「あ、高木刑事。お疲れ様です」
警視庁の廊下で高木に遭遇した。
「工藤君。と、服部君じゃないか。東京に来てたんだね」
「ちっと親父の用事でな」
「そっか。二人とも今日はどうしたんだい? 昨日の事件の聴取なら、
もう済んじゃったけど……」
「ああ、いえ。今日はちょっと、ここ二週間ほどに起きた事件の記録
を見せてもらいたくて。資料室の鍵、開けてもらえます?」
すると、高木は少し考えるように言った。
「それはいいけど、ここ二週間の事件じゃ、まだ調書上がってないの
もあるかもしれないなぁ。それに人が亡くなっているのは二件だけで、
両方とも解決しているよ。工藤君のおかげでね」
「傷害事件も調べたいんですけど」
「そういうのは基本的に所轄だけど……そういえば、この間千葉が一
件担当してたような気がするな。……あ、千葉!」
ちょうど廊下の先を通りかかった千葉を、高木が呼び寄せる。
傷害事件のことを尋ねると、手に持っていた書類を差し出された。
「その事件なら、ちょうどこれがその資料だよ。傷害どころか殺人未
遂だ」
「ちょっとすみません」
受け取って、新一は調書を捲った。横から服部も覗きこむ。
パラパラと、普通の人よりもかなり早い速度で読んでいく。真剣な顔
つきで資料に集中している二人に、高木と千葉は何事だろうかと顔を
見合わせた。
「重森咲、21歳。都内の大学に通う女子大生か……。犯人はまだ捕
まってないんですね?」
「ああ。今被害者の交友関係を洗って、恨みを買うようなことがあっ
たか調べているところだけど、通り魔っていう線も否定できない」
「そうですか……ありがとうございました」
ものの数分で、新一は満足したように調書を千葉に返す。
「よくわからないけど、事件の捜査かい?」
「ああまあ、大したことじゃないんですけど、ちょっと調べたいこと
があって」
二人はもう一度礼を言って、警視庁をあとにした。
「……工藤、さっきの」
「被害者が天使かどうか確かめなきゃ何とも言えねぇけど……凶器と
手口がこれだけ似てりゃあ、おそらくな」
人気のない夜道。背後から鋭利な刃物で一突き。
急所を外れていたのと、たまたま通りかかった人がすぐに救急車を呼
んだのが幸いして一命は取り留めたが、犯人の手掛かりはない。
「本人はまだ面会謝絶だ。……実家の住所、書いてあったな」
二人は視線を交わし、目で頷いた。
結果的に、被害者は天使だとわかった。
二人を出迎えた被害者の兄だという男が、白い羽を持っていたのだ。
事件の恐怖が引かないのか、憔悴しきった様子の男にこれ以上の混乱
を与えないようにと羽のことは聞けなかったが、目の前にある彼の羽
が証となった。
新一と服部は話を早々に切り上げ辞去した。
「まさか、本当に東京に来てたとはな」
「他県やったら捜査がもっと遅れてたわ。そういう意味ではラッキー
なんやもしれへんな」
言葉とは裏腹に、服部の声は少し憂鬱そうだ。
「大阪での最後の犯行と今回の東京での犯行は、間が一週間以上あい
とる。やっぱり標的を吟味して選んでたっちゅうことか……」
だとしたら、次の標的を推理するための手掛かりを見つけなければな
らない。
これ以上の犠牲を出さないようにするために。
「一応、現場に行ってみようぜ」
二人は事件の現場に向かったが、結局、街路樹のせいもあって見通し
の悪い一方通行の路地だということ以外には何も手掛かりを得られな
かった。
「工藤、俺はいったん大阪に戻るわ。警察が三件の現場近くの防犯カ
メラをチェックしとるはずやから、それも含めて捜査状況を確認して
くる。鑑識がまた何か見つけとるかもしれへんしな」
「ああ。俺はプロファイリングで何かヒントを得られないか試してみ
る」
服部も荷物を取りに一度工藤邸に戻ることになり、二人は米花駅から
の道を言葉少なに歩いた。
「……あれ」
工藤邸の前に佇む人物に気づいて、二人は一瞬足を止めた。
するとその人物も二人に気づき、走り寄ってきた。
「工藤! どこ行ってたんだよ〜。携帯も繋がんないし!」
「え……あ」
「……もしかして忘れてた? 俺との約束」
頬を膨らませた快斗がじとりと新一を見る。
「悪ぃ……」
今日は快斗が遊びにくる約束をしていたのだ。いや、今日も、と言う
べきか。
だが昨夜から天使殺しの事件で頭がいっぱいで、すっかり忘れていた。
「何や工藤、約束あったんか。そら悪いことしてもうたな。兄ちゃん、
工藤に捜査の協力頼んだん俺なんや」
「……あんたは?」
「服部平次や。大阪で高校生探偵しとる」
「ふぅん。俺は黒羽快斗」
責める空気を少し和らげて、快斗が新一に向き直る。
「事件ならしょうがないけどさ、それならそれで連絡くれよ。心配す
るだろ」
「悪い……」
「あ、でも、まだ捜査があるなら俺は帰った方がいいのかな」
「いや、今日はもう外には出ねぇから。夕飯うちで食ってけよ」
「やったー! 工藤の手料理!」
その様子を見ていた服部が意外そうに口を挟んだ。
「工藤って料理するんか?」
「まあ、そこそこな。一人暮らし長ぇし。オメーも食ってくか?」
新一が問うと、服部は苦笑した。
「今回は遠慮しとくわ。はよ帰らんとおかんがうるさいねん」
「服部君、大阪に帰るの?」
「ああ。帰って、やらなあかんこともあるしな」
一瞬だけ、真剣な目で新一を見る。新一も小さく頷き返した。
そのやりとりに気づいた快斗が複雑そうな顔をするが、新一は気づか
ずにさっさと家の中に入っていった。
「黒羽って工藤の友達なん?」
閉まりかけた扉を止めて、服部が問う。すると快斗は含んだような笑
みを浮かべた。
「そうかもね」
その曖昧な答えの追及を許さない空気に、服部は微妙な気分になった。
その隙に、快斗は中へ入っていってしまう。
「何や、一筋縄ではいかなそうな男やなぁ……」
中途半端にドアを開いたまま、服部は呟いた。
***
天使を狙った連続殺人。
白い羽、白い羽……犯人は白い羽に対して何らかの強い感情を持って
いるはずだ。それは憎悪なのか執着なのか嫉妬なのかあるいはまった
く別の感情なのか。
死ねば羽は消える。ならば犯人の目的は羽を消し去ることだろうか。
そうなると連続殺人鬼に見られるコレクション的な意味合いは薄いだ
ろう。
だが憎悪というのも違う気がする。殺害の手段があまりにシンプルだ。
ナイフで一突き。ほかに傷もない。あくまで殺すのが目的であって、
殺し方にこだわりはないのだろう。そこに憎しみの気配はなかった。
もし犯人自身が、服部のように羽を持たない者だとしたら、羽を持つ
者への暴走した嫉妬も動機として考えられるが……。
要となるのはやはり、標的となる基準だ。
白い羽を持つ者が無差別に狙われているとは考えにくい。もしそうな
ら、大阪でも東京でももっと多くの天使が手当たり次第に襲われてい
るはずだ。
犯人は、選んでいる。
吟味して、視界に入った天使の中から、基準に見合う者を選んでいる
のだ。
だが、決して少なくない数の天使が住まうこのメトロポリスで、一体
どのように選んでいるというのか……
「工藤?」
呼びかけられて、意識を引き戻される。
目の前には、怪訝そうな顔で新一を見上げる天使。もとい黒羽快斗。
そうだ、今は快斗が家にいるのだ。
夕飯を食べ終わった後で、リビングでコーヒーを飲みながらテレビを
見ている。
「……悪い。考え事してた」
「事件、終わってないんだ?」
「ああ……」
カーペットの上に胡坐をかいていた快斗がテレビを消して立ち上がり、
ソファの新一の隣に座りなおす。
「ちゃんと寝てんの?」
「大丈夫だ」
それは本当だった。
ここのところ、気分が軽い。そのおかげか、自分にしては夜も寝付き
がよく、身体の調子も良い。
もしかしたら、この天使のおかげかもしれないなと、冗談混じりに考
える。
天使にそんな力はないけれど、黒羽快斗自身は、人を癒す力を持って
いるのかもしれない。それは単純に、気の回る性格であったり、本当
に楽しそうな笑顔であったり、独特の雰囲気であったり。
そんな彼を独占していることに、少しの優越感と罪悪感を覚えること
もあるが、彼が何も言わないなら自分が言うべきことでもないだろう。
「工藤」
呼ばれてハッとする。どうやらまた、考えに耽ってしまっていたよう
だ。
快斗の手が伸ばされて、ひどく緩慢な動きで新一の髪を優しく梳く。
ゆっくりと近づいてくる快斗を、新一はじっと見つめていた。快斗も
じっと見つめてくる。
その静謐な目に浮かぶ感情が何かわからないまま、二人の唇がそっと
触れあった。
瞼を下ろしながら、まるで天使の祝福だ、と冗談みたいなことを思っ
た。
2013/03/13
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