「どうも。十日間お世話になります」
約束の日の朝、三宮は二つの大きなスーツケースとともに工藤邸の玄
関に現れた。
「ここがリビングで……こっちがダイニング、キッチン……ここがト
イレで、あの扉がバスルームです。奥は書斎です」
まずは一階をざっと案内する。
次に二階に上がって、三宮に貸す客間へと連れて行った。
「三宮さんはここを使ってください」
ベッドと書き物机、クローゼット。
部屋を見回して、三宮は尋ねた。
「工藤君の部屋はどこ?」
「三つ隣の部屋です。階段上がってすぐの」
「へぇ。間の二つの部屋は?」
「物置です。調査に必要な資料とか、俺の私物を置いてます」
淀みなく答えるが、内心はどきりとしていた。
新一の部屋の隣は、本当は新一と快斗の寝室で、その隣は快斗の部屋
だ。今は両方とも鍵をかけてある。
風邪や大怪我で二人一緒に寝られない時のために、新一の部屋にもシ
ングルベッドが一応置いてあるから問題はない。まさかこんな理由で
必要になるとは思わなかったが。
「それと、この家の合鍵です」
快斗から返してもらった鍵を渡す。と、珍しい形状のそれを興味深げ
に見ながら、三宮が少し驚いたように言った。
「え、いいの?」
「ないと困るでしょう?」
「でも俺、常に工藤君と一緒にいるつもりだから、必要ないんじゃな
いかな」
予想外の返答に、一瞬言葉をなくした。
「……俺、一応学生なんで平日は大学があるんですが」
「ついてくよ? 名探偵の普段の姿も見せてほしい」
「……三宮さんだって、お仕事があるでしょう」
「この十日間は大丈夫。空けてあるから」
「…………」
この多忙を極めるだろう人気アイドルが、たかだか探偵の観察のため
に十日もフリーにするとは。それだけ本気ということなのかただの酔
狂か。
「……俺にもプライベートが……」
「友達と遊んだり? よかったら俺も交ぜてもらえないかな。それと
も、デート?」
「…………」
恋人いるの?と興味深々な三宮に、一瞬脳裏に快斗の顔が浮かんだが、
絶対紹介なんかするものか!と自分でもよくわからない対抗心を燃や
す新一だった。
警部からの電話はその日のうちにあった。
「三宮さん、鳥矢町で殺人事件があったみたいです。行きますか?」
「うん。いよいよ工藤君の仕事ぶりを見られるわけか」
「じゃあ、スーツとは言いませんから、せめてジャケットは着てくだ
さい」
ラフな格好をしている三宮に言う。
そして急いで着替えてきた三宮を上から下まで見て頷いた。
「サングラスは持ってます?」
そうして新一の指示通りにサングラスをかければ、パッと見三宮だと
は気づくまい。
「あとは……オーラ、なんですけど」
「いや、それってどうこうできるもんじゃないっしょ」
アイドルならでは華やかさはなかなか消えない。
新一や快斗ならば自在に操れるが、普通の人間にそれを求めるのは酷
だ。
迎えの車が到着して、新一と三宮は乗り込んだ。
「高木さん、こちらは十日間だけ僕の助手をしてくださる三宮さんで
す」
「三宮です。よろしくお願いします」
「あ、ああ、高木です。よろしくお願いします。けど、工藤君が助手
を取るなんて珍しいね」
「父が懇意にしている方の息子さんなんです。普段は別の探偵事務所
で働いてらっしゃるんですが、しばらく僕のところで修業したいと仰
って」
「へぇ」
高木が納得したように相槌を打つ。
すると三宮が新一の耳元に小声で囁いた。
「よくそんな嘘すらすら出てくるね」
慣れてますから、と新一は囁き返した。
現場となった公園の入口にはイエローテープが張られており、警備に
立っていた警察官は新一がくると心得たようにテープを上に避けた。
後ろについてきた三宮に訝しげな視線を投げかけるものの、彼の存在
を黙認している新一に、何も言わずに通した。
公園の一角がブルーシートで隠すように覆われている。周りを何人も
の刑事や鑑識が忙しなく動き回っていた。
「おお工藤君。と、そちらは?」
「目暮警部、彼は……」
さきほど高木にした説明を繰り返すと、目暮もやはり、何の疑問も抱
かずに納得したように頷いた。
「被害者はこの公園で生活していたホームレスの方だそうですね。身
元は……」
「楠原弘樹さん47歳だ。有効期限の切れた免許証を持っていたよ。妻
子がいたが八年前に離婚している。千葉が連絡をとっているところだ」
「この公園では何人かのホームレスが共同生活をしていたようですね」
「ああ、楠原さんの遺体を見つけたのもそのうちの一人だよ。昼を過
ぎても姿が見えないから不審に思って寝所を覗いたら、亡くなってい
たそうだ」
「ちょっと遺体を見せてもらっても?」
「ああ、もちろん。構わんよ」
そばにいた鑑識の一人がビニールの靴カバーを二人分手渡してくれた。
「三宮さん、これを靴の上から」
慣れない手つきでカバーを履こうとする三宮に、新一は肩に手をつか
せてやった。
「それと、これを」
新一は白い手袋を差し出す。三宮は幾分緊張した面持ちでそれを受け
取った。
「ちょっとここで待っていてください」
新一は一帯を隠すように張り巡らされたブルーシートをめくり、一人
中へ入った。
半分腐りかけの板を継接ぎしてビニールで覆い、ダンボールを敷いた
だけの粗末な寝所。そこに横たわる遺体を覆うグレーのカバーをめく
る。遺体の状態を見て、この程度なら大丈夫か、と心の中で頷いた。
「三宮さん」
ブルーシートをめくって、一旦外に出る。
新一の真剣な目に気づいた三宮も、自然と背筋を伸ばした。
「本当に、いいんですね」
何が、というのは三宮もわかっているのだろう。死んだ人間を見ると
いうこと。それも病院のベッドや棺桶の中ではなく、こんな場所に放
置されている死体だ。
だが、三宮は躊躇いなく頷いた。新一と行動を共にすると決めた時点
で、覚悟はできていたのだろう。
新一は三宮を連れて再びブルーシートの中に入った。
「トメさん」
遺体の傍らにしゃがんでいた鑑識に、新一が声をかけるのを三宮は一
歩後ろで見ていた。カバーを取り除かれた遺体に、僅かに顔を顰めて
いる。
「遺体の状況は?」
「工藤君はどう見る?」
逆に聞き返されて、新一は遺体を上から下までざっと見て、考えなが
ら言った。
「外傷はなし……口元に涎、吐瀉物の付着……毒ですか? チアノー
ゼを起こした……神経毒……?」
「ああ。解剖してみなきゃ詳しいことはわからんが、おそらくは毒物
による呼吸麻痺か心臓発作だろうな」
「殺しか……事故。自殺はないな」
周りをさっと見回しながら新一が呟く。
しばらく遺体を観察し、それから周囲を地面に這い蹲るようにして注
意深く検証する。
無表情でたんたんと、慣れたように捜査する新一を三宮はじっと観察
していた。
「すごい執念だろう」
突然話しかけられて、三宮は驚いて振り返った。さきほどトメと呼ば
れていた鑑識だった。その視線は、何かを探すように現場を歩き回る
新一に向けられている。
「恐ろしいほどの執念を持って事件に立ち向かっているよ、あの子は」
「執念……?」
「真実を突き止めるという執念さ。あの子の執念が犯人の憎しみを上
回る限り、あの子に解決できない事件はないだろうよ」
三宮はもう一度新一へ目を向けた。
新一は顎に指を添え、空を見つめてじっと佇んでいる。恐ろしいほど
の集中力で、数多の状況証拠の中から真実へ繋がる糸を探っているの
だろう。今の新一の意識からは、三宮の存在は消し去られているに違
いない。
それから新一は他のホームレスや、この公園で炊き出しをしていると
いうボランティア団体の人に話を聞いて回った。
「楠原さんはいつからここで生活を?」
「もう五年になるかなぁ」
「この写真に見覚えはありますか? 楠原さんのテントの中で見つけ
たんですが」
「ああ! 楠原さんに何度も見せられたよ。家族だってよ。だけど離
婚してからは一度も会ってないって言ってたな」
「気の毒だよなぁ。毎年祝ってるのに」
「祝ってる?」
「息子の誕生日だよ。毎年一人でテントに籠もって静かに祝ってたみ
たいだ。そういや、明後日じゃなかったか?」
「ああ、そうだそうだ。どうりで最近浮足立ってたわけだ」
「ここで炊き出しのボランティアをしているそうですね?」
「はい。この地区の炊き出し班の班長をさせていただいてる杉本と言
います。近くの教会の人に協力してもらって、二週間に一度……」
「楠原さんとは顔見知りでしたか?」
「ええ。私が初めてこの活動に参加したのが三年前で、それからここ
に炊き出しに来るたびによくお話ししましたから」
「最近はどんな話をされました?」
「えーと……もうすぐ息子さんの誕生日だっていうこととか、あと、
これはいつも聞くんですけど、食べたいものとか」
「食べたいもの……」
「屋外であることや費用の問題からもちろん皆さんのリクエストにお
応えすることはできないんですけど。できる限り、皆さんを喜ばせた
くて、聞くようにしているんです」
「ちなみに楠原さんは何て答えてましたか?」
「てんぷらが食べたいって言ってました。家をなくされる前は、休み
がとれるとご家族でよく食べに行っていたようで、特にこの季節はい
いって言ってました」
聞き込みの後、新一は再び三宮を放ったらかしにして思考に沈んだ。
そして数分後、新一は三宮をおいて目暮の元へ向かい、二人でしばら
くこそこそ話していたかた思うと、三宮の元へ戻ってきた。
「お待たせしました。帰りましょう」
「えっ、帰るって……事件は?」
「解決しました。というより、事件じゃなかったんですけどね」
どういうことか追及する前に、高木が新一を呼び止めた。
「工藤君、送るよ」
「いえ、僕は電車で……」
いつもの調子で断りかけて、新一は言葉を切った。三宮をちらりと見
る。
すると、視線の意味を正しく汲み取った三宮が口を挟んだ。
「俺も電車で大丈夫」
「……だそうなので、僕たちのことは気にしないでください」
「そうかい? それじゃあ、気をつけて帰るんだよ」
「はい」
二人で公園を出て、駅の方へ向かう。
「工藤君。俺に気を遣う必要はないからね。歳もそんなに違わないし、
こっちがお願いして張りついてるんだ。いつも通りの工藤君の生活ぶ
りを見させてほしい」
「わかりました」
「それで、さっきのが事件じゃないってどういうこと?」
「ああ、それは」
その瞬間、三宮の腹が空腹を主張して唸りを上げた。
「……えーと……」
絶妙なタイミングに三宮は恥ずかしげに目を逸らし、新一はくすりと
笑った。
「遅くなっちゃいましたけど、夕飯食べて帰りましょうか」
2013/08/16
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