(14)

















新一と佐藤が乗り込んだエレベーターが、ノンストップでさっきまで自分
たちがいた階に止まったのを確認して、三宮は上の矢印のボタンを押した。
他の基の階数表示を見ると、やはりその近くの階で止まっている。まるで
皆が、現場に集まっているように。

別のエレベーターが間もなく一階に下りてきて、扉が静かに開いた。
緊張した面持ちで乗り込む。聞き慣れたモーター音と共に軽いGがかかる。
明るい蛍光灯が逆に、どこかに巧妙に潜んでいる不穏な気配を助長してい
るかのようだった。

エレベーターが止まったのは、新一たちがいるところの二階下。
そっと顔を覗かせて廊下に人気がないのを確認して、非常階段へ向かった。
逃げ場のないエレベーターでいきなり状況のわからない現場に突入するの
は危険すぎる。階段でこっそり近づくのが得策だ。
こういうのは探偵ドラマや刑事ドラマでよくある。
まさか現実でこんな行動をとることになるとは思わなかったが。

(んとに、工藤君の傍にいるって大変だ)

三宮はそう言いながら、その実自分がこの状況をどこか楽しんでもいるこ
とを自覚していた。
不謹慎だとわかってはいるが、こんなスリル、映画みたいだ。
どんな事件が起こっているのかはわからないが、きっとまた新一が鮮やか
な手並みで解決してしまうに違いない。あの強盗事件の時のように。
そして犯罪者は捕まり、彼の救世主のごとき活躍に、皆が笑顔になれる。

(だって工藤君は、名探偵だから)


二階分の階段を上りきった三宮は、静かに、そっと、非常扉を開けた。

薄く開いた隙間から洩れ伝わってきた空気が何なのか、理解するのに時間
はかからなかった。
緊張、警戒、怒り、戸惑い、不安、怯え……各々の感情を抱き伝播させな
がら廊下に構えたように立つ警察官たち、そのさらに先には、武装したS
ITのチームと見覚えのある一課の刑事たち。

彼らの中心に、身体に爆弾を巻き付けた男と、その男に拳銃を突きつけら
れ拘束されている女性の警察官がいる。
そして、SIT隊員たちの陰で目暮とひそひそ話をしている、新一。あん
な深刻な顔は初めて見る。

ここからだと遠すぎる上に人が多すぎてよく見えない。三宮は廊下に滑り
込むと、廊下に溢れ返った人たちの間を縫うように進んだ。

時折止められそうになると「俺は工藤探偵の助手です」とするりと嘘を滑
らせる。こう言えば皆納得したように身を引いた。

「……あれっ、三宮さん?!」

比較的後ろの方にいた高木が三宮に気づき、驚いて目を見開いた。

「先に帰ったんじゃ……ここは危険です」
「工藤君が心配で」

そう言うと、高木は少しの逡巡の後、しかたないというふうにため息を吐
いた。

「どういう状況なんです?」
「あの男が突然拳銃を持って現れて、たまたま近くにいた女性警察官を人
質にしたんです。要求は一つ……工藤君を連れてくること」
「ということは、あの男は工藤君に恨みがあるんですね?」
「ああ、まあ……」

どうにも歯切れの悪い様子に、三宮は訝しげに高木を見た。

「あの男、一体誰なんです? その様子だともう調べはついてるんですよ
ね?」

すると、高木は躊躇いがちに口を開いた。

「彼は……去年、工藤君が携わった事件の、被害者の兄です」
「え……?」

その時、男が叫んだ。

「やっと出てきたか、工藤新一!」

慌てて前方に視線を戻すと、新一が一人のSIT隊員の盾に庇われながら、
男の前に進み出ていた。新一が、十分な距離を取って立ち止まる。

「俺のことは覚えているか、工藤新一」
「ええ、もちろん覚えていますよ……川口尚吾さん」

新一が静かな口調で答える。

「そうだ。俺は、お前らに復讐にきた。お前と警察が見殺しにした、俺の
妹の恨みを晴らすためにな!」

男の口から不穏な言葉が飛び出る。

「見殺しって、どういうことですか?」

三宮が小声で問う。高木が口を開く前に、男――川口尚吾が声を張り上げ
た。

「二年半前! 俺はお前に依頼の手紙を出した!」
「ええ……」
「妹がストーカーにあっていた。警察に相談したが、結局何もしてくれな
かった……だから、探偵のお前に依頼したのにっ……お前は、依頼を無視
したんだ。ストーカーなんて大した事件でもないからって」
「それは……」
「妹へのストーカー行為はじわじわ過激になっていって、一年前、ついに
妹の殺人予告が届いた。俺は最後の望みをかけて、再びお前に依頼をした。
お前は来たが……間にあわなかった」
「…………」
「忘れられないよ、あの時の光景は。妹の首にはひどいあざがあって、腹
が真っ赤に染まっていた……」

川口の顔が泣きそうに歪む。
高木は前方から目を離さないまま、隣に小声で囁いた。

「二年と四カ月前、依頼の手紙は工藤君の家に届けられました。でも当時
工藤君は別の大きな事件の後処理に追われていた上……俺も詳しくは聞い
てないんですが、病気か怪我で、外国の病院で療養中だったんです」
「そんな……じゃあしかたないじゃないですか」

三宮は言ったが、言葉を発してから、その言葉が何故かひどく空虚に響い
たように感じた。そのことに少し動揺した三宮に気づかず、高木は続ける。

「一年前、被害者の川口絵里さんのもとに届いたという、殺害をほのめか
す手紙を絵里さんの部屋で発見した彼は、絵里さんの姿が見当たらないこ
とに気づいて、再び工藤君に、今度は電話で依頼をした。工藤君の推理で
ストーカーの正体と監禁場所を突きとめたんですが、絵里さんはすでに亡
くなっていました。ストーカーも、現場から程近い場所で自殺していた」
「無理心中、ですか」
「犯人は最初からそのつもりだったようです。遺書が残っていましたから」

川口が吐き捨てるように言う。

「結局、警察も探偵も同じだ……人が死ななきゃ動かない。死人に喜んで
たかる蝿だ」

何も言い返さない新一の背を、三宮は見つめた。この位置からは新一の後
ろ姿しか見えないため、彼が今どんな表情を浮かべているのかはわからな
い。

「どうして……どうしてもっと早く助けにきてくれなかったんだ……それ
だけの推理力があるのに、どうして妹を助けてくれなかったんだ……」
「っ……」

その時、新一の身体が僅かに揺れたように見えた。
倒れる――そう思ったが、新一を盾で庇っていた警備隊員がすぐさまその
肩を支えた。

目暮が耐えきれずに声を絞り出す。

「川口……! 貴様、好きに言わせておけば……!」

押し殺した声から怒りが迸り、だいぶ離れている三宮にまでその憤怒が伝
播してきた。他の警官たちも殺気立ち、空気がぴりぴりと痛い。川口も若
干怯んだように見えた。

「工藤君がどんな思いでお前の妹さんの事件を見届けたと――」

だが目暮を遮るように、新一がすっと腕を上げた。

「工藤君……」

目暮だけでなく、警官たちが漂わせていた殺気までもが静かになったよう
だった。

「……ここで何を言っても、あなたには言い訳に聞こえてしまうんでしょ
うね」

新一はそう言うと、くすりと笑った。
それを聞いた川口が「何がおかしい!」と怒鳴ったが、三宮をはじめ他の
者たちは息を呑んだ。それが自嘲に聞こえたからだ。

「……あなたは、僕を恨んでるんですか」
「そうだ! だからお前をころ――」
「僕も、恨んでますよ」

川口は、意味がわからないという顔をした。おそらくふざけるなと罵倒し
ようと口を開きかけて、だが結局何も出てこなかった。それだけ新一の纏
う空気が真剣だったからか。

「二年半前妹さんを助けに行けなかったのは、自業自得な理由で動けなか
ったからでした。実は、僕はしばらく自宅を空けていたので、手紙のこと
を知ったのもその半年も後のことでした」
「嘘だ! そんなの……」
「嘘ではありませんが、本当に、嘘みたいに情けない話です。だからあな
たには、正しく、探偵としての僕を恨み罵る権利がある」
「なっ……」

何を言っているんだと、声を上げかけたのは川口だけではなかった。新一
に何の責任もないことを、その場にいる警察官たちは全員知っている。
だって新一は探偵なのだ。警察と違い公務ではなく、それも一方的に送り
つけられた依頼を受ける義務などどこにもない、ただの一民間人だという
のに。

三宮ははっとした。
もしかして新一は、だからこそ、探偵にこだわるのだろうか。受ける依頼
を決めるのは警察の基準ではなく、自分の判断。警察が動かなくとも、一
民間人としてなら自由に動ける。助けたいと思った人を、助けられる。

そして、だからこそ、関わると判断した人を必ず助けなくてはならないと
いう重い責任を、自らに課しているのだ。誰から言い渡された職務ではな
い、自らが決めた使命なのだからと。

(工藤君……)

三宮は心の中で問うた。

(君はなぜ、そこまでして……)

たった数日間だが、彼と過ごしてわかったことがいくつかある。
探偵は、ただ安楽椅子に座っていればいいわけでもないし、仕事のように
オンオフできるものではない。食事をしていても、大学で授業を受けてい
ても、友達とじゃれていても、彼は常に探偵だ。
銃やナイフをつきつけられて、感謝だけじゃない、様々な悪意を向けられ
ることもある。他人の人生に首を突っ込むというのは、そういうリスクを
伴うのだ。

損得なんて考えていたらできない。
一人で負うには重すぎる責任の数々が、真綿のように彼の首に巻きついて
いるようだ。

「ですが……」

この時の新一はどんな目をしていたのだろう、と三宮は想像する。
まっすぐ見つめられた川口が、怯えたように見えた。

「あなたが恨んでいるのは、本当に、僕ですか」
「な、何を……」
「あの時あなたは、『俺が妹を助けなきゃいけない』と言って監禁場所に
ついてきた……あなたが本当に恨んでいるのは、怒りをぶつける間もなく
勝手に死んでしまったストーカーと、殺害予告のことを知らずに妹さんを
守ることができなかった、あなた自身なのではないですか」
「っ……うるさいっ、わかったようなことを……」
「身体に爆弾を巻きつけて……あなたは、自分を殺すためにここに来たん
ですか」
「!」
「でもそれなら、あなたは間違っています。僕は、あなたを死なせない。
助けられなかった妹さんのためにも、絶対に、あなたを死なせるわけには
いかない」

強い口調で言い切った新一に呑まれたように、川口は口を噤んだ。誰もが
息を殺しているように、フロア全体に静寂が落ちた。

だからだろう、きっと人に聞かせるつもりのなかったであろう新一の呟き
が、三宮の耳に届いた。

「……もう、目の前で自殺されるなんて真っ平だ……」

聞いたことのない新一の悲痛な呟きに、三宮は胸が締め付けられるように
感じた。




……カシャン



ぶらりと下げられた手から、拳銃が落とされた。



















だいぶ間があいてしまいました……

2013/10/19