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非常用電源は一分と経たずについた。
だが非常用とあってすべてのライトが復活したわけではなく、全体的に
薄暗い。周囲の人の顔が識別できる程度で、ショーケースの中の照明に
至ってはすべて消えたままだ。

「水晶は?!」

白馬の声に釣られて館内にいた全員がターゲットのショーケースを見る。
ケースに駆け寄った新一を、三宮も急いで追った。

「……ある」

簪は先ほどと寸分変わらない様子で鎮座していた。

「待ってください、本物か確かめないと……」

白馬の指示で内海がショーケースの前へ進み出る。沼田がケースの鍵を
開けた。

「待て! あんたらのどちらかがキッドの変装だったら――」
「大丈夫ですよ中森警部」

白馬が不敵に笑って二人に近づく。

「失礼……お二人には、最初に変装でないと確認した時に目印をつけさ
せていただきました。お二人は本物です」
「そ、そうか」

白馬のお墨付きをもらって、内海が簪をそっと手に取った。自身の影が
落ちて邪魔するのか、少しでも明かりに近付けようと頭上に掲げるよう
にして仰ぎ見る。

その瞬間、明かりが消えた。

「っ、また……!」

だが、今度は真っ暗にはならない。
壁のかなり高い位置を占める明かり取りの窓から、月明かりが差し込ん
でいる。

「いつのまにカーテンが……?」

日中はぴたりと引かれていたはずだ。
だが三宮の呟きをかき消すように、中森が怒鳴った。

「何で非常用電源が落ちとるんだ! 早く明かりを――」

中森が言い終わらないうちに、再び明かりがついた。落ちていた時間は
十秒にも満たないだろう。

「内海さん、水晶は!」
「え、ええ、大丈夫です」

混乱した現場の中戸惑う内海は、下ろしかけた腕を上げて、改めて水晶
を頭上に掲げた。
一同は息を詰めてその様子を見守る。

「……本物です」

内海の言葉に、一同が一斉に安堵する。

「まだキッドが盗みにこないとも限らない! 気を抜くな!」

たしなめるように中森が一喝する。
内海が簪をケースに戻し、沼田が鍵をかけたところで、中森の無線が受
信の雑音を立てた。

「屋上班です。たった今、北東の方向に白いハンググライダーのような
飛行物体を捉えました!」
「わかった、すぐに追跡しろ! ……一応南西の方角にも検問をかけよ
う。総員、ただちにキッドを追え!」
「「「はっ!」」」

大勢の警察官が一斉に展示スペースを飛び出していく。

「それでは内海さん、館長さん、こちらには最低限の見張りの警官を残
して、我々はキッドを追います」
「はい、ありがとうございました」
「キッドは今回姿を現さなかった……最近は派手なパフォーマンスも少
なくなって――いや、これは余談でしたな」

中森は首を振ると、敬礼をして踵を返した。

「探偵さん方も、ありがとうございました。大切なものを、キッドに盗
られずに済みました」

頭を下げた内海に、新一は困ったように首を振る。

「いいえ、今回は盗られずに済みましたが……電気が二回に渡って落ち
たのは偶然ではないでしょう。キッドが何か仕掛けてきたのは事実です。
僕の対応が不十分だったのは認めなくてはなりません」

それから、新一は考え込むように簪の収まったショーケースに視線を落
とした。

「このショーケースにも、何か警察が見落とした仕掛けが施されていた
かもしれませんね……。できればここでもう少し手掛かりを探したいの
ですが、よろしいですか? 立ち会いと戸締りは見張りの警官の方にお
願いしますので」
「わかりました、心置きなく調べてください」

館長が警官に鍵を預ける。

そして二人が出ていき、警官が「入口で待機しております」と言って離
れると、ショーケースの周りには新一と白馬と三宮だけが残された。

さっきまでの混乱が嘘のように、館内は静まり返っている。

「白馬は追わなくていいのか?」

しゃがみこんでショーケースの台座を丹念に調べながら、新一が背中越
しに聞く。

「追うよ。今夜は南東からいい風が吹いている」
「それ警部に言わなくて良かったのかよ」

白馬は肩を竦めた。

「どちらにしろ彼が飛ぶのは警察がここを十分離れるのを待ってからだ
ろうしね――そして飛ぶのは屋上からじゃない、この二階下にあるガー
デンテラスからだ」
「へぇ……」
「今から行けば間にあうだろうからね、僕は先に行くよ」

そう言って踵を返すと、白馬も肩越しに聞く。

「工藤君たちはいいのかい?」
「……ああ。キッドがそこから飛ぶっつーのは、お前の推理だからな」
「……そう」

そして白馬の姿が完全に展示スペースから消えると、新一は立ち上がっ
て思い切り背伸びをした。

「あー。あいつと現場重なると妙に肩凝るんですよね」
「……あの、工藤君」
「何ですか?」
「キッドって、本当に現れなかったの?」

新一は振り返って三宮を見つめた。

「……え、俺何かまずいこと言った?」
「……いえ?」

(――あれ? 何だ?)

唐突に、小さな違和感が芽生える。この感覚には覚えがある。つい数時
間前、新一と一緒に内海に案内されながら、展示品を見るのにも飽きて
きた頃のこと……

「――え? どこ行くの?」

歩き出した新一に、意識を引き戻される。問いかけには答えないまま、
新一は簪の前を離れ、隅の方のガラスケースに向かって歩いていく。

「工藤君……? ……って工藤君何やってんの?!」

突然、まるで鍵なんて最初からかかっていなかったかのように、ごく自
然に、新一はそのガラスケースの扉を開けた。そのあまりの躊躇のなさ
に、驚いている自分の方がおかしいかのような気分になる。

「ちょ、工藤く――」

その時だった。

「よぉ」

背後から聞こえてきた声に、三宮は目を見開いた。だって、その声の持
ち主は今――

「善良な一般人の前で堂々と窃盗か? 怪盗さんよ」

勢いよく振り向く。
そこには、今日一日ずっと行動を共にしていたはずの人が、見たことの
ない凶悪な笑みを浮かべて立っていた。

「観客が一人たぁ、てめぇのショーとやらもずいぶん寂しくなったな。
そろそろ廃業した方がいいんじゃねーの?」
「なっ……く、くど……」

見比べるように顔を左右に行き来させる。
ガラスケースの前でこちらに背を向けて固まっていた“新一”は、ゆっ
くりと身体ごと振り返った。

「……観客が一人でもいるうちは、廃業でき兼ねます。それに、あなた
を入れたら二人でしょう、名探偵?」
「俺はその他大勢のただの観客になるつもりはねぇぞ」
「それはもちろん! あなたのためだけの特等席をご用意してお待ちし
てますよ」
「ハッ、それなら手抜きのショーなんざ見せてんじゃねーよ。中途半端
な変装しやがって」
「あー、いや、これは……」

キッドの慇懃無礼な応酬が急に失速する。

「途中でコンタクト落としちまってさ……」
「予備くらい用意しとけバカ……」

ああ、そうか、とようやく三宮は違和感の正体に気づいた。
目の色が、微妙に違ったのだ。会場全体が薄暗いからなかなか気づけな
かったが、近くで見た時に、どことなく違和感を覚えたのだ。新一の目
は、晴れ渡った空のようにもっと鮮やかな青だ。

「まあでもほら、白馬なら騙せたし」
「白馬ならロビーで会ったぜ。『今回は君の方が頭に来ているだろうか
ら譲るよ』だとよ」
「え゛」
「目が覚めてすぐに白馬に連絡入れたからな」
「くっそバレてたのかよ」
「油断しすぎだろ。あいつの方が一応お前との付き合い長いんだぜ」
「大事なのは長さじゃなくて密度だろ、名探偵?」

(……って、あれ?)

三宮は目を瞬いた。

目の前にいるのは探偵と怪盗で。二人は敵なはずで。
その証拠に二人の間には十分な距離があり、互いの動きを警戒している。
どちらか少しでも動きを見せれば弾けてしまうほどぴんと張りつめた緊
張感は途切れることなく確かにその場を支配している。

だというのに、この会話は一体何だろう。
友人同士と言われても納得してしまう気安さではないか。

困惑しつつも、今口を挟めばこの空気を壊してしまうことを危惧して、
三宮は黙って唾を飲み込んだ。

「つーかいつまでその格好してんだ。気持ち悪いからさっさと戻れ」
「はいはい――っと」

片方の“新一”がくるりと一回転したかと思うと、翻った白い大きな布
がその全身を隠した。

「わ……」

一瞬後にそこに現れたのは白いスーツにシルクハットとモノクルを身に
つけた男。マントの裾を優雅に捌いて一礼する。
始めて目の前で見た早変わりに、三宮は思わず感嘆の声を漏らした。

「改めて。ご機嫌麗しゅう、名探偵。そして初めまして、三宮和則さん。
私のショーへようこそ」
「う、わぁ……」

圧倒的な存在感。計算しつくされたかのように洗練された、それでいて
自然な動作。ぴたりと会わされた踵からシルクハットのつばを押える指
先、僅かに上がった口角まで、すべてが目を惹きつける。

輝いている人は芸能界でさんざん見てきたが、挨拶一つでここまで魅せ
ることのできる人がいただろうか。
三宮は鳥肌の立った腕を撫でた。

「しかし名探偵が助手を雇うとはね」
「助手じゃねぇよ、知ってんだろ」

ふと、新一がキッドの手元に視線を向ける。

「……『“湖面の舞”と記されし知の結晶を頂きに参上します』、か。
本当は“湖面の舞”と“記されし知の結晶”を頂くって意味だったんだ
ろ? 陳腐なミスリードだな」

キッドがにやりと笑う。
その手には古い黄ばんだ紙に墨の文字が羅列されている、目録。

「“湖面の舞”はついでで、本命は目録に書かれてる情報ってわけだ」
「水晶の確認はさっき済ませたが、実際、この数百年の間に内海家が手
放しているものは多い。それこそビッグジュエルなんかもな。俺はここ
に展示されているものよりも、そっちの方に興味があるんでね」
「だろうと思ったぜ」
「情報なんて今時ネット漁ればそれなりに出てくるが……こういう記録
は人づてだったり文書にしか残ってなかったりするからな。どっかで盗
難に遭って行方知れずのものも多いから、詳細な特徴が載ってる資料は
助かる」

キッドがそっと手袋をはめた手で表紙を撫でる。

「……ってわけで名探偵、こいつは頂いてくぜ」
「逃げられるもんならな」

新一が挑戦的ににやりとすると、キッドがシルクハットを僅かに引き下
げ、目元が影で完全に隠れた。
自然と、三宮は息を詰めた。

「短い逢瀬でしたが、また月の下でお会いしましょう」

そう言ってキッドが袖口から何かを落とすのと、新一が懐に手を差し込
んだのは同時だった。
一瞬にして辺りを包み込んだ白い煙に、三宮は思わず顔を庇うように手
を翳した。少しひやりとした煙が視界を完全に奪う。

「こっちへ!」

突然ぬっと現れた腕に手を引かれて、たたらを踏みながら何とか煙の中
から脱出する。

「くそ、館内でボール蹴れねぇの見越してたな」

改めて自分を引っ張り出した新一を見ると、もう片方の手には銃を握っ
ていた。

「工藤君、それ……」
「麻酔銃です。あ、このことは内密に……」

連射でき即効性がある代わりに、背後からではマントが防護壁になって
命中しにくいという弱点がある。

煙は薄らいでいたが、キッドの姿はどこにもなかった。

「逃がしたか……」
「入口に見張りの警官がいたんじゃ」
「どうせあいつの手下ですよ」

新一が諦めたように言う。ずいぶんあっさり諦めるものだな、と三宮は
意外に思った。

「追わなくていいの?」

今から追えばまだ追いつけるかもしれない。
そう問うと、新一は何か含みを持たせたような微笑を浮かべた。

「今日は南東からいい風が吹いてます。屋上はフェンスが結構高くてよ
じ登るのが面倒なので、飛ぶなら北西向きのガーデンテラスからでしょ
う」
「それなら早く下に――」
「と、思って」

新一がにこりと実にいい笑顔を浮かべた。その無邪気さとは裏腹に妙な
寒気を感じる。

「ちょっとした仕掛けを施しておきました」

それでは帰りましょうか、心配しなくとも目録はじき戻ってきますよ、
と言って歩き出した新一の後ろを、三宮は数歩遅れて追ったのだった。







「そういえば、いつからキッドは工藤君になり替わってたんだ?」
「……寝込みを襲われて」
「え」























2013/12/07