※clap sss 02の過去編です。(単体でも読めます)
いつも遠くから、彼の魔法を見ていた。
彼には彼の戦いがあったことは知っていた。
自分には自分の黒の組織との戦いがあって、その二つは時たま重なることはあって
も混じり合うことはなかった。
大学で彼を見つけて、彼が夜の殺伐とした空気を一切感じさせない太陽のような笑
顔を浮かべているのを見て、ああ、終わったんだな、と思った。
友人たちにマジックを披露している彼を見かけて、紙面の裏を読みとる程度にしか
知らない壮絶だったであろう戦いの中で、その手が無事だったことが嬉しかった。
温かい笑顔は、顔の造形こそ自分と似ているものの、鏡を見ても同じようにはとて
も見えなかった。
毎朝顔を洗って鏡を見るたびに、自分の顔が嫌になる。
母親譲りのスカイブルーの瞳は、組織との苦しい戦いを経て陰りを帯び、解毒剤の
後遺症のせいで、元々白かった肌は病的に青白くなっていた。
以前、女の子より細くなった手首を幼馴染に心配された。
自分の手を見下ろして、思う。
この手は一体、何をしてきたのだろう、と。
人の秘密を暴いてきた。
人の心の鍵をこじ開けてきた。
人を絶望に崩れ落ちさせてきた。
人を、死に、追いやってきた。
常に死の気配を纏わりつかせ、通った道には死体が積み重なる。
死神、と呼ばれたことがある。
人の死が探偵を呼び寄せているのではない、探偵である自分が、死を呼んでいるの
だと。
その通りだ、と自嘲した。
こんな幾人もの血と罪に晒され続け汚れた自分は、魔法を紡ぎ出す彼に近づいては
いけない。
「ねぇねぇ、聞いた?! 今日、黒羽君が昼休みにゲリラステージやるって!」
「えっ、嘘! どこで?!」
「キャンパスプラザ前の広場だって!」
図書館のメディアラボから出てきた二人組の女の子が、小声で興奮したように話し
ているのが聞こえてきた。
すっかり指定席となっていた窓際の自習机から、窓の外を見下ろす。
二階のそこからは、ちょうど広場が見下ろせる。
テラスのある学生食堂と生協の入ったキャンパスプラザ、そして図書館に囲まれる
ように、芝生の敷かれた開けたスペースがある。
学生たちが集まる、キャンパスで一番賑やかな場所だ。
彼はここでマジックを披露することが一番多かった。
そもそもそれをこっそり遠くから見るために、この窓際の席をいつも確保している
のだ。
ゲリラステージの情報は毎度どこからか広がり多くの学生が見に来るが、やはり元
怪盗だけあって普通のステージではない。
目を凝らしてじっとまだ静かな広場を眺めていると、ふと、芝生を横切る老人に目
が留まった。
帽子を深く被り、杖をついて歩いている。
キャンパス内には学外の人間も多く歩いているから、何ら不自然ではないが、何か
が気になった。
よれた地味な服装をしているのに、やけに気配が、言うなれば鮮烈なのだ。
まさか、と過ぎった考えに目を見開いていると、次の瞬間、老人が派手な破裂音と
ともにピンク色の煙に包まれた。
突然の出来事に、周りにいた生徒たちが騒がしくなった。
煙が風に流れる頃には、そこにはさっきまでの老人の姿はどこにもなく、ジャケッ
トをラフに着こなした黒羽快斗が背筋を伸ばして立っていた。
――きゃああああ!!!
あちこちから上がる甲高い悲鳴も、自分を呼ぶものではない。
彼を賛美し歓迎する、熱のこもった悲鳴だ。
ひやりと冷たい恐怖と嘆きに満ちた声によってのみ召喚される自分とは大違いだと、
改めて認識させられる。
次々に繰り出されるマジックは、タネがあるとわかっていてもまるで魔法のようで。
見ていると、自然と自嘲ではない笑みが浮かんだ。こんな自分でも、心が溶かされ
るように温まる。
だから彼のマジックは、本当の魔法なのだ。皆を笑顔にして、自分に幸福を与える
魔法。
数十分のマジックが終わりに近づいて盛大な歓声と拍手が沸き起こる。
あまり見つめすぎると、視線に敏感な彼のことだから気づかれてしまうかもしれな
いと思い、すっと目を逸らす。
窓に乗り出していた身を起こせば、角度的に彼のいる下からは見えない。
じんわりと温かくなった胸に手を添えてみる。
すると釣られて瞼もじんわりと温かくなってきて、慌てて腕の中に顔を伏せた。
「もう超すごかった〜!」
「プロ並みだよね!」
「黒羽君カッコいいし!」
「私同じ学科だから話したことあるけど、すごく優しくて面白いし、頭もすごくい
いのよ」
ショーを見終わって図書館に入ってきた数人の女子生徒のグループが、ひそひそと
喋りながら自習コーナーに近づいてきた。
「彼女いるのかなぁ」
「さあ。でも前に告白した子が、好きな人がいるからって断られたって聞いたよ」
「えー、誰だろう」
「あの子じゃない? ほら、一色財閥の……」
「ああ、姫って呼ばれてる?」
「一緒にいるのよく見かけるもんねぇ」
「でも私、前に正門で黒羽君を待ってたすっごく綺麗な人見たよ」
「あっ、噂で聞いた! 他校の人でしょ?」
「黒羽君の高校の同級生らしいよ?」
「高校の同級生がわざわざ会いにきたの? それは怪しいね」
無駄にいい耳が、彼女たちの小さな声を拾う。
これ以上聞いているのがだんだん辛くなってきて、荷物をまとめ始めた。
すると、ぽん、と肩に手を置かれる。
仰ぎ見ると、同じ学科の友人だった。
「よ。またここにいたんだな」
「……ああ」
大学に入ってから知り合った友人で、頭の回転がそこそこ早く、性格もさばさばし
ていて気が合った。
わざわざ待ち合わせするほどではないが、昼食はわりと一緒に食べる仲だ。
不意に、友人の視線が窓の外に向けられる。
結構聡い男だから、もしかしたら何を見ていたか気づかれたかもしれないなと思わ
ず目を伏せた。
「これから出るとこ?」
「ああ」
「飯食った?」
「いや、まだ」
「じゃあ一緒に食わねぇ? 3限休講だってさ。さっき掲示板見てきた」
「まじ? じゃあ学食行くか」
連れ立って図書館を出る。
広場にはもう彼の姿はなく、またいつもの安定した賑やかさに戻っていた。
「さっきここで工学部の黒羽がマジックのゲリラショーやったんだって」
「ああ」
「見た?」
「まあ……ちょっと」
一瞬だけ探るような目を向けられたが、友人はすぐに学食の季節限定メニューに話
題を変えた。
そのことにほっとしながら、さっき見た彼の笑顔を思い出す。
過去、月の出ている間だけ、運命のいたずらのように時折重なった二人の道は、今、
日のもとでは絶対に重ならない。重ねてはならない。
これでいいのだと、自分に言い聞かせた。
太陽のような彼を遠くから見つめるだけで。
この恋心は、一生胸の奥にしまったまま、封印すると決めたのだ。
再掲:2013/01/17
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