その日はどしゃぶりの雨だった。

レインコートを着た警察官たちが忙しなく動き、警部が雨音に負けないよ
うに声を張り上げている。
馴染みの刑事に傘をさし向けられて、新一はありがたく受け取った。
アスファルトを跳ねた雨粒が足下を濡らしていく。

証拠らしい証拠はすっかり雨に流されてしまっていて、容疑者を絞るのも
ままならない状況だった。

現場での証拠探しは中断して、新一は息を吐いた。

無意識に背中の羽を揺らす。雨粒を振り落とすようなその仕種はしかし、
まったく無意味な行為だ。地上の物理現象と別次元にある羽は当然、濡れ
ることもない。

だが、気分的な問題なのか、重さのないはずの一対のそれが、水気を吸っ
てずっしりと重くのしかかるような気がした。

何げなく空を見上げる。
ビニール傘ごしに見える空は厚い雲に覆われていた。

そういえば今日は怪盗キッドの予告が出ていたな、と思考が逸れる。
月の出ていない夜だから、宝石の返却はきっと後日になるだろう。
彼の目的は知らないが、きっと月に関係あるのだろうと、盗んだ獲物を切
なげに月に翳す姿を見た時から漠然と思っていた。


「工藤君」

高木刑事に呼ばれて、視線を戻す。
現場でぼんやりしていたのを見られたのは気まずかったが、どうやら推理
中だと思われたようで、高木はごめんね、と断りを入れてから話し始めた。

「被害者の部屋から女性の化粧品が見つかったみたいなんだ。今被害者の
交友関係を洗っているところで……」
「……どちらにしろ、この時間じゃ今日中の聴取は難しいでしょうね」

時刻はそろそろ深夜をまわる頃だ。
事件解決のためとは言え、他人様を訪ねる時間帯ではない。

思うように進展しない事件に、新一は溜息を呑みこんだ。

その時、不意に視界の端を何かが横切った気がして、新一は振り向いた。

雨に打たれて揺れ動く黄色いテープ。
その向こうを、足早に通り過ぎる一つの影。

全身暗い色味の服を纏って、夜の街に簡単に溶け込みそうなその人物は、
しかし、背に生えた翼によって眩しく闇に浮き上がっていた。
それはまるで、夜空を翔る怪盗の白い衣装のように、新一の視線を惹きつ
けた。

(あの羽……)

天使なんて今時珍しくもないが、あれほど見事な羽を持つ者はなかなかい
ない。
最近では、一人見かけただけだ。

(あいつ、あの時の……)

図書館で見かけた少年。

羽なんてただの付属品だとして、普段邪魔にさえ思っている新一ですら思
わず見惚れるほどの、神々しい光を放つ羽の持ち主。

天使だからと言って、人間が思い描くような神の力を持っているわけでも
ないのに、その羽は確かに、そう思わせるような何かを持っていた。
それこそ、黒い羽を持つ自分ですら、彼の恩恵に与れるのではないかと勘
違いしてしまいそうなほど。

「工藤君、送るよ」

目暮警部への報告を済ませて再び声をかけてきた高木に、新一はまだ電車
もあるからと丁重に断って、傘だけ借りてその場を辞去した。

少年が去っていた方へ小走りに向かう。

何をしようと思ったわけでもない。ただ何となく、もう一度あの羽を――
というより、あの少年を見てみたかった。


だが、あれほど目立つ羽ならすぐに見つかるだろうという予想に反して、
大通りに彼の姿はどこにもない。

「あれ……? っかしいな……」

あの方角なら駅に向かっているものだと思ったのに。

きょろきょろと左右を見渡す。

「あ、すみません」

ちょうどすれ違おうとした見知らぬ悪魔に声をかける。スーツを着たサラ
リーマン風の中年の男だ。

「何だい?」
「ちょっとお聞きしたいんですが……このあたりで、見事な羽の天使を見
かけませんでしたか? 高校生くらいの少年なんですが」

すると悪魔の男は少し驚いたように目を丸くした。
それもそうだろう。羽を持つ者たちが、地上で羽の存在を口にすることは
滅多にない。存在しないかのように振る舞うのが常態なのだ。

だが新一の真剣な様子に、男は考える素振りを見せた。

「うーん、どうだったかなぁ。天使なら駅前で何人か見かけたけど……特
別すごい羽を持った子は見なかったよ」
「そうですか……」

新一が目に見えて落胆すると、男は申し訳なさそうに謝り、それから少し
興味深げに新一の背後に目を向けた。

「それにしても、君もずいぶん立派な羽を持っているねぇ。君、あれだろ
う? 高校生探偵の工藤新一君。悪魔だったなんて知らなかったよ」

新一は曖昧に笑った。
マスコミのカメラに映ってしまうことはたびたびあるが、映像には羽は映
らないのだ。

男に礼を言って別れ、新一はとりあえず駅の方へ向かって歩き出す。

少年を見つけられなかった苛立ちに、空気を叩きつけるように背中の羽を
一度強く羽ばたかせる。
風が起こるわけでもないが、何枚かのやわらかい羽が抜けて、ふわりふわ
りと落ちる。そして地面に触れた瞬間、霧散するように消えた。








「……つーことがあったんだよ」
「へぇ、そう」

昨夜の大雨から一転、開け放たれている窓からは晴れ渡った空が見える。

事件は無事解決。
数日前の定期検診の結果を聞いた後、哀とコーヒーを飲みながら雑談して
いた。

「すっげぇ綺麗な天使だったなぁ」
「珍しいわね。あなたが羽のことを口にするなんて」

哀は興味深そうに新一の背後へと視線をやる。そう言う哀の背にも、小さ
な白い羽がついていた。

「羽の大きさや美しさは何で決まるのかしらね」
「さあな。俺は地上生まれだから魔界には行ったことねーけど、聞いた話
じゃ羽の見た目は地上の奴らと差はないらしいし」
「生まれは関係ないってことね」
「人間とのハーフでもでけぇ羽の奴はいるしな。天使と悪魔のハーフでも、
子供はその時々でどちらかの色を受け継ぐだけで、灰色になるわけじゃね
ぇし」

新一が黒々とした翼を広げてみる。

「また会いてぇな……」





















基本ずっと新一視点寄りなので、快斗あまり出てきません……



2013/03/02