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普段から講義には遅れない新一だったが(事件の場合を除き)、こ
の日はさらに早めに家を出た。

電車の中でOL風女性に痴漢する不届き者を一人捕まえるというア
クシデントに見舞われつつも、講義室に着いた時にはまだ学生は疎
らだった。

人が少ないことにほっとして、階段教室の後ろの隅に座る。ここな
ら目立ちにくい。
新一は有名人で注目を浴びやすいが、遠目に見られるだけで、気軽
に話しかけてくる者は少ない。今日のように近寄りがたい空気を放
っている時は尚更だ。

だが、そんな空気を読まずに――いやむしろ読んだ上でわざとなの
か――教室に入ってくるなり新一を見つけて、近寄ってきた男がい
た。

「おはよう、工藤君」

自然な流れで一段前の席に腰掛ける。

「白馬……」
「君が後ろの方に座るなんて珍しいね」

いつもならいつ要請が来ても抜けだしやすいように、扉に近い前列
の端に座るのを知っている白馬が言う。

「まあな」
「そちらは?」
「ああ……知り合いだ」
「何か訳ありのようだね」

言い淀む新一にしかし、白馬は詮索することはしなかった。こうい
う空気はしっかり読む男だ。後で説明する、と言った新一に頷く。

「僕は探偵の白馬探。工藤君とはシャーロキアン仲間で、友人です」
「三宮和則です。よろしく」
「こちらこそ。……ところで」

白馬がさっと周りに視線を走らせたのを見て、新一は嫌な予感がし
た。

「黒羽君は一緒じゃないのかい?」
「!」

前言撤回、こいつはAKYだ、と心の中で白馬を罵るが、そんな心
中を知ってか知らずか、にこにこと人の良い笑みを浮かべている白
馬。
三宮が首を傾げた。

「黒羽って誰?」

すると、白馬が純粋に驚いた顔をする。

「工藤君と一緒にいるのに、黒羽君にまだ会っていないんですか?」
「え、うん」
「は、白馬……」
「? どうせ黒羽君もこの授業を取っているんだから、隠しても意
味ないだろう?」
「そうだけど……!」
「ホント、そうだよなー」
「っ?!」

突然背後から聞こえてきた声に、三宮が弾かれたように振り返った。
そこには、いつからいたのか、髪があちこちに奔放に跳ねている、
どこか新一と似た面差しの青年が膨れ面をして立っていた。

「黒羽君……」
「快斗、どこから湧きやがった」
「やめろよー、人を虫みたいに」

顔を顰める新一と、呆れた様子の白馬。
突然煙のように現れた青年に驚いているのは三宮だけで、その事実
に余計に三宮は混乱した。
が、とりあえず、この青年が件の“黒羽君”であることは判明した。

新一は深い諦めのため息を吐いて、混乱している三宮に向き直った。

「三宮さん、こいつは黒羽快斗。俺の……あー、友人です」
「新ちゃんひどーい」
「るせー」
「え、っと、三宮和則です」
「話は新一から聞いてますよ。どうもよろしく」

人好きのする笑顔で、右手を差し出される。それを三宮が握ろうと
手を出した瞬間、快斗のジャケットの袖口が膨らんで、小さな白い
頭がひょこりと飛び出した。

「うわっ」

快斗がニッと笑ってシルクスカーフを一振りすると、さらに数羽の
鳩が現れ、三宮の周りを飛び回る。快斗が指を鳴らすと、煙ととも
に鳩は宙に消えた。

「え、わ、何今の! マジック?!」

すげぇすげぇ!と三宮が興奮して快斗に詰め寄る。

「お褒めに預かり光え――いだっ」
「目立つことしてんじゃねーよ!」

新一の蹴りが的確に快斗の脛を捉えた。

せっかく目立たない後方の席を陣取ったのに、快斗のせいで注目を
浴びている。さりげなく背の高い白馬が三宮の姿を隠すような形で
立っていなければ、サングラスをしているとはいえ、誰かが気づい
て騒ぎにならないとも限らない。

だが幸いなことにタイミング良く教授が教室に入ってきたため、ざ
わめきは収束した。

脛を押えて蹲っていた快斗も、いつの間にかちゃっかり新一の隣に
座っている。

「工藤君って、意外と足癖悪いんだね」
「えっ! あ、いや……さっきのはつい」

良いお坊ちゃんのイメージがあったのに、新事実を発見して三宮が
言うと、笑って誤魔化す新一の向こうから快斗が身を乗り出してく
る。

「そうそう。新一ってば本当はすっげ暴力的なんですよ。俺なんか
何度殺されそうになったか……逮捕されてないのが不思議なくらい」
「ほーう。オメーがそんなにスーパーの鮮魚コーナーに置き去りに
されたかったとはな」
「ひぃぃぃっ、ごめんなさいっ」

何故か涙目の快斗。

二人の力関係を理解した三宮だった。




二限が終わると、昼休みだ。

昼飯ー!とまるで高校生のようなテンションで立ち上がった快斗に、
呆れる新一と苦笑する三宮。

「ご一緒しても?」
「ああ。説明もしといた方がいいだろうしな」
「俺いい場所知ってる」

学食ではなく快斗情報の穴場スポットで食べることにした四人は、
購買に寄った。

「あー! もうまたそんな小食!」
「いいじゃねーか別に」
「女の子だってもっと食べるっての……はい、新一はこれとこれな」
「おい勝手に……」

ぎゃあぎゃあ言いながらも一目で仲が良いのがわかる二人のやり取
りを三宮が遠目に見ていると、隣に白馬が並んだ。

「入り込めないでしょう?」
「ああ……仲良いよね。似てるけど親戚なのかな?」
「いえ、血の繋がりはないはずです」
「じゃ親友か」

三宮がそう言うと、白馬は微妙な表情を浮かべた。

「親友……ええまあ、それに近いものもあるかもしれませんね。も
っとも、彼らの関係性は複雑すぎて、一概に名前をつけることは難
しいのでしょうけれど」
「へぇ……」

再び二人の方へ視線をやる。

事件捜査中の真剣な顔や、三宮に向ける人当たりの良い笑みとも違
う、遠慮のない仏頂面と、垣間見える信頼。
推理中は凛とした雰囲気を放つ探偵・工藤新一も、親しい友人の前
ではただの大学生になる。口も意外と悪いし、手や足も出る。食生
活に関しては不摂生。

そしてそんな素の姿を自然に引き出しているのはきっと、黒羽快斗
という青年なのだ。彼が工藤新一にとって何なのかはよくわからな
いけれど。

「今は工藤君の家の泊まっているんですよね。なら、そのうち見え
てくるかもしれませんよ」

白馬が意味深なことを言う。
どこか挑戦的に聞こえるのは深読みのしすぎだろうか。

「……あれ? 俺、工藤君ちに泊まってるって話したっけ?」

ふと気づいて問う。

「いえ。ですが、ボディーソープの香りが一緒でしたから」
「へ、へぇ……」

それほど密着したわけでもないのに香りを嗅ぎ分けられる嗅覚に驚
けばいいのか、そんな些末なことを気に留めている探偵の性にどん
引けばいいのか。

「しかし、そうなると黒羽君が荒れそうですね……」
「え? 今何て?」
「いえ、何でも」
「三宮さーん、買えました?」
「あ、うん。今行くよ」


出口で合流すると、新一の持つビニール袋に目を落とす。おにぎり
二個とサラダと缶コーヒー。これでも快斗が増やした方なのだ。

「オメーのおススメってどこ?」
「あそこ」
「ああ。あそこか。つーか昨日のあれ何だよ」
「へへ、助かったでしょ」
「そうだけど! 何やってんだ……」
「だって俺だけつまんねぇんだもん」
「あのなぁ……」
「っていうか新一、それ! どういうこと?」
「え? 別にいいだろ?」
「だめだめだめ」
「えー」
「それにそっちも」
「いや、だって」
「そうだけど。何かやだ」
「やだってオメーな……」
「わかれよ……」
「……しょーがねーな」

前を歩く二人の会話に、三宮は首を傾げた。

「すごいでしょう」

白馬が笑いを堪えるように言う。

「うん。よく話が通じるよな。熟年夫婦かよって」
「ああ、その表現はあながち間違っていないかもしれないですね」
「え」

思わず隣を見ると、白馬は読めない笑みを浮かべていた。

























2013/08/29