「…………」
「…………」
 
大学から程近い店の入口から一番遠いテーブルで、二人は向かい合って
座っていた。
そこはチキンカレーが名物で、この時間帯は東都大の学生たちでいっぱ
いになる。当然大学の有名人である快斗と新一を知る者も多いだろうが、
ざわざわしている分会話を聞かれることはないだろう。まあ、その会話
がないのが問題なわけだが。
 
(き、気まずい……)
 
三段階の辛さを選べるチキンカレーを黙々と食べながら、快斗は変な汗
をかいていた。辛さ故の汗じゃないことは確かだ。
黙々と食べているわりにペースがゆっくりだから、きっと新一も会話の
きっかけを色々と考えているのだろう。少なくとも表情が冷たくないの
が救いだ。
 
今まで一番近くにいてリラックスできた相手といるのがこんなに息苦し
くなるなんて、本当に、自分は何てことをやらかしてしまったんだ。
 
「……あのさ」
 
最初に口を開いたのは、新一の方だった。
身構えて、次に出てくる言葉を待つ。
 
「……怒ってる、か?」
「……は?」
 
あまりに予想外の言葉で呆けると、それをどう勘違いしたのか新一が慌
てたように言う。
 
「あ、いや、怒ってるに決まってるよな。あんな卑怯な手使って……」
 
言いながら落ち込む新一に、快斗は一昨日のあれこれに至る経緯をざっ
と脳内でリプレイして、ああ、と納得した。
そういえば薬盛られたんだった。いや、正確には快斗は哀との約束のせ
いで自ら飲む羽目になったのだ。
 
「……あー。いや、それは別にいいけど」
 
そのあたりのことは説明すると面倒なことになりそうだから誤魔化すに
限る。この場合、薬を自ら服用した上、それのせいにして無理やり犯し
てしまった自分が全面的に加害者なので。
そこのところどう思っているのか、何と聞いたら良いかわからなくて、
快斗はとりあえず気遣ってみた。
 
「えと……腰、は平気?」
 
すると、新一の顔がぼん、と赤くなった。
それを見て間違えた、と焦る。
 
「その、違くて――」
 
うわぁ、自分のばか。
焦ってしどろもどろになるうちに、自分の頬も熱くなってきた。いや、
これはカレーが辛いせいだ、と一番甘口を選んでおいて苦しい言い訳を
する。
 
「へ、平気だ」
 
新一が答えてくれたことにほっとする、と。
 
「……やっぱ、ちょっと痛い、かも」
「!」
 
ああ、自分は今真っ赤に違いない。呪文のようにポーカーフェイスポー
カーフェイス、と唱えてもまるで効果なし。
赤い顔で目を逸らしてもごもご言う新一は殺人的な可愛さだからしかた
ない。
 
「……それじゃあ」
 
顔は赤いままで、新一が真剣な目で快斗を見た。
 
「返事、くれるか」
「……返事?」
 
って何の?ときょとんとした快斗に、新一もつられたようにきょとんと
する。
 
「……え。だからその、告白の」
「告白?」
 
快斗は今一度、一昨日の夜の出来事を脳内再生する。快斗が責めて、新
一が自慰を目の前で始めて、パニクって突き放したら……
 
「……え、あれって本気だったのかよ?」
「ひでぇ! あんなこと冗談で言うわけねぇだろーが!」
「だって! あんな状況でいきなりあんなこと言われても」
 
てっきり、薬で意識が朦朧としている状態で、快斗を引き止めるために
適当に口走っただけだと思っていた。それでも威力は十分だったが。
 
「ちょっと待てよ、ってことは工藤、俺のこと」
「好きだよ!」
「じゃあ俺に薬盛ろうとしたのも」
「ああ好きだからだよ!」
 
はぁ……と一気に快斗は脱力した。
白馬から薬の話を聞いた時からずっと、何故新一がそんな真似をしたの
かわからなかった。ぐるぐる悩んだ末にたどり着いた一つの結論は、新
一が興味本位で快斗を抱いてみたいと思っているんじゃないかという可
能性で。好敵手であり親友でもあると思っていた相手に貶められたと思
って勝手に絶望していた。
 
何だ、俺のこと好きだったのか。
裏切られたと思って傷ついていたのは見当違いだったわけかと納得して
落ち着いたところで。
 
軽く睨むようにじっと快斗を見ている新一が視界に入って、一気に意識
を引き戻された。
 
そうだ、自分は今告白の返事を催促されているのだった。
 
「あ、あーっと」
 
客観的に見て自分は今、割と最低な男である自覚がある。せめてここは
はっきり答えなくては、と口を開くも、その時になって自分の中にまだ
その答えがないことに気づいた。
 
「無理ならはっきり言ってくれ」
「そういうわけじゃ……」
「俺のことどう思ってるんだ?」
 
これまでなら簡単に答えられた。工藤新一は最高の好敵手で、親友だ。
誰よりも信頼し、背中を預けられる。けれど、そこに恋愛感情があるか
どうかは別の問題だ。
新一相手に欲情し、結果としてセックスしたのだから、彼とそういう関
係になることに生理的な嫌悪感があるわけではないのは実証された。だ
が新一と積極的に恋人としておつき合いしたいかと言うと……わからな
い。自分の中に確かにある新一への好意が、友情なのか恋情なのか。正
直まだ混乱しているのだ。
 
「あのさ」
 
わからないなら、わかるように努力したい。新一とちゃんと向き合うと
決めたのだ。
 
「俺とデート、しよう」
 
そう提案した快斗に、新一は困惑した表情を浮かべた。
 
「それって……」
「時間がほしい。ちゃんと考えたいから」
 
快斗の真摯な思いが通じたのか、新一は表情を和らげた。
 
「俺にチャンスをくれるってことだよな。ありがとう」
「いや。俺こそ一昨日はごめん」
 
やっと、素直に謝れた。
告白にデートにセックス。順番がでたらめになってしまったが、ここか
ら仕切り直しだ。
最終的に新一との関係がどう変化するかはわからないが、自分に最も近
い存在であることは変わらないだろうなと、快斗はどこか晴れやかな気
持ちで思ったのだった。
 
 
              ***
 
 
この時期はもうしかたないと諦めているが、案の定、朝から空はどんよ
りと重たい雲に覆われていた。折り畳み傘を忘れずに鞄に入れて家を出
る。
 
待ち合わせは現地の最寄り駅。
三十分前に到着すると、駅前のベンチに腰掛けている新一が視界に飛び
込んできた。手元の文庫本に目を落としていて気がついていないが、通
りかかる人たちが時折ちらちら振り返っている。

「え、何でもういんの?!」

駆け寄ると、気づいた新一が顔を上げた。

「あ、黒羽。おはよう」
「はよ。早くね?」

すると新一は少し照れたようにはにかんだ。

「遅刻して最初から失敗するわけにはいかなかったからさ」
「失敗?」
「今日は俺にとっては大事なチャンスだから。お前に好きになってもら
うための」
「あ、ああ……そうだな」

はっきり言われて面食らう。というか正直照れる。

「それじゃ行くか」

腰を上げた新一と向かうのは赤い鉄塔。それぞれ色々な思い出がある、
少し前までの東京のシンボル、東都タワーだ。
デートだからそれらしいところに行こうと、ここを提案したのは新一だ
った。

エレベーターで展望台につくと、ポケットに突っ込んでいた腕を引かれ
た。

「黒羽! 向こうが景色いいぜ」

肘から伝わってくる温度にどきっとする。引かれるままに人混みを抜け
て、展望台の窓に近づいた。

「あそこに富士山! なっ?」
 
無邪気な笑顔で振り向いた新一にちょっとくらりとしながら、快斗は恐
る恐る尋ねた。

「なあ、それって素でやってる?」

すると新一はその笑顔のまま少しだけ目を細めた。
 
「こういうのに弱いんだろ?」
「う、じゃあやっぱり――」
「お前をオトすためなら何だってやるつもりだぜ、俺は」
「あ、そう……」
「何なら手繋ぐか?」
「そんな恥ずかしいことできるかバーロ」

おもしろがる新一に条件反射で拒否すると、「残念」と言ってあっさり
腕にかけていた手を離した。ちょっとだけそれを寂しく思ったなんて認
めたくない。

開き直った名探偵は強い、と先行きが不安になった快斗だった。






















2014/02/18