男のハートは胃袋で掴めと言うが、それはある意味真理だと快斗は実感
していた。
何をやっても、スケート以外の大体のことはそれなりにこなせる自分は、
料理の腕も世間の平均を上回るレベルだと思っているが、正直、あの推
理とサッカー以外はからきしな探偵が、料理を、それも本格イタリアン
を作れるとは思っていなかったのだ。
独り暮らしが長いのは知っていたが、食事はどうせあの幼馴染の少女に
頼り切っていたのだろうと思っていただけに、料理上手の話を小耳に挟
んだ時は疑わしかった。
カナッペをつまみながら、そんなことをぐるぐる考える。いや、それは
ただこの映画が思ったよりもつまらないからこうして思考が余計な逸れ
方をするのであって、断じてすぐ隣に座っている新一をそういう目で見
ているとかはない。断じて。
ちらりと横目で新一を観察する。
目は画面に釘づけで、程良く酒も進んでいる。お互い一杯目はとっくに
飲み干して、五杯目ももうすぐなくなる。時間にして、二人が服用して
からそろそろ一時間経とうとしていた。
そう、哀の言い付けを自分でも驚くくらい律儀に守って、快斗もしっか
り薬を服用していた。自覚できる効果はまだないが。
哀の欲しがっているデータは、新一が普段から身につけている腕時計で
計測できるらしい。麻酔針のストックを一本から三本に増やしたことに
加え、脈拍、発汗を測り、異常が出た場合のみ自動的に哀のパソコンに
記録が送信されるというハイスペックぶり。これで見た目は以前とほと
んど変わらないのだから、博士が実はその手の企業から引っ張りだこな
のも素直に頷ける。
ちなみに、こちらは手動での送信というややスペックの劣るものではあ
るが、快斗も同じような腕時計型計測器を装着している。
皿に残った最後のモッツァレラを口に放り込む。
それにしても、薬をアルコールと一緒に摂取させるなんて大丈夫なんだ
ろうか。哀の判断を疑うわけではないが、仮にあれが風邪薬だったら今
頃は病院行きだ。
と、相変わらず映画の内容とはかけ離れたことに思考を飛ばしていると、
唐突にそれはやってきた。
新一の様子がおかしい。
「え……? あ、れ……?」
戸惑う新一に、快斗は来たか、と目を細めてリモコンに手を伸ばした。
***
「……何でこんなことに」
途中で気を失った新一を前に、快斗は我に返った。
呆然と呟いてみても、己の無駄に優秀な頭脳はすべてを詳細にわたって
記憶している。
ちょっと責めるつもりが、目の前で自慰を始められてパニックになり、
つい突き放すような物言いをしてしまった。そしてとにかく逃げようと
したところで、まさかの告白。反則すぎる。
抱きながらもやもやしていたものを吐き出してしまった気がするが、そ
んなことより、あんなふうに誘惑されて拒絶できる男がいるわけない。
というか、薬のせいだ。
酒のせいだけでなく何となく身体が火照っていたし、そんな状態であん
な姿の名探偵を見せられたら……要は、新一がエロすぎるのが悪い。
「いや、でも……嫌がってたよな……」
無理やり力で抑えつけた。こわい、と言われた。あの怖いものなしの強
気な探偵の口から、「こわい」なんて。
泣いていた、と思う。
そしてそんな彼に、自分は「責任取って一発やらせろ」とか何とか言っ
た気がする。
「……やっべー」
これ強姦だよな、と快斗は頭を抱えた。
「……哀ちゃんに殺される」
絶対零度の笑みを想像したら全身に鳥肌が立った。
――とりあえず逃げよう。
快斗はそう決めると、手早く濡れタオルで新一の身体を拭き、彼の寝室
に連れて行ってベッドに寝かせた。
そして、逃げるように工藤邸を出た。
***
「黒羽君、誕生日おめでとう!」
「おめでとー!!」
大人数用のカラオケボックスの一室で、一斉にクラッカーが鳴る。火薬
の匂いとともに、ふわりと紙のリボンが飛び出した。本当は禁止されて
いるのだが、女の子たちがこっそり持ち込んだケーキやお菓子でテーブ
ルが埋まっている。
主に大学の友人たちが企画してくれた会で、本当なら賑やかなのが好き
な快斗も一緒に騒ぎたいのだが、今は他のことで頭がいっぱいで、そん
な気分になれなかった。
ノリのいい歌をふざけて熱唱している友人たちを尻目に、こっそり溜息
をつくと、隣に座って手拍子していた女の子が声をかけてきた。
「黒羽君どうしたの? さっきから溜息ばかりついて」
「あ……俺溜息ついてた?」
「うん。何か悩みでもあるの?」
「いやぁ、実は新しいバイクのヘルメット、黒か青で迷っててさぁ」
「黒羽君バイク持ってるの? かっこいい〜!」
話していると、他にも女の子たちが会話に入ってくる。
「なになに、黒羽君バイク乗るの?」
「今度後ろ乗せてよー」
「ダメよ、そういうのは彼女限定なんだから」
「そういえば黒羽君ってそういう噂聞かないけど、つき合ってる子いる
の?」
女の子たちの興味深々な目で見つめられて少したじろぐ。
「い、いや、特にそういう子はいないかな」
「ぜってー嘘だ。こんなにモテる奴に彼女がいないわけねぇ!」
マイクを持ったままの友人が絡んできた。
「じゃあ好きな子は?」
「え……」
「それこそ、百戦錬磨のこいつが片想いとかありえねーだろ!」
「もう、草間うるさいっ」
「ひでぇ! 俺と黒羽の扱いが違いすぎる……!」
「そんなのあたりまえでしょ」
「黒羽君と並ぶなんて百年早いわよ」
女の子たちから猛攻撃される草間が、およよと泣き真似をして近くにい
た友人にしな垂れかかった。それに苦笑しながら、ちょっとそんなポジ
ションを懐かしく思う快斗だった。
高校の時は、確かに人気者ではあったけれど、青子もいたし、女子から
からかい混じりの文句を言われることも多かったのだ。こんなあからさ
まな王子様ポジションは、正直ちょっと窮屈だ。
「黒羽と並べるなんつったら……あの工藤新一か、白馬探くらいか?」
草間にしな垂れかかられた友人、原田が、草間を引き剥がしながら冷静
に言う。
突然出てきた名前に、快斗はぎくりと肩を強張らせた。
「お前ら三人よくつるんでるよな」
「まあな……」
「黒羽君と工藤君って似てるから、一時期生き別れの双子じゃないかっ
て噂が立ったよね」
「あったな、そんなこと」
「工藤君の方が線が細いっていうか、綺麗系だけど」
すると、そういえば、と草間が思い出したように言う。
「ああ、サークルの先輩が、工藤新一が相手なら男でもいけるかも、つ
ってたわー」
「はっ?」
快斗が驚いて顔を上げると、声に無意識に険が含まれていたのか、草間
は慌てて手を振った。
「いやいや、ネタだと思うけどな? 悪い、友達をそんなふうな言われ
方したら嫌だよな」
「あ、いや」
「もう、草間はデリカシーないからモテないのよー」
空気を読んで茶化してくれた友人のおかげで、一瞬の気まずさはすぐに
消え去った。
まったく、気を遣わせて自分は何をしているんだ、と軽く自己嫌悪して
いると、ポケットの携帯が震えた。着信だ。
「……っと、ちょっとごめん、電話だ」
席を立ちながら、携帯の画面を確認する。
表示は「ドクター」。
予想していたことだが、顔が引き攣った。
部屋を出て、ドアをきちっと閉めてから応答のボタンを押した。
「……もしもし」
『黒羽君? 何で連絡寄こさないのよ』
「えっと……」
とりあえず危惧していた怒鳴り声でも冷たい声でもないことに安堵する
が、彼女が不機嫌なのには変わりない。
『私、あなたが結果を連絡してくるのを待ってたのよ。工藤君とずっと
いちゃいちゃしてるならしょうがないとも思ったけど、隣に電話したら
もう帰ったって言うじゃない?』
「あー……」
いちゃいちゃ、にはつっこまないでおこう。
『一体何があったの?』
「……それ、言わなきゃダメ?」
恐る恐る尋ねると、大仰な溜息が聞こえてきた。
『……別に経緯を説明しろとは言わないわよ。ただ、こっちで記録させ
てもらった脈拍と発汗以外にも、見た感じの工藤君の様子とか症状を聞
かせてもらいたいから、近い内に一度うちには寄ってちょうだい』
「うん……」
そういえば、快斗が借りていた腕時計型計測器もまだ返していなかった。
『それに、工藤君だいぶ元気がなかったみたいなの。あなた、自分が彼
の中でどれほど大きな部分を占めているかいい加減自覚してちょうだい。
このまま彼が食事も摂らなくなったら、私、しばらくあなたのこと許せ
そうにないわよ』
新一の中の自分。そして自分の中の新一。
そうだ、改めてすべて最初から考えてみないと、何も答えは出ないし、
新一と向き合えない。
通話を切る前に、哀がそういえば、と付け足した。
『誕生日おめでとう、黒羽君』
そう言ってせっかちに切れた携帯を見下ろして、快斗は苦笑した。彼女
も大概素直じゃない。
そのまま、メール画面を開く。
【 昨日はごめん。
誕生日、祝ってくれてありがとな。
……明日の昼、一緒に食おう 】
たった三行。そこまで打って、顰めっ面でじっと画面を見つめる。
そして、最初の二行をデリートした。送信。してから、思わずずるずる
としゃがみこむ。
「昨日のことスルーでいきなり明日の昼の約束とか……俺無神経すぎん
だろ……」
腕の中に顔を伏せると、携帯が震えてびくっと頭を上げた。
【 わかった。正門でいいか? 】
メールは便利でもあるが不便でもある。これじゃ、新一の感情が一つも
読めない。
「OK、と」
常だったら気安さ故の短い返答だが、今は他に何と言っていいかわから
ない。昼を食べるだけで、「楽しみにしてる」なんてのも大げさだ。
そもそも、あんな酷いことをした自分が言うのも何だが、新一は快斗と
顔をつき合わせて食事をするのは平気なんだろうか。
あるいは今彼は、携帯を握り締めながら快斗への憎しみを増幅させてい
るのだろうか。誘いを了承したのも、快斗にコーヒーをぶっかけるくら
いのことをしないと気が済まないからなのでは……。
それから、トイレに行こうと出てきた原田に発見されて訝しげな顔をさ
れるまで、快斗は壁際に蹲って悶々としていたのだった。
盛り上がりにかける中編。
これ絶対あと1話じゃ終わらないよ……
2014/02/07