(18)
遅めの朝食を食べてから、二人は問題の展示会へ向かった。
出展主――予告状を出されたターゲットの持ち主の希望により、マスコ
ミには知らされていないらしい。警察も警備の邪魔にしかならないマス
コミを極力現場に入れたくないため、発表を控えたようだ。
そのおかげで、キッド目当ての客でごった返すということもなさそうだ
った。
入口に、通常の警備員以外にスーツの男性が数人立っていた。
二人が近づいていくと、そのうちの一人が顔を上げた。
「こんにちは、中森警部」
「工藤君。目暮から聞いとるよ。今回は警備に参加するんだな」
「直々に招待状をもらってしまいましたからね。と言っても、警備に少
し助言をさせていただくだけですが」
キッドが現れたら邪魔にならないように大人しく見学しています、と嫌
味のない口調で言った新一に、中森は満足げに頷く。それから、三宮に
視線を移して眉を潜めた。
「そっちは?」
「僕の期間限定の助手のようなことをしてくださっている方です」
「そうかい」
中森の無躾な視線を受け流しながら、三宮は愛想笑いを浮かべて挨拶し
た。
にこやかに差し出した手をしっかり握られる。アイドルの自分とは違う、
無骨で大きな手だが、温かくて頼もしさを感じる手だ。
その時、俄かに新一が慌てたような気配がした。
「あっ、三宮さ――!」
「え? なんぃぃいいいーっ?!!」
握手が離れた瞬間、突然頬に強烈な痛みが走った。
「ちょっ、中森警部……!」
しまった、という顔で焦っている新一をよそに、中森は鋭い刑事の目で
自分を睨みつけている。自分が何をされたのか正しく理解した時には、
中森はもう離れていた。
「いってえぇ……」
つねられてじんじんと痛む頬は熱を持っている。確実に赤くなっている
だろう。
次いでつねられた新一も頬を擦っている。中森と別れるやいなや、「す
みません、アイドルの顔に……」とひどく申し訳なさそうに謝られて首
を振った。
新一と二人で展示スペースに入る。
個人所蔵にしてはかなりの数のコレクションだ。
デパートの最上階に入っている規模としては小さめの美術館だが、数人
の客がそれぞれのペースで静かに鑑賞している。
上品な服装の親子、地味なスーツを着た大学教授風の男性、品の良い着
物を来た白髪の婦人、二人組の若い女性。何やらメモを取りながら熱心
に観察しているのは大学生だろうか。
新一が何も言わずに他の客と同じように展示物を鑑賞し始めたため、三
宮もつかず離れずの距離で見て回ることにした。そしてついでに展示物
以外のところにも視線を走らせる。自分がここで頭を悩ませたところで
キッド確保の役に立つとは思えないが、内部構造くらいは頭に入れて置
いても損はないだろう。
中は薄暗いのを通り越して、かなり暗い。ショーケースの周りだけが明
るく照らされていて、数メートルも離れれば人の顔もはっきりとはわか
らなくなる。
だから、二人に向かってまっすぐ歩いてくる影に気づいた時も、すぐに
は誰だか認識できなかった。
「工藤君に三宮さん。こんにちは」
その妙に甘ったるい特徴的な喋り方とともに近づいてきた影に、三宮は
驚いて瞬いた。
「白馬君」
「数日ぶりですね。色々事件があったようですが、その後いかがですか」
「うん、少しずつ色んなことが見えてきた気がするよ。……それより、
白馬君は何でここに?」
「二課に予告状が届いたことを聞き及びましてね。僕はキッドを専門に
追っている探偵なんですよ」
「キッド専門?」
「ええ。まあもっとも、そう宣言していたのは以前のことで、最近はも
っぱら海外の他の知能犯を追うことに専念しているんですけどね。実際
キッドの現場に顔を出すのも久しぶりなんです」
白馬は微笑を浮かべて言った。その顔を見る限り、単純にキッドに負け
を認めたわけでも、追いかけるのに飽きてしまったわけでもなさそうだ。
きっと彼の中で何か理由があるのには違いないだろうが、聞いても教え
てはもらえないだろうという確信があった。
「工藤君、ターゲットはもう見たかい?」
「いや、まだだ」
「『“湖面の舞”と記されし知の結晶を頂きに参上します』――『湖面
の舞』は水晶を使った簪だ。歴史的価値のある良いものだけど、キッド
が狙うほどのものかと言われると……」
白馬が展示室の奥へと視線を向ける。その先にターゲットが鎮座してい
るのだろう。
「確かにな」
新一が頷く。
これまで時価数億という輝石を狙ってきたキッドが狙うにしては価値の
低いものである。
だが、キッドが狙う以上、何か理由があるはずだ。
新一が奥のショーケースへと足を向ける。
「……水晶は清らかさの象徴で、昔から魔除けや浄化の作用を持つと信
じられてきた。だから昔は神事やまじないにも使われていた」
ショーケースの前で足を止めた。
「簪の飾りにしては水晶が大きすぎる。普段使いには適さないだろうか
ら、おそらく何かの儀式用だったと考えるのが妥当だろうな」
「その儀式に、キッドが求めるものが関係あるというのかい?」
「さあ。俺は非科学的なことは信じない性質だが、キッドにとっては何
かひっかかるもんがあったのかもな」
まあ全部俺の推測だけど、と新一が締めくくるのを、三宮は数歩後ろで
半ば呆然と聞いていた。
今の話だと、キッドは何かを探しているらしい。マスコミの報道では今
まで一度もそんな話は出なかったし、ワイドショーに出ている犯罪心理
の専門家だか何だかは愉快犯説や義賊説を唱えていた。警察の見解だっ
てそうだったはずだ。
白馬の反応をこっそり窺うと、納得したように小さく頷いている。少な
くともこの二人にとっては、キッドが探し物をしている、という共通認
識があると見て間違いないようだ。
何やら簪を見て考え込んでいる二人を見ながら、三宮は訝った。
何故彼らは、そのことを警察なりマスコミなりに言わないのか――。
その時、背後から近づいてくる二つの足音がして、三人は振り返った。
「さすがですな。その簪の由来は室町時代まで遡ると言われておりまし
て、当時力のあった陰陽師が自らの手で作成し、そして儀式に使用して
いたと伝えられているのです」
そう言って現れた和装の男性と、その後ろに立つスーツの男性を見て、
三宮は心の中で「あ」と漏らした。
昨夜、新一がダイニングテーブルの上に置きっぱなしにしていた資料に
あった写真に写っていた顔だ。新一に許可をもらってきちんと目を通し
たわけではないが、見られて困るものならそもそも絶対に目につくとこ
ろに放置するような人ではないから問題ないはずだ。
(とすると彼らは……)
写真の記憶を手繰り寄せる前に、白馬が進み出た。
「出展者の内海裕次郎さんと、館長の沼田一樹さんですね。初めまして、
僕は探偵の白馬探です」
「工藤新一と、こちらは助手の三宮です」
「探偵……? 館長が依頼したんですかな?」
和装の老人――内海が沼田を振り返る。
「いいえ、私は何も……」
「僕もキッドから予告状を受け取ったんです」
「ほう、そうでしたか」
内海は納得したように頷いた。その瞳にはどこかほっとしたような色が
見える。
「よかったらフロアを案内しましょう。警備のお役に立てるかもしれま
せん」
「お願いします」
沼田の申し出に飛びついた白馬をよそに、新一は申し訳なさそうに言っ
た。
「せっかくですが、僕たちは先に展示室を見てからにします。外は後で
自分で見回ってみますから」
「ええ、構いませんよ。それではごゆっくり」
「それじゃあ工藤君、三宮さん、また後で」
「ああ」
それから沼田は内海とも短い挨拶を交わすと、白馬を伴って展示室を出
ていった。
「工藤さんはこういったものに興味があるのですか?」
その場に残された内海が新一に話しかけてくる。三人はゆっくりとした
歩調でショーケースの前を移動した。
「ええ、まあ。お恥ずかしながら、それほど詳しくはありませんが」
「いいや、あれを儀式用と見抜いただけでもあなたの慧眼ぶりを測るこ
とはできますよ」
内海は穏やかな表情で続けた。
「怪盗キッドから予告状が届けられたと知った時、私はとても落ち込ん
だ。ここにあるものは代々受け継がれてきた蔵に大切に保管していたも
ので、私も小さい時からこれらを見にこっそり蔵に入ったりしたもので
す」
「……大切、なんですね。あなたにとって」
「ええ。歴史的価値が高いだけで高価な宝石なんて一つもありませんが、
そういったこととは関係なしに、すべて、私にとって大切なものたちな
んですよ。だから一つでも欠けたら、とても傷つくでしょう。……守っ
ていただけますか、探偵さん」
「……はい。必ず」
新一の決意を秘めた言葉に、内海は目を細めて微笑んだ。
まただいぶ間があいてしまいました…orz
もうちょっとで終わりです!
2013/11/23