「ん」
「ほい」
夕飯を一緒に食べて、食器の後片付けも一緒にする。と言っても、工藤邸
のキッチンには食洗器が備えつけられているため、皿を軽く濯いで入れる
だけだ。新一が濯いで、快斗が等間隔に皿を並べていく。
「それにしてももう五月かぁ」
「何だよ、五月病か?」
「うーん。というか、憂鬱?」
「……ああ、鯉のぼりか」
「言わないで!」
「オメーの日なのになぁ、キッド?」
「うう……アレが苦手な子供だっているもん」
軽口をたたき合いながら、作業の手は休めない。
二人分の食器はあっという間に食洗器に収まって、快斗が洗剤を入れ、ス
タートのスイッチを押した。
「はい、終わり」
「サンキュ。コーヒー飲むか?」
新一が聞きながらコーヒー豆の缶を手に取る。が、予想に反して快斗は首
を横に振った。
「ううん、いいや」
そう断ってキッチンを出て行く快斗のあとに続く。
快斗はリビングに入ると、床に置いてあった荷物を拾い上げた。
「もう帰んのか?」
「ああ。明日、連休前の朝礼があってさ。ちょっと早いんだ」
意外な答えに少し驚いた。遅刻・早退常習犯のこの男が朝礼の時間を気に
するとは珍しい。
表情に出ていたのだろう、快斗が苦笑して言った。
「遅れると青子がうるさいんだよ」
「ああ、青子ちゃんそういうとこまじめそうだもんな」
「ホント。さすが刑事の娘」
冗談めかしていうが、彼が幼馴染の少女のそんなところを慈しんでいるの
を、新一は知っている。
「あ、そうだった」
不意に、快斗が思い出したように言った。
「俺、連休中はここ来れねぇから」
「え……」
「予告状見たと思うけど、キッドのショーがさ、ほら、5日に入ってるだ
ろ? その準備とかでちょっと忙しくてさ」
「ああ、そういえば。そっか、頑張れよ」
「ありがと。新一は現場来ねぇの?」
「俺は呼ばれてねーし」
「んじゃ、楽勝かなー」
「油断すんなよ。どっかで鯉のぼりが揚がってるかも……」
「うわーっ! だから言うなって! 大丈夫、夜は下がってるはず!」
「ははっ」
喋りながら玄関へ向かう。
門まで見送りに出ようと快斗に続いて靴をつっかけようとすると、すっと
出された手で制された。
「ここでいいから」
「……ああ」
「じゃ、おやすみ」
「おう。おやすみ」
パタン、とドアが閉じる。
そのドアを数秒見つめてから、新一は廊下を引き返した。
リビングに戻ると、ソファにどっかりと腰を下ろす。快斗が帰って、部屋
の中が急に静かになった。
テレビをつける。
適当にチャンネルを変えて、興味を引く番組がないとわかると、ニュース
チャンネルに合わせてリモコンをソファに放り、目を瞑った。
『次のニュースです――』
アナウンサーの原稿を読み上げる声が、数ヘルツ高くなった。
同時に、「怪盗キッド」の名が聞こえてくる。
瞼を薄っすら開けると、キッドの過去のショーの映像が流れていた。風に
はためくマントを優雅に捌く姿。
首を回してテレビから視線を外すと、壁にかかったシンプルなカレンダー
が目に入った。
四月のページが切り取られたばかりで、まだほとんど書き込みのない五月
のページ。
今日は一日で、あと数時間で二日になる。その翌日は憲法記念日で、その
さらに二日後は子供の日。キッドの予告日だ。
新一はその数センチ手前、「4」の数字をぼんやりと見た。
みどりの日。ラムネの日。ホームズとモリアーティー教授がライヘンバッ
ハの滝壺に落ちた日。
それから……
「誕生日、か」
***
りんごーん
工藤邸のチャイムが鳴って、新一は作業の手を止めた。
書斎で本の整理をしていた新一は、来訪者に見当がついていたため慌てず
に玄関へ向かう。
扉を開けると。
「ハッピー・バースデー!」
「おめでとー! はい、これプレゼント」
予想通りの二人。それと、隣家の少女もいた。
「蘭、園子。それに灰原も」
「ちょうどそこで会ったのよ。誕生日おめでとう、工藤君」
「サンキュな」
入れよ、と促して、三人を招き入れる。
すると、突然の訪問に驚くどころか、待ちかまえてすらいたような新一に、
園子が不満げに頬を膨らませた。
「何か面白みに欠けるわねー。今までは毎年突撃すると、『は?』って顔
してたのにー」
「ほんと。自分の誕生日忘れるなんて信じられないよね」
「悪かったな……」
「まあでも、今年は黒羽君がいるからねー」
もうすでに盛大に祝われてそう、と言う蘭に、新一は曖昧に笑った。
「黒羽君って、新一君の彼氏だっけ」
「うん。そっか、園子はまだ会ったことないんだよね」
「江古田の黒羽快斗って言えばここらへんの高校生の間じゃ有名だから、
名前は知ってるんだけどね」
イケメンなんでしょ〜、と園子が目をきらきらさせる。
新一はそれを呆れたように見て、それから踵を返した。
「ちょっと待ってろ。三人とも紅茶でいいか?」
「うん、ありがとう。でも私たち、そんなに長居するつもりは……」
「あ、何か用事あったか?」
そう問う新一に、蘭と園子は戸惑うように顔を見合わせた。
「えと……用事はないんだけど、邪魔しちゃ悪いし」
「邪魔? 俺もちょうど休憩にしようと思ってたから、別に邪魔じゃねー
けど?」
「休憩って……新一、何してたの?」
「本の整理」
「え?!」
「誕生日に?!」
「お、おう……」
思った以上の反応が返ってきてたじろぐ。
そんなにおかしなことを言っただろうか、と考えていると、今まで黙って
いた哀が口を開いた。
「黒羽君は、どこにいるの?」
蘭と園子が勢いよく哀を振り返って、それから答えを求めるように新一を
見た。
「快斗は用事があるって。だから今日は来ねぇよ?」
「用事……?」
「恋人の誕生日より大事な用事って何よ?!」
蘭は眉を顰め、園子は目尻を吊り上げた。
「まあまあ。あいつも色々と忙しいからさ」
「でも恋人の、それもつき合って初めての誕生日なのに……」
「いつからつき合ってるの?」
「……春休みから……」
「まだ二ヶ月も経ってないじゃない! 蜜月でしょうが!」
「み、蜜月って。おいおい……」
とりあえず興奮気味な二人を宥め、紅茶を淹れて落ち着いて話すことにな
ったのだった。
「それで、黒羽君から連絡はきたの?」
紅茶を一口啜ったところで、哀が口火を切った。
「そうよ! せめてバースデーメールくらいは……」
「いや、特には……」
「何それ!」
せっかく少しは落ち着いたと思ったのだが、どうやら怒りは収まらないら
しい。
新一本人よりも、少女たちの方が怒っている。それが何だかくすぐったく
て、新一は思わずくすりと笑みを零した。
「ちょっと新一君、何笑ってんのよ!」
「そうだよ。新一が一番怒らなきゃいけないのに……」
「オメーらが代わりに怒ってくれっから、俺が怒る隙がねぇよ。それにも
う誕生日を盛大に祝う歳でもねぇし」
元々、ひとに言われなければ思い出しもしないような日なのだ。必ず祝う
必要性も感じないし、用事があるならば別の日でも構わないだろう。
「でも……」
何か言いたげに、蘭と園子が顔を見合わせる。
だが無理した様子のない穏やかな表情の新一に、渋々納得するしかなかっ
た。
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