工藤新一とは大学で再会した。
かつてさんざんショーを掻き乱してくれた小さな探偵は消えたが、代わ
りにすらりとした体躯の青年が現れた。
噂を小耳に挟んだ時には、完全復活おめでとう、と人知れず呟いた。
再会は予期していた。
彼の進学先についての情報は何も仕入れていなかったが、お膳立てをし
なくとも、彼と自分の因縁はそれだけ強いものだという根拠のない自信
があった。
快斗は大学でも友人が多いが、気を許しているのは新一だけだ。周りか
らは親友みたいに扱われているが、実際は親友という言葉だけでは表し
きれない関係だ。他人が想像もできないくらいに、二人の関係は深い。
探偵くんでも名探偵でもなくて、コソ泥でも怪盗キッドでもなくて。友
達みたいに、本名で呼び合える日がくることをずっと楽しみにしていた。
今はそれが、何の障害もなくできる。
「工藤ー、昼飯行こうぜ」
鞄を無造作に肩にかけて、いつものように隣の席に声をかける。大学で
出会ってからもう一年以上経つが、工藤、と呼ぶたびにいまだに喜びを
噛み締める。
「あ、えっと、悪い……ちょっと用事がある」
ぎこちない謝罪に、その喜びは急速に萎んでいった。
「そっか、ならしかたねぇな。じゃ、また3限でな」
「おう」
何でもないふうを装って、先に講義室を出る。出て行く寸前に新一を振
り返ると、熱心に携帯を見ている。
やがて速足で飛び出していった新一の行き先は、後をつけずとも検討が
ついていた。白馬だ。
こうして誘いを断られるのは初めてのことじゃない。
ここ何日かは特に。それは今日のように昼ご飯の誘いだったり、週末の
遊びの誘いだったりするが、そういう時、決まって新一は白馬と二人で
会っているようだった。
二人の仲が良いのは理解できる。シャーロキアンだし、探偵だし、お坊
ちゃん属性だし、話が合うのは当然だ。
だが、それなら自分だってホームズの話でも事件の話でもついていける
自信はあるし、何より自分の方が一緒にいて面白いと思う。そんなに白
馬がいいのか。
親友だと思っていた奴に自分より親しそうな友達がいて嫉妬しているみ
たいで、小学生か、と自分にツッコミを入れる。変だ、こんな不毛な自
己嫌悪なんて自分らしくない。
苛立ちを抑えるように髪を掻き混ぜた。ここのところずっと、生理中の
女の子みたいにもやもやする。新作マジックの開発にも身が入らないな
んて相当だ。早く、何とかしないと。
***
新一が学食から出て行ったのを確認して、入れ替わるように白馬の目の
前に座った。
「おや、黒羽君」
突然現れた快斗に驚くでもなく、白馬はにこやかに応対した。
何が、おや、だよと内心で舌打ちをする。
「工藤に何渡した」
不機嫌を隠しもせずに言うと、白馬は懐から小さなパッケージを取り出
し、テーブルの上をすっと滑らせた。一見、病院で処方される粉薬のよ
うに見える。
快斗はそれを一瞥しただけで、すぐに視線を上げる。
「これは?」
「いわゆる媚薬のようなものだね」
「び……!」
「心配しなくとも一応合法だよ」
「心配してんのはそこじゃねぇよ!」
思わずつっこんでしまった。
新一が媚薬? 何のために? 一体誰に使おうと言うのか。いや、彼の
ことだ、きっと何かの事件の捜査のために――
「彼の個人的な事情で、入手を依頼されたんだ」
淡い期待はあっさりと打ち砕かれた。
「個人的な、事情……」
「21日までに調達してくれと頼まれていたんだ。思い当たること、あ
るんじゃないかい?」
「俺の誕生日じゃねぇか……」
ということは十中八九、相手は自分だ。
だが、一体なぜ。性に疎いと思っていた彼が、親しい友人に黙って薬を
盛るなんて犯罪まがいの行為、何の意図があって。
いや、意図が何であれ、用途は一つしかない。
「意味わかんねぇよ……」
もしかしたら、親友になれたと思っていたのは快斗だけで、新一にとっ
て快斗は所詮ただの元怪盗。元犯罪者にすぎないのではないか。性に興
味を持って、快斗を体の良い実験台に利用しているのではないか。
考え出したら止まらなくなって、思考はどんどんネガティヴな方へと転
がり落ちていく。
苛立ちやら悲しみやらでわけがわからなくなって、快斗は吐き捨てるよ
うに言った。
「それにしてもお前、俺に依頼内容ぺらぺら喋ってよかったのかよ」
探偵の守秘義務ってやつはどこへ行ったんだ、と軽蔑を込めて言うが、
ただの八つ当たりであることを理解しているのか、白馬は余裕を崩さず
に肩を竦めた。
「特に口止めはされていないからね」
しれっとした態度で薄い煎茶を啜る。まったく、新一はこの男を信用し
すぎなのだ。大体にして、薬の包みを二つも用意していることからして、
快斗の追及は想定内だったのだろう。これだから探偵は気に食わない。
もう話すことは何もないとばかりに、快斗は席を立った。薬の包みをつ
まみあげて懐に収めるのは忘れない。
「それにね」
踵を返した快斗の背に声が飛んでくるが、快斗は振り返らなかった。
「僕にとっては二人とも、大切な友人なんだよ」
***
「そうね、」
別段急ぐでもなく白衣を羽織った少女は、印刷したばかりの成分データ
のリストをひらりと差し出した。壁に腕を組んで凭れかかっていた快斗
は、少し身を起こしてそれを受け取る。
「確かに、媚薬の類と言ってもいいかもしれないわね」
白馬から例の薬を受け取って真っ先に、快斗はそれを哀の元へと持ち込
んだ。新一側の人間に協力を求めるのはどうかとも思ったが、性の匂い
をさせるものに関して、新一が哀に自ら打ち明けるとは考えにくい。昨
日、成分分析を依頼した時の反応からして、その推察は正しかったよう
だ。
「と言っても、一般的な催淫薬とは少し違うかしら。引き起こす症状は
主に、心拍数の上昇、血流の促進、体温の上昇など。風邪をひいて熱が
上がると、肌が過敏になるでしょう? それに少し似ているわね」
「なるほど」
「まあ、効果は短時間でしょうし、薬にある程度耐性のあるあなたなら、
大した効き目はないんじゃないかしら」
哀は新しく淹れ直したコーヒーを飲みながら言う。手振りで快斗も飲む
かと聞いてきたが、すぐに辞去するつもりなので首を振る。
「とりあえず、危険な成分はないんだ?」
「ええ。カップルが盛り上がるのに使う分には、問題ないんじゃないか
しら」
「哀ちゃん……」
中身が自分よりも年上なのはわかっているが、見た目は小学生である。
幼い少女からそういう話が出ると居たたまれなくなる。そんな依頼を持
ちこんだのは自分だが。博士にバレたらしばらく出入禁止になりそうだ。
「ところで黒羽君。一つ気になっていたのだけれど」
「何?」
「それ、あなたが使うの?」
「……はあ?!」
聞き間違いかと思った。だが哀は首を傾げた。
「あら、違うの。じゃあ工藤君に使うの?」
「いやいやいや」
全力で否定して、今更ながら、そういえば哀に何の経緯も説明していな
いことに気づいた。思えば、昨日いきなり「これちょっと調べてくれな
い?」と研究室に奇襲をかけたのだった。レディ相手に失礼にも程があ
る。
「っていうか何で俺が工藤と使うことになってんの」
疲れたように言うと、哀は奇妙な顔をしてから、「まだだったの」とか
何とか呟いた。意味がわからない。
それから哀は再び爆弾を落とした。
「ねぇ、あなた、工藤君相手だったら抱かれてもいいと思う?」
「はあっ? 何で俺が工藤に抱かれなきゃなんねぇの?!」
「じゃあ、工藤君を抱きたいと思う?」
「だっ……?! だから何でそんな話になってんの?! 俺は工藤に抱
かれたくないし抱きたくもないっての」
「あら、そう」
すると、哀は思案するように視線を宙に巡らせた。それからパソコンの
モニターに映し出されている薬の成分表に目を落とす。
「あの……?」
「ねぇ、それじゃあ試してみない?」
「……何を?」
何だかもう嫌な予感しかしなかった。
「ちょうどデータがほしかったのよ。工藤君はアポトキシンの解毒薬を
服用してから、薬物に対する耐性が著しく落ちていて、今はそれを回復
する治療法を探しているの。だから、あなたと工藤君とで、その薬を服
用して、データを取らせてちょうだい」
「……灰原さん」
「何かしら」
「それ、俺が服用する必要、あります?」
「もちろんよ。耐性のあるあなたと、ない彼とで、データを比較したい
もの。だから、できるだけ同じ状態で摂取してちょうだい。食べたもの、
アルコールの摂取量、疲労の度合いなんかも」
あくまで真面目に言いきる哀に、拒否権はないのだろうと嘆息した。厄
介な薬をここに持ち込んだ時点で、分が悪い。
しかし彼女は、死線を潜り抜けてきたあの名探偵に薬を盛るのが、どれ
ほど難しいことか理解しているだろうか。いかに自分が元怪盗であり凄
腕マジシャンだとしても。
「彼、あなたといる時は無防備だから大丈夫よ」
哀が心を読んだように言う。
「私からそれとなく……そうね、食後に、飲物に混入させるように誘導
しておくから、あなたも同じタイミングで飲ませるのよ」
「はぁ……」
小瓶に入れ替えられた薬の残りを押し付けるように渡されて、何だか妙
なことになったと溜息を吐く快斗だった。
かづき様リスエストです。大変お待たせしました……!
データがまるまる消えること2回……(泣
この話では快斗が珍しくツンデレです。盗聴したと言ったのは、白馬の
信用を守るための嘘だったようです。
2014/02/01