※clap sss 05の続きです。






工学部棟を抜けて、次々とかけられる声に笑顔で返しながら足早に学食へと
向かう。

「あー、腹減ったな」

時計を見ると、あと15分ほどで昼休みが終わろうとしていた。

ゼミの後、話があると教授に呼びとめられて実に30分強。
しかも話の内容は予想通りのもので、快斗は思い出して溜息を吐いた。

学科の教授たちは、示し合わせでもしたのかと思うくらいに、ここのところ
顔を合わせるたびにみな同じような顔をする。
非常に残念そうに眉を下げて、悲愴感を漂わせるのだ。



講堂の下に広がる巨大な中央食堂はパスして、少し手前のレトロ食堂への階
段を駆け下りる。中央食堂に比べてかなり小さいが、利用人数も少ないので
並ぶ時間も少なくて済む。

親子丼の食券を買って、カウンターに持っていく。
カウンター越しに丼を手渡してくれた中年の女性は顔なじみで、快斗の顔を
見るなり目を丸くした。

「黒羽君! 聞いたわよぉ、あの話」
「ハハ、耳がはやいですね」
「寂しくなるわねぇ」
「……また来ます」

本当に寂しそうな表情に苦笑を浮かべた。

トレイを持って、空いている席を探す。

生憎と知人はいないようだが、快斗としても誰かに気を遣いながら食事をす
る気分ではなくて、かえって好都合だった。

テーブル席は断念して、奥の座敷へ向かう。靴を脱ぐのが面倒だが、奥まっ
たところにあって人目を避けるのにちょうどいい。

座敷には大きめのテーブルがいくつか並んでいて、快斗はその内の空いてい
るスペースに向かった。そこには2人ほど学生が座っていたが、離れていて
会話もない。たまたま居合わせただけのようだ。

快斗も端に座り、小さく手を合わせてから無言で食べ始める。
丼についてきた味噌汁を一口啜って視線を上げて、その時初めて、斜め向か
いに座っていた人物の顔を見た。

(あ……)

碗に口をつけたまま、快斗は微かに目を見開いた。

知人、というのとは違う。
実際話したこともなければ目が合ったこともない。
だが、快斗はその顔を知っていた。

見つめすぎたのか、その人物はふと顔を上げ、快斗を見た。
目が合う。
誤魔化しようのないほどにしっかりと目が合って、快斗はぎこちない微笑を
浮かべた。
相手はぱちりと瞬きをして、ゆっくりと口を開いた。

「あ、黒羽快斗」
「え、っと……」

快斗は有名だ。入試で歴代最高得点を叩き出した天才として、そして売り出
し中の人気マジシャンとして。
学内に快斗のことを知らない人間はほとんどいないだろうから、斜め向かい
で昼食をとっている普通の学生が快斗を知っているのも当然だろう。
だが、快斗は居心地が悪かった。何故なら、彼は快斗が一方的に知っている
人間だったからだ。

「あのさ……君、もしかしてあの、工藤の……友達っていうか……」
「工藤って工藤新一? まあ、たまに一緒に飯食うくらいだけど」
「同じゼミじゃなかったっけ」
「よく知ってんね。俺、霧島」

快斗は頷く。新一の隣にこの男を見かけてから、名前はもちろん、ほかの個
人情報まで調査済みだ。
正直、この男のポジションがものすごく羨ましい。妬ましいと言ってもいい
くらいだ。

この男がそれほど新一と親密な仲というわけではないことは1年の時から知
っている。元クラスメイトで、教養から学部生に進学してからは同じゼミに
所属しているという程度の友人だ。親しいという意味では、大阪の大学に通
う探偵の方がよほど近いところにいる。

だがそれでも、快斗は嫉妬せずにはいられなかった。新一と連れだって歩く
ことを許され、ただの大学生としての新一の顔を間近で見られるこの男が、
羨ましくてしかたがない。

快斗は目つきが鋭くならないように注意して愛想笑いを浮かべた。


霧島は至って普通の男だ。あえて言うなら、さばさばした性格で、年の割に
落ち着いている。優秀だが、それを周りに見せない器用さもあった。

「工藤なら、さっき事件だって言って行っちまったよ」

どうやらすれ違いだったらしい。
本当に、誰かが仕組んでいるんじゃないかと思うほど、見事にすれ違う。

快斗が溜息を吐くと、それを観察するように見ていた霧島が口を開いた。

「黒羽って工藤と知り合い?」
「……いや。知り合い、ではないかな……」
「ふぅん」

興味があるのかないのか、霧島は食事を再開していた。
カレーライスの皿にはまだ半分ほど残っている。

「……あと5分くらいで昼休み終わるけど、平気なのか?」
「俺って食うの遅くてさ。今日は3限ないから平気。黒羽こそ、大丈夫なの
か?」
「あー、多少遅れても大丈夫だ」
「つーか黒羽の場合不可抗力っぽいもんな」
「え?」

意味を問うように顔を上げると、霧島は器用にご飯とルゥを半々ずつスプー
ンで掬いながら言った。

「どうせ教授に呼び止められてたんだろ?」
「え……」

言い当てられて目を見開く。
固まる快斗に、霧島は軽い調子で続けた。

「そんな驚くなよ。黒羽が留学する件で工学部の教授たちが必死に引き留め
ようと画策してんの噂になってるぜ」

まるで探偵のように言い当てられて、快斗は詰めていた息をそっと吐き出し
た。新一との会話についていくくらいだから聡い男だとは思っていたが、思
った以上に鋭いらしい。

「んで、マジック修業にアメリカに行くんだって? 俺、黒羽のマジック見
たことあるぜ。学祭の時とか。すげぇよ」
「サンキュ」

褒められるのは素直に嬉しい。

「工藤も時々見てると思うぜ、ゲリラショー」
「え、嘘……」
「よく窓から外見てるし。っていうかそんな驚くことか?」
「……驚くっつーか、緊張? だってあの工藤新一だぜ? タネがバレねー
ように気合い入れねぇとな」

けけけ、と笑って本心を誤魔化した快斗を、霧島はちらりと一瞥した。

「……黒羽って、工藤と何かあんの?」
「え? いや、そもそも知り合いじゃねぇし。ってさっき言ったよな?」

図星をつかれて心臓が跳ねたのを、鉄壁のポーカーフェイスで流した。
だが霧島は自分で聞いたわりに興味なさそうにカレーを食べている。

何となく不安になる快斗に、霧島が唐突に言った。

「黒羽もだけど、工藤も相当モテるよな」
「え」
「まあ顔よし頭よし性格よしの三拍子で名声もあるとなれば、あたり前か」

淡々と言う霧島にかなり緊張しながら、快斗は慎重に口を開いた。

「……工藤とそういう、恋愛の話とか、すんの?」
「いや? 全然。……あーでも、一回だけそれっぽいこと言ってたなぁ」

霧島が思い出すように言う。

「知ってるかもしれないけど、1年の時、工藤がミス東都大に告白されてフ
ッたっつー噂が流れてさ……」



『いいのか工藤。噂になってんぞ』
『そういうのは慣れてる』
『なるほど。まぁ、誰が誰を好きなんて、正直どうでもいいけどさ』
『…………』
『でも工藤の禁断の相手にはちょっと興味あるぜ』
『はっ?』
『だってお前ほどの男が片想いする相手だぞ。不倫か、どっかの王族か……
ハッ、もしかして小学生とか……!』
『おいおい、俺をロリコンにするなよ。大体、俺が片想いって……』
『別に誤魔化してもいいけどさ』
『……はぁ。……まぁでも、禁断っつーのはあながち間違ってねぇかもな』
『……聞いていいのかわかんねーけど、この大学の奴か?』
『まあな。見つけたのは偶然なんだけど』
『告白はしないのか?』
『ああ。第一、俺にはそんな資格ねーんだ。……あいつが日の下で生きて、
笑ってる。それを遠くから見られるだけでいいんだよ』



「相手が誰かは結局教えてくれなかったんだけどさ、ホント、一途な奴だよ
な」

霧島ののんびりとした声に、快斗は相槌を返すことができなかった。

もしかしたら新一は、快斗の過去の姿に気づいているのではないか。
そして、探偵へ碌な挨拶もなしに消えた怪盗の、太陽の下で繰り広げられる
魔法を、遠くからずっと見守ってくれていたのではないか。かつて同じ夜の
緊張感を共有した唯一の好敵手として。

そしてもし、万が一にも、その視線に甘さが含まれているのだとしたら……

過ぎる期待だろうか。

「春学期終わったらすぐアメリカに飛ぶんだっけ?」
「ああ」
「じゃあその前に、やり残したことは片付けてった方がいいぞ」
「…………」

快斗はテーブルの下でぎゅっと掌を握った。そしてふっと力を抜く。

開いた掌を見下ろして、思う。
この手で色々なことを成し遂げてきた。色々なものを守ってきた。夢、母親、
幼馴染、温かい日常、父の遺志、そして自分の意志。
けれど同時に、取りこぼして、諦めてしまったものもあった。平凡な生活、
幼馴染との淡い恋、この手をすりぬけていった命、そして、焦げるほどの熱
い、想い。

「黒羽」

霧島に呼びかけられてハッと顔を上げる。

「食わないと冷めるぞ」
「……ああ」

快斗はすっかり冷めきってしまった味噌汁を飲み干して、半分ほど残ってい
る親子丼を食べるのを再開する。

無言で残りを食べきって、快斗は静かに箸を置いた。

「……霧島」
「ん?」
「俺、まだやり残してたことあったみたいだ」
「ふぅん。まあ、俺が言うのもなんだけど、頑張れよな」
「ああ。サンキュ」

快斗はトレイを持って立ち上がると、マジシャンらしいスマートな所作で颯
爽と食堂を去った。
その決意を秘めた目は、周りが声をかけるのを躊躇するほどに鋭く、前だけ
を見据えていた。





















ここから時系列的にはsss02に繋がります。



再掲:2013/03/26