事件が解決したのは夜中だった。
犯人が逮捕され、誘拐されていた少女が無事保護され、帳場が解散され
る。張り詰めていた糸が切れた大勢の捜査員たちは労いの言葉を投げ掛
け合いながら撤収していった。その際、解決の立役者となった新一にも
もちろん、一声かけていく。
「お疲れ様」
ずっと捜査会議室の隅に邪魔にならないようにいた三宮が、ようやく近
寄ってきた。
「三宮さんも、お疲れ様です」
「俺は何もしてないよ」
そうは言うが、彼の顔にも疲労の色が見える。ここに来て六時間以上が
経っている。何もしなくとも、あの緊張感に包まれた部屋にそれだけい
たら、疲れもするだろう。
二人は連れ立って、近くの喫煙スペースに向かった。目的はもちろん喫
煙ではなく、そこに並ぶ自動販売機だが。
「はい」
三宮が缶コーヒーを差し出してくる。受け取ると、次に彼は温かいココ
アのボタンを押した。そのチョイスが恋人を彷彿とさせて、新一は慌て
て振り払うように頭を振った。
「何か冷えちゃって」
三宮の言葉に、新一もようやく感覚が戻ってきた。
緊張で背中は汗をかいており、それが冷えて体温を奪っていく。帰った
らもう一度シャワーを浴びようと思った。
子供の誘拐事件。犯人にはその子供を殺す意志があり、一刻を争う事件
だった。数時間におよぶ頭脳戦。普段は疲れを見せない新一も、さすが
に今取り繕う余裕はなかった。
「あー、すっかり夜更かししちゃったね」
消耗している新一を気遣っているのだろう、冗談めかして三宮が言った。
新一は淡く笑った。
「……帰りましょう」
二人はエレベーターに乗り込んだ。
まだ働いている者たちはいるが、先ほどまでの慌ただしさからは一変、
建物内は静寂に包まれていた。
他に誰もいないロビーを横切り、正面玄関に向かう。
まだ電車はないからタクシーを拾おう、と考えながら、ガラス扉に手を
かけ――
「――工藤君!!」
背後から劈くような声で呼ばれたのと、ポケットの中の携帯電話が鳴り
だしたのと、そして館内にけたたましい警報音が鳴り響いたのは同時だ
った。
「え? えっ? 何?!」
動揺する三宮、全速力で駆け寄ってくる佐藤、「目暮警部」と表示され
ている携帯の画面、やまない警報音、そして警備員の不在。
新一は一瞬で鋭く目を光らせると、まずは三宮を振り返った。
「三宮さんは、先に帰っててください」
「え、でも……」
「お願いします」
声を張り上げるわけでもない、静かに言われたそれに、三宮はおずおず
と頷いた。
「工藤君!」
佐藤が追いつく。珍しく息の切れた彼女に無言で頷いた。
立ちつくす三宮を置いて、二人はエレベーターホールに逆戻りした。走
りながら、鳴りっぱなしの電話に出る。
『くど――』
「今佐藤刑事と合流しました。すぐに向かいます」
『すまない……!』
ひどく焦ったような目暮の声。状況は佐藤から聞くべきだと判断して、
新一は通話を切った。
ここまでの状況を整理して、新一の頭の中にはすでにいくつかの可能性
が挙げられ、絞り込まれていた。
館内全体に響き渡った警報は第一級の緊急事態。
外で発生した大規模テロなら警備員の不在はおかしい。現場はおそらく
警視庁内。
にもかかわらずあの心配性な目暮が危険の可能性のある現場に新一を呼
ぶ、それもおそらく護衛役の佐藤を寄こしてとなると……
新一は走りながらちらりと佐藤の横顔を窺った。
険しい、がどこか困惑した表情。走りながらでも説明はできるのに、そ
れを渋る理由。
エレベーターに乗り込むと、佐藤は、さっきまで新一たちがいた階のボ
タンを押した。
(……なるほど)
「襲撃犯は何て言ってます?」
新一の言葉に、佐藤は一瞬はっとしたが、すぐに表情を引き締めた。
「……工藤君を、連れてくるように、って」
「やはり、そういうことでしたか」
おおかた、新一に恨みを持つ人物が、復讐すべく警視庁に乗り込んだの
だろう。極めて困難なことだが、人の少ないこの時間帯、そして多くの
警察官が誘拐事件に集中していたタイミング。
「人質はとられていますか?」
「婦警が一人。犯人の男は拳銃を所持してるわ。入手元は不明」
「拳銃だけですか?」
「それが……身体に爆弾らしきものを巻きつけていて……」
新一は頷いた。
その時、緩い浮遊感が
終わり、エレベーターの扉が開いた。
***
三宮は迷っていた。
先に帰れ、と告げた新一の真剣な目。恐ろしいまでに静謐な双眸は、凍
てつくように冷えたもののようにも感じた。
だが、役者の性というべきだろうか。これまで観察してきた工藤新一と
いう人物に、まだ自分の知らない一面があるかもしれないと思うと、そ
れが何なのか、もっともっと知りたいという欲求が湧いてくる。彼を魂
から探偵たらしめているものは、一体何なのか。
事件にとりかかる彼は常に真摯な目をしているが、彼にあれほどまでに
底冷えする目をさせる何かが、他にある。
それは過去の記憶か、今の意志か、未来への覚悟か……
とにかく、それが何なのか、知りたくて仕方がない。彼の深淵を覗きた
い。
少し前に警報は鳴りやんだが、その後は何のアナウンスもない。
警視庁のロビーはしんと静まり返っていた。
「…………」
躊躇いはほんの数瞬だった。
ゆっくりと踏み出した一歩は、扉ではなく、エレベーターへ向かって。
やがて足音を殺して走りだした三宮は、自嘲とも取れる苦笑を洩らした。
(ああ、これ、工藤君に本気で軽蔑される)
でも、しかたないではないか。
新一に探偵としての信念があるように、三宮にも譲れないものがあるの
だから。
2013/10/09
|