街が赤と緑の二色で彩られ、軽快なクリスマスソングが流れている。日を追うごと
に厳しくなる寒さを吹き飛ばすようなクリスマス商戦が、年末の寂しい財布の紐を
緩ませようと活気を増していく。
日が落ちれば街路樹がLEDライトで眩しく光り、道行く人々も浮足立っていた。

笑顔が増えるのはいいことだ、と新一はぼんやりと思った。

2歩先で、幼馴染とその親友が冷気に頬を紅潮させながら笑っている。

どこもかしこも輝いている景色に、新一は目を瞑りたい衝動に駆られた。
自分が、ひどく場違いな気がした。
年の瀬に増える警視庁から協力要請なんて、彼女らの浮かれた気分に水を差すだけ
のものだ。

「――ってことで、新一君も来るわよね?」

急に振り返った園子に、新一はきょとんとした。
すると園子が半眼になり、蘭が苦笑した。最近よく見るようになった組み合わせの
表情だ。

「まーた聞いてなかったわね? イブに、うちでクリスマスパーティーしようって
話よ」
「あ、ああ……」
「クラスのみんな呼んで、プレゼント交換しようって」
「一人500円くらいでね!」

来るでしょ? ともう一度問われる。
ああ、と答えようとして、しかし、新一は言葉に詰まった。

「あ……」
「何よ? 予定でもあるの?」

ないわよね、という言葉が聞こえてきそうな表情だった。蘭は相変わらず隣で苦笑
している。

「新一、もし誰かと約束があるなら、無理しなくてもいいのよ?」

気遣うように蘭が言う。

元の身体に戻ってから、恋人未満だった蘭とは幼馴染の関係に戻っていた。
静かな声でごめん、と告げた新一に、蘭は少し泣いて、それから「何となくそんな
気がしてたの」と儚げに笑った。
初めて長いこと離れてみて、互いが欲しているものと、互いに与えられるものとの
差に気づかされた。

最初は不満そうな、けれど心配そうにしていた園子も、数ヵ月が経てば、そんな顔
を見せることはなくなった。

「なーに言ってんの、この朴念仁がクリスマスに約束なんてあるわけないじゃない」

馬鹿にしたような言葉の裏に、事実あまり多くの人間と親しくつき合わなくなった
新一を気遣う優しさが垣間見える。
戻ってきてからの新一は、それとなく人を遠ざけるようになった。

「……新一?」

黙っていた新一を、蘭が振り返る。
いつの間にか、足が止まっていた。

「あ……いや……」
「えっ、まさか本当に予定があるの?」

口ごもった新一に、園子が驚いたように目を丸くした。

「約束、というか……」

言い淀んで目を逸らすと、不意に、目に入ってきた人物に目を見開いた。

「あ………」

大通りを挟んだ反対側の歩道を、新一たちとは逆の方向に歩いていく2人組の高校
生。

「何? 知ってる人でもいた?」

蘭と園子は新一の視線を辿ったが、2人組はすでに遠く、薄暗い中ではかろうじて
人影が見える程度だった。

「……いや」

新一は振り切るように前を向き、また歩き始める。
首を傾げた蘭と園子も、一拍遅れて歩き出した。

「それで、結局パーティーには来れそうなの?」

話を戻した園子に、新一は目を合わせないままぽつりと呟くように返した。

「……悪い」
「そっかぁ。高校最後のクリスマスだから、残念だけど」
「予定があるならしょうがないわよ」

明るく話しながらも残念そうな2人に、新一はもう一度、心の中で謝った。




                  ***



「寒い〜〜〜〜!」

吹き抜けた風に首を竦めている幼馴染に、快斗は「しかたねーな」と言いながら自
分のマフラーを貸してやった。

「今年は暖冬だって言ってたのに、何でこんなに寒いのよ〜〜〜」
「冬は寒いもんだっつーの」
「何で快斗はそんな平気そうなの?!」
「アホ子とは鍛え方が違うんだよ」
「う〜〜〜〜バ快斗〜〜〜〜」

それでもまだ震えている幼馴染に、今度はどこからともなくホッカイロを出して渡
してやる。

「ありがと」

少し笑顔が戻ってきた青子に、ぶっきらぼうに返事をしながらも内心少しほっとし
ていた。

「もうすぐクリスマスだね〜」
「ああ、そうだな」

手が温まって気分も上昇してきたのか、街の飾り付けを眺めながら青子が言う。

「ねね、今年は高校最後のクリスマスだから、いつもよりぱぁっと盛大にパーティー
やろうと思ってるの!」
「いつも盛大じゃねえーか」

快斗のそっけない態度に、青子はぷぅっと頬を膨らませた。

「もっと派手にするの! ね、だから快斗のマジックで盛り上げてよ」
「……………」

「しょうがねーな」という返事を予想していた青子は、突然黙りこんだ快斗を振り
返った。
快斗は立ち止まり、気まずげに少し俯いていた。

「快斗?」

どうしたの、と問おうとして、青子は口を噤んだ。
頭の隅で、何か嫌な予感がしていた。

「……俺………行けねー、かも……」

快斗に貸してもらったマフラーとホッカイロで温まったはずの身体が、急速に冷え
ていくのを感じた。

「……え? 何で……?」

だって今まで毎年来てくれたじゃない。
そう言い募ろうとして、けれど言葉が続かなかった。

快斗が苦しそうに歯を食いしばっている。

そんな幼馴染の表情、見たことがなかった。

根っからのエンターテイナーで、父親が死んだ時以外、いつもいつも笑顔を振りま
いて、たくさんの人を笑顔にしてきた。
そんな幼馴染が、こんな苦しそうな、見ていて切なくなるような表情で何かを耐え
ている。


また風が吹いて、寒さにマフラーに顔を埋めようとして、青子はハッとした。

マフラーを貸してくれたり、ホッカイロをくれたりしても、それは全部幼馴染に対
する優しさ。周りからどれだけ甘酸っぱく見えようとも、その行動に甘さなんて一
欠けらもない。

薄々わかっていたのだ。

自分は快斗が好きで、快斗もきっと、青子を好きでいてくれた。

けれど今はもう、一方通行だ。

青子がぬるま湯に安心しきって浸かっていた間に、快斗は変わってしまった。
それは寂しくて辛いことだけれど、誰かのせいにして責められるようなことでもな
いのだ。


「……快斗」

いつになく静かに呼びかけた青子に、快斗は顔を上げた。そして青子の目に光るも
のに気づいて、息を呑む。

「……これ、借りといていい?」

首元をぎゅっと握った手が震えていた。
戸惑って言葉を探す快斗に、青子は何とか少しだけ口角を上げる。

「取りにきて。クリスマスが終わったら」

――それまでに、吹っ切れておくから。

青子は心の中で呟いた。

幼馴染の頬を涙が流れていく。
道行く人が何人かぎょっとしたように2人を見ては通り過ぎていった。

「……わかった。お前に預けとく」

しっかりと目を合わせて言った快斗の目にはしかし、青子ではない、別の誰かが映
っているのだろう。
それに気づいてまた涙があふれてきたが、青子はごしごしと目元を拭い、くるりと
前を向いた。

「さーてとっ。当日はご馳走作っちゃうぞー! 快斗が来れないの悔しがるくらい
豪華なやつ!」

明るい声で言った青子に、快斗は少しほっとして、心の中だけでごめん、と呟いた。




                  ***




昼間は子供たちが集まってきて、当然博士も交えてクリスマスパーティーをした。
博士お手製のちょっと変わったクリスマスツリーを飾りつけて、ちょっと豪華な昼
ごはんを食べ、ケーキはきっと夜にそれぞれの家で食べるだろうからと、代わりに
歩美と2人で焼いたツリーやケーンの形のクッキーを振る舞った。

コナン君もいたら良かったのにね、と少し寂しげに言った歩美に、哀は苦笑して思
い出す。
そういえば、去年のクリスマスも、彼はこの場に来れなかったのだったと。

ちょうど、組織との戦いが苛烈さを増していた時期だった。

学校を休みがちになり、そろそろ毛利探偵事務所から身を移す時が来ていた。
そして年が明けると、江戸川コナンは海外に引っ越していったのだ。

それからの潜伏場所は、ごく限られた人間だけが知っていた。哀もその一人だった
が、ついにその場所を訪れることはなかった。
何となく、彼がそれを拒んでいたようにも思えたのだ。


夕飯は博士とローストチキンを食べ、デザートに小さめのブッシュドノエルを3つ
に切り分けて、一つは皿に移して冷蔵庫にしまった。
今日もご苦労なことに警察に呼ばれているお隣さんに少しでもクリスマス気分を味
わわせてやろうという意図を持った、ささやかなクリスマスプレゼントだ。

早めにベッドに入った博士を慮って、できるだけ静かに湯を沸かし、紅茶を淹れる。
地下の自分の部屋に戻ろうとして、ふと、窓のカーテンを捲ってみる。冷気がじわ
りと部屋に忍び込んできた。

「あ………雪」

今年の冬は例年に比べて冷え込みが厳しい。
数年ぶりのホワイトクリスマスに、知らず口元が緩んだ。

ここからでは外がよく見えない。
聖夜だからだろうか、らしくもなく雪をもっと見ていたくなって、哀は二階へと上
がった。

もっと大きな窓から、静まりかえった町に降る白い綿のような雪に一瞬見惚れる。
街灯や門灯や窓の明かりが、冷えた窓の向こうの景色に温かみを与えていた。

――お隣は、真っ暗だけど。

隣の庭の木々が風にざわめいてさらに不気味だ。

相変わらず人気のない隣家に、哀は溜息を吐いて時計を見た。

もうすぐ、イヴが終わる。



その時、暗闇の中に影を見た気がして、哀は目を凝らした。

隣家の門の前だ。
一番近い光源である向かいの家の門灯の明かりの中に、微かに影が見える。

それはぴくりとも動かず、気配に敏感な哀でなければ電柱か何かの影と勘違いして
いたかもしれない。

哀はゆっくりとカーテンを閉めると、コートを羽織って静かに外へ出た。



「何を、しているの」

隣家の門の前で、じっと屋敷を見上げて立っていた人影が、哀の声にゆっくりと振
り向いた。

シルエットでどうやら男だというのはわかったが、暗いのと、哀が距離を取ってい
るのとで顔は見えなかった。

「……え、っと………」

彼が漏らした声からして、比較的若いのだとわかる。同時に、彼が戸惑っているこ
とも。

哀がじっと返事を待っていると、青年は尚も困ったように言った。

「……それが、俺にもよく、わからないんだ……」

哀は眉を顰めた。
もしかして、これは事件だろうか。
クリスマスの、それも深夜に探偵の家の前にいるのだ。その可能性は十分あった。

「……工藤君なら、まだ帰ってないわよ。警察に呼ばれているの」

すると青年は驚くでもなく、まるで知っていたかのようにただ「うん」と相槌を打
った。

「……あなた、工藤君に用があるのよね?」

哀が念を押すように尋ねる。どうにも、青年の雰囲気から緊急性が感じられないの
だ。

すると、青年はまた困ったように言った。

「いや、用っていうか……」

それきり黙ってしまった青年に、哀は盛大に溜息を吐き、意を決して近づいた。

すると、近づいてくる哀に青年は少し慌てたように身じろいだ。
変な話だ。近づいてくるのは小学生の女の子だというのに、何を警戒しているのだ
ろう。

しかし身じろいだわりに後ずさるでもなく、青年はどうしていいかわからないかの
ようにただその場に立ちつくしている。

近づいてようやくぼんやりと見えてきた顔はやはり若く、眉を下げた情けない顔で
哀を見下ろしている。

その顔を見て、哀は目を見開いた。

(工藤君に似てる……!)

が、次に、その頭と肩に積もった雪を見てもっと目を見開いた。
一体いつからここに立っていたのだろう。その首にはマフラーさえ巻かれていなか
った。

哀の視線に気づいたのか、青年は肩の雪を払った。
次いで自分の頭を指差した哀に小さく苦笑を洩らして、頭の雪も払う。けれど髪は
濡れてしまっていて、このままでは髪が凍って風邪をひいてしまうかもしれない。

この青年が一体誰で、何をしにきたのか、依然答えは得られないままだが、彼を見
ていると何故か胸が痛くなった。
顔が似ているせいで、重ねてしまったのかもしれない。
最近、孤独を選ぶようになった探偵と。

だからだろうか。
普段なら絶対に言わないことを口にしていた。

「……うちに、来なさい」

こんな誰とも知らない不審な男を、深夜に家に上げるなど正気の沙汰じゃない。
特に警戒心の人一倍強い哀は、自分で言ったことが信じられなかった。

青年も驚いたように目を丸くしている。そういう顔をしていると、幾分か幼く見え
た。
雰囲気からして大学生かと思っていたが、もしかしたら高校生くらいかもしれない。

「いや、でも……」
「隣だから。工藤君が帰ってくるまで、お茶くらい出してもいいわ」

そう言って哀は踵を返したが、青年が動く気配はなかった。
足を止めて振り返ると、青年はまた困ったように微笑んでいた。その表情は遠慮と
いうのとは少し違っていて、哀は再び胸が痛くなって、何も言えなくなった。

今度は黙って歩き出す。後ろで動く気配がしなくとも、哀はそのまま歩き続け、家
の中へと入っていった。

パタンと閉じた扉に背を預け、そっと願う。

――あの人の想いが、届きますように。

彼が何者なのか、彼の想いが何なのか、何も知らないけれど。
それこそ神なんて信じてもいないけれど。

雪のふる聖夜だから。
一つのささやかな願いを込めて、哀は祈るように目を伏せた。