「お断りします」


鋭い言葉に、部屋に一瞬の沈黙が落ちた。






―――2―――





二人を応接室に通し、ちょうど朝に飲もうと淹れたばかりだったコー
ヒーを出す。

オリーブグリーンのベロアのソファに、吉田は緊張しているのか、落
ち着かない様子で浅く腰かけている。対して、いまだサングラスをか
けキャップを被ったままの男は落ち着き払ってコーヒーを飲んでいた。

二人の向かいに座り、新一は愛想笑いを浮かべた。

「さて。こちらで少々手違いがあったようで、その話は僕の耳に入っ
ていなかったようです。よければ最初からご説明願えますか」

すると、吉田が口を開く前に、隣の男が唐突にキャップとサングラス
を外した。
もしやとは思っていたが、その顔を見て新一は確信した。

「はじめまして。俺は『吹雪』の三宮和則です。よろしく」

そう言って右手を差し出してきたのは確かに、つい最近快斗にパソコ
ンで見せられたアイドルだった。


吉田の話をまとめるとつまり、『探偵レッドジャケット』の劇場版最
新作の制作決定にあたって、探偵役に磨きをかけるために、本物の探
偵の仕事ぶりを近くで見学させてほしいということだった。

「ですが、探偵なら僕以外にもいるでしょう」
「工藤さんは日本で一番有名な探偵で、警察からも頼りにされてるで
しょう? 地味な仕事ばかりのそこらの探偵より、迫力のある仕事を
見させてほしいんですよ」

そう言った三宮に、新一はすっと目を細めた。

「お断りします」

あまりにはっきりとした拒否の言葉に、二人は面食らったように驚き
を顕わにした。

「っ、どうしてですか?」
「探偵の仕事は、三宮さんが思っているほど綺麗なものじゃありませ
ん。世間一般で言う正義のために動いているわけでもなければ、感謝
ばかりされるわけでもない。時には憎しみや恨みの感情を向けられる
こともあります。近くの人間だって狙われる可能性がある。危険な仕
事なんです」
「それは……」
「それに、僕の場合は殺人事件が主ですから。そういうのは特に、一
般人に見せるものじゃありません」

どんな形であれ殺人事件に関わった人間は、心に何かしらの傷を負う
ことになる。
身体は守ることができても、心までは守れない。

真剣な目で言う新一に、三宮は悔しそうに唇を引き結んだ。

三宮も決して軽い気持ちで頼んできているわけではないのだろう。新
一が探偵としての誇りに命を懸けるように、彼にも役者としての誇り
がある。だからこそ、演技にリアリティを追求して、きっとかなり無
理をしてハードスケジュールの中、新一のところへ来た。
だが、駄目なことは駄目だ、と新一は厳しい表情を浮かべた。

すると、吉田が恐る恐る口を開いた。

「あの……すでに工藤さんの御両親からはご了承いただいているので
すが……」
「………はい?」

ぽかんとした新一は、次の瞬間にはぶち切れていた。この話が新一の
耳に入ってこなかった理由がわかった。

そして、内心沸騰しつつも表情はまったく変わらない新一に、それで
ですね、と吉田が追い打ちをかける。

「工藤さんの探偵としての生活をまるまる見せていただくために、こ
れから十日間、三宮をお宅に泊めさせていただきたいのです」
「はっ?! うちに?!!」
「はい。お父様から許可はいただいておりますが……」
「なっ……」

あの野郎!と拳を握る。現在ここに住んでいるのは新一と居候の快斗
だが、家の正式な所有者は工藤優作だ。その優作が許可したというこ
とは、言外に新一に拒否権はないと告げているようなものだ。電話で
問い詰めたところで、悔しいが言いくるめられるのは目に見えていた。

だが、新一にはおいそれと受け入れられない事情がある。
居候とはいえ、新一と快斗は恋人同士。あの父が二人の関係を知らな
いはずはないだろうに、一体何を考えているのか。
きっと、いや絶対に面白がっているのだろう。

とにかく、高校在学中から小さなマジックショーに出るようになり、
今やテレビにも呼ばれて着実に人気を集めている新進気鋭の大学生マ
ジシャンが、実は男と付き合っていると万が一にも知れたらまずい。

これまでの実績から警察からの信頼も厚い探偵である自分よりも、人
気商売の快斗の方が、バレた時の打撃は遥かに大きいだろう。自分の
せいで快斗の夢の邪魔をするのは耐えられない。







「……と、いうわけで」

ダイニングテーブルで新一の淹れたカフェオレを飲んでいる快斗に向
かって、新一はぴんと人差し指を立てた。

「快斗、オメーしばらくこの家に寄りつくな」

マグカップを口につけたまま、固まる快斗。
ようやく硬直が解けたのは、新一がくるりと背を向けて、キッチンで
の作業に戻ってからだった。

「……はぁぁぁあああ?!!!!」
「うるせー」
「いや、ちょ、待てよ! 事情はわかったけど、せっかくあの三宮和
則と一緒にいられ――じゃなくて、何でそれで俺が出て行かなきゃい
けねぇわけ?!」
「……今の失言は見逃してやるが……オメー馬鹿か。俺らのことがバ
レて大事になったら、オメーの仕事に差し障る」
「バレなきゃいいだろ」

食い下がる快斗に、新一はわざとらしく溜息を吐いた。

「あのなぁ……そのカップ」
「え? カップ?」

快斗がカフェオレの入ったマグカップを見下ろす。

「俺がここに引っ越してきた時に、記念に新一とおそろいで買ったや
つ……」
「そう。おそろい。ペアだペア」

そう言って新一は食器棚を指差した。

「マグカップだけじゃねぇ。茶碗に箸、湯のみ……」

次に自分が今着ているエプロンを示す。

「このエプロンだって、ワンポイントの刺繍が違うだけのおそろいだ」
「うん。同じの買って、刺繍は俺がつけたし」
「それだけじゃねぇ。バスタオル、顔用タオル、スリッパ、それから
歯ブラシ。同居しているとはいえ、男二人がこれだけおそろいにして
たらおかしいだろーが。完全にホモだろーが」
「だからって〜」
「……オメーやっぱり、本当は自分が三宮とかいう野郎と一緒にいた
いだけじゃ……」
「違ぇよ! さっきはごめんて!!」
「……まあ、いいけど」

半眼で言う新一に、快斗は半分泣きそうになりながら縋るような目を
向けた。

「新一と十日間も離れていなきゃいけないなんて……」
「だぁから、こうして今日は俺がご馳走つくってやってんだろーが」
「……珍しく新一が手の込んだ料理してくれてると思ったら、そうい
うことだったのね……」
「三宮は明後日から来るから、オメーは明日のうちに痕跡消して出て
行けよ。オメーの部屋と寝室は鍵かけるからいいけど、部屋の外に置
いてあるオメーのもんは回収しとけ」
「うぅ……りょーかい……」
「あ、それとオメーに渡してる合鍵も貸せ」
「何で?!」
「三宮に貸す」

工藤邸の鍵は複製しにくい特注の鍵であるため、二日後までに合鍵を
新たに作ることができないのだ。

「そんな〜」
「いいじゃねーか、いざとなりゃオメーは鍵なしで入れんだから」
「そうだけどさぁ……」

まるで本命の恋人が訪ねてくるからと追い出される浮気相手の気分だ、
と快斗が嘆いていると、新一が仕方なさそうに苦笑した。

「その代わり、サインもらっといてやっからよ」
「新一〜! 愛してる!」
「…………」

パッと顔を輝かせた快斗に、自分が言ったこととはいえ、微妙な気分
になった新一だった。



その夜、「十日分の新一をチャージ〜」と言って押し倒され、朝ま
で寝かせてもらえなかった新一だった。


















 









2013/08/14