Q. お二人の出会いは?
すれ違った瞬間、彼だとわかった。
大学でその日最初の講義へ向かっている時だった。
彼は数人の友人に囲まれて。自分は一人で。
目も合わなかったけれど、きっと彼に違いないと、本能が言っていた。
それから何回か彼を見かけた時も、彼はいつも誰かしらに囲まれていて、彼らしいなと
くすりと笑った。
自分がその輪に入ることは、許されないのだろうけれど。
偽りの夜を過ごした日々は、今から思うと夢のようだった。確かに存在した、人生で最
も色濃く刻まれたはずの日々も、終わってしまえば色褪せていく。
たった一つ、彼の存在を除いて。
それが恋だと気づいたのは、もうずいぶん経ってから。今更彼に好きだったなんて言え
るわけない。可愛い彼女を隣に連れて、笑顔をふりまいている彼の目の前になんて、姿
を現せるわけないのだ。
ある日、彼が留学すると聞いて、少し安堵した自分がいた。
彼が夢を叶えるために頑張っていることを知って。そして彼がもう自分の視界に入って
くることがなくなるとわかって。
きっとしばらくすれば、彼のことを忘れられる。
そう思っていたのに、春学期の最後の講義が終わった時、突然、彼が目の前に現れた。
珍しく、一人だ。
「なあ」
彼が自分に話しかけているなんて、信じられなかった。自分たちは今まで、目も合った
ことはないのに。
「俺、今度アメリカに行くんだ」
知ってる。でも言葉にすることはできなかった。自分を見つめる瞳が強すぎる。彼のこ
んな真剣な顔、見たことなかった。
「それで、新一にも一緒に来てほしい」
「………え?」
聞き間違いだろうか。今、名前を呼ばれた揚句、とんでもないことを言われた気がする。
けれど彼はあろうことか近づいてきて、手を取られた。
初めての近さに、心臓が変なリズムを刻む。
「俺と一緒に、アメリカに来てほしいんだ」
「……何のつもりだ……」
「プロポーズのつもり」
「?!」
目を瞠って硬直していると、彼が微笑んでさらに近づいてきた。
手を握られているから逃げられないなんて、言い訳にもならないだろうが、近すぎる彼
の顔が識別できなくなって、唇に温かい感触がしてそして離れていくまで、動くことが
できなかった。
俄かに周囲の気配がざわめくのに気づいた。
女の子の黄色い悲鳴も聞こえる。
そうだ、ここはまだキャンパス内で、しかも今日はほとんどの学生が出てくる学期最後
の講義の日。
だが目の前の男はそんな周囲など気にもかけていない様子で、ただ微笑を浮かべて見つ
めてくる。
咄嗟に振り払おうとした手は思いのほかしっかりと握られていて離れなかった。
「今まで怖くて話しかけられなかった。新一に拒絶されたら……」
何を言っているんだろう。怖くて話しかけられなかったのは自分の方だ。
「でもやっぱり、我慢できなかった」
切なそうに、苦しそうに笑う彼の顔から、目を逸らすことができない。
―――捕まってしまった……。
「だからこれからは、俺と一緒に生きてほしい。俺と一緒に、アメリカに行ってくれ」
彼の手が小刻みに震えているのが伝わってくる。
いや、震えてるのは自分も同じだ。
カラカラに乾いた唇を開く。
「…………はい」
その時彼が見せた笑顔は、周りの歓声が気にならなくなるくらい綺麗だった。
A. 初めての素顔での会話は、プロポーズの言葉でした。
再掲:2012/11/09
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