「提案があるんですが」

新一の静かな声に、一瞬、局内のすべての動きが制止した。

「く、工藤君……?!」

三宮が焦ったように囁くが、新一にちらりと向けられた視線で口を噤
んだ。

「何だ貴様」

強盗犯の一人が低い声で凄む。
新一は無言でゆらりと立ち上がると、顔を上げて真正面から男を見据
えた。

すると、リーダー格らしき男がハッとしたように言った。

「お前……見たことあるぞ。……そうだ、工藤新一だ」

男の言葉に、局内がざわつく。強盗犯たちと他の人間で、反応が綺麗
に分かれた。

「あの名探偵の?!」
「何で工藤新一が……」
「ママ、あれ誰……?」
「しっ、静かにっ」
「これなら助かるかも……!」
「お、おい、どうすんだっ」

ひそひそ声が漣のように広がる。すると、男が一喝した。

「うるせぇ!!」

大声とともに構え直された銃に、局内は再び凍りついた。

再び沈黙に包まれた局内で、男が新一を睨みつけながらゆっくりと近
づいてくる。そして一メートル手前で立ち止まると、銃口を新一の頭
に向けた。
三宮が息を呑むほかにもどこからか小さな悲鳴がいくつか上がるが、
当の新一は身じろぎもせずに男を見据えている。

数秒か、数十秒か、とにかくぴりぴりとした沈黙の中、時間が止まっ
たように二人は睨み合っていた。

やがて、男が口を開いた。

「……死にたくなかったら大人しくしてろ」

新一が肩を竦めると、男は銃を構えたまま、元いた位置に戻ろうとし
た。
だが、三宮がほっと息をつく間もなく、新一は再び口を開いた。

「俺はただ、提案をしようとしただけなんですけどね」

男が立ち止まる。

「……提案だと?」
「ええ。あなた方にとっても悪い提案ではないですよ」
「警察の狗が、戯言を」
「いいんですか?」

一蹴した男に、新一はにこりと笑みを浮かべて言った。

「あと数分もすれば警察がやってきて包囲しますよ。あなた方には、
逃走の手段が必要なんじゃないですか?」

すると男はにやりと笑った。

「そんなものはとっくに用意してあるさ。あとはそこのガキでも人質
にすれば警察は手を出せねぇ」

もう一人の強盗犯が応えるように、隅でしゃがみこんでいた親子に銃
を向けた。震える子供を母親が泣きながら強く抱きしめる。

「……その人質を、俺がやるっていう提案ですよ」
「警察に繋がりのある厄介な奴を連れ回せと? ハッ、馬鹿馬鹿しい」
「まあまあ。その判断をする前に……電話、出てもいいですか?」
「電話?」

新一がゆっくりと胸ポケットに手を伸ばす。抵抗の意思はないと示す
ように、もう片方の手は顔の横に上げた。

銃を突きつけられながら取り出した携帯は、音もバイブも鳴っていな
かったが、ライトが点滅していた。
着信の画面を見せる。

「切れ」
「俺は別にいいんですけど。出た方が良いと思いますよ、あなた方の
ためにね」
「どういうことだ」
「それは出ればわかります」

男は舌打ちした。

「スピーカーにしろ。それから妙なこと言ってみろ、お前だけじゃな
い、ほかの人質も殺すからな」
「ご心配なく。かけてきてるのは俺の友人……ただの、一般人ですか
ら」

その時新一が浮かべた薄い笑みに、三宮はふと、電話の相手が誰なの
かわかったような気がした。

「もしもs――」
『しーんいちー!! いつもながら巻き込まれすぎ! 心配かけた罰
として今夜はおしおきコーs――』
「知ってると思うがスピーカーになってるからな」
『ごめんなさい』

あれ、何だろう、と三宮は首を傾げながら腕を擦った。今、新一の周
りの温度が下がった気がする。

「ったく……で、そっちはどうなんだよ」
『俺を誰だと思ってんの。すでに眠ってもらってるよ。起こす?』
「いや、いい。……だそうですけど?」

新一が男に問うが、この場にいる誰も意味がわからなかった。鈍い反
応を受けて、新一はしかたなさそうに携帯に呼びかける。

「おい」
『白のセダン、杯戸ナンバー、な12−75』
「!!」

人質たちがなおも困惑している中、強盗犯たちの顔色が変わった。
新一が満足そうに笑みを深める。

「サンキュ。オメーがいて助かったぜ」
『ご褒美期待していいんだよな?』
「わかったから大人しく待ってろよハニー」
『気をつけてなダーリn――』

新一は通話を切った。

こんな状況でも二人のやり取りは普段通りで緊張感がない。何となく
感じる二人の“らしさ”に、三宮はつられるように少しほっとした。

「……というわけで、あなた方が期待している逃走手段は俺の友人が
潰してしまったようです。どうします? 俺を人質にして他を全員無
傷で解放するなら、警察に逃走用の車を用意させて、手出ししないよ
うに指示することもできる」
「それで脅しているつもりか?」

男の嘲笑に、新一はまたにこりと笑う。

「いえ、ただの提案ですよ。悪い話じゃないと思うんですけどね」

その時、外からパトカーのサイレンが微かに聞こえてきた。何台分も
のけたたましいサイレンが少しずつ近づいてくる。

「……いいだろう」


外で、サイレンが止む。

「さっさと警察と話つけろ」
「その前に人質の解放が先です。じゃないとさすがに俺の指示でも警
察は聞いてくれませんよ」
「……ちっ。おいお前、こっちに来い」

新一が言われるがままに近づくと、男は新一を背中から拘束し、側頭
部に銃口を突きつけた。

その時新一が笑みを深めるのを、三宮は目撃した。
それは綺麗で、まるで雑誌の表紙を飾るかのような完璧な笑顔なのに、
一瞬背筋がぞっとするような感覚を味わった。
もしかして彼らは、怒らせてはいけない人を怒らせてしまったのでは
ないか。

「いいかお前ら、一人ずつ、裏口から出ろ。妙なことしてみろ、この
探偵の頭が吹っ飛ぶぞ」

まずは子供とその母親、それから女性、男性の順におずおずと裏口へ
向かう。

「く、工藤君」

三宮がどうして良いかわからずに声をかけると、新一は安心させるよ
うに微笑を浮かべた。

「俺は大丈夫ですから」
「てめぇ、この探偵の知り合いか」
「彼は一般人です」

新一が言うと、男は鼻を鳴らして顎をしゃくった。それを受けてもう
一人の男が三宮を裏口へ促そうと背を向けた。

その隙を逃す新一ではなかった。

「それじゃあお前には早速――」

男の言葉が途切れた。

唐突に男はどさりと倒れ、取り落とした銃がカシャンと床を滑った。

その音に三宮ともう一人の男が振り返った時、視界に入ったのは何食
わぬ顔で腕時計の蓋をパチンと閉める新一と、いつの間にか傍らに現
れたサッカーボール。

「くど――」

呼びかけた三宮のすぐ隣に、凄まじい衝撃をもたらしたそれが新一の
蹴ったサッカーボールだとすぐには理解できなかった。男が派手に倒
れ、一拍遅れて風圧が髪を煽る。

「く、くく工藤、君……?」

嫌な汗が噴き出てきた。

「大丈夫ですか、三宮さ――」

その時、突然新一がハッと目を見開いた。その視線は三宮の背後。裏
口に向かっていた人質男性の一人が、懐からサバイバルナイフを取り
出して三宮に迫っていた。

「三宮さん!!」

新一が足元に転がっていた拳銃を拾い上げるのを視界の隅でぼんやり
と認識しつつ、足が竦んで身体が凍ったように動かなかった。

新一が素早い動きで銃を構える。

だが、局内に銃声が響くことはなかった。
新一が引き金を引くより前に、何かが男のサバイバルナイフを弾き飛
ばしたのだ。

カラン、とナイフがリノリウムの床に転がると同時に、黒い影が男に
襲いかかった。

「え……」

そこにいたのは、黒羽快斗だった。

「快斗……」
「新一に一般人の目の前で銃を使わせるわけにいかないからな」
「悪い、助かった」

新一が銃を下ろす。

「そいつが強盗の仲間だってのはわかってたんだが、まさかここで行
動を起こすとは思わなくてな……油断した」
「やっぱり心配で乗り込んできたんだけど、間に合ってよかったぜ。
案の定、自ら人質になってたし」
「奴の懐に入って油断させるにはああするしかなかったんだよ。ま、
電話のおかげで上手い具合に時間稼ぎもできたし、サンキュな」
「ったく……新一のことだから大丈夫だとは思ってたけど、今回は三
宮さんも一緒なんだから、あんま無茶すんなよ」

非難するように言う快斗の手には何もないが、サバイバルナイフの近
くにはトランプが一枚落ちていた。
そして三宮の見間違いでなければ、あの時快斗は男に素早く迫り、死
角から首に手刀を入れていた。そのシンプルだが洗練された動きに、
快斗が只者でないことを察する。

「黒羽君って何者……?」

きっと面と向かって聞いても、ほしい答えは返ってこないのだろうと、
漠然とした予感があった。





















2013/09/21