って
全校生徒の前で女装姿を晒すなんて真っ平ごめんだ。


「今更抗議は受け付けないわよー。もうエントリーしちゃったんだから。昨日早退した
自分を恨むのね」

昨日事件を起こした誘拐犯を恨みたくなった新一だった。














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