警部に呼ばれて警視庁にやってきた時だった。 一課の前に顔馴染みを見つけて声をかける。 「高木刑事と佐藤刑事。こんにちは」 「あ、工藤君」 すると、佐藤が高木の脇腹を小突いた。 「違うでしょ、高木君」 「あっ、そうか。ごめんね。これからは黒羽君って呼んだ方がいいの かな」 「……は?」 一瞬、思考が停止した。 そんな新一の前で、二人はにやにやを隠しきれずにいる。 「あ、でもまだ婚約だけなんだったかしら?」 「それに最近は結婚しても苗字そのままの人もいるしね」 「え、ちょ……」 珍しく慌てふためいている様子の新一に、二人は追い打ちをかけた。 「聞いたわよ〜! 結婚するんですって?」 「工藤君もとうとう人づ……じゃなくて所帯持ちになるんだね!」 「っ、どこでそれを……」 「この間お父様が警視庁にいらしてね、目暮警部に話してたのよ」 「一課のアイドルがどこぞの男にとられたって、騒ぎになってるよ」 「……………」 「それで、名前はどうするの?」 「……工藤でお願いします」 新一は項垂れて言った。 「ってことがあったんだ……どうすりゃいいんだよ……」 「……ここは相談室じゃないのよ」 頭を抱える新一に、哀は呆れかえった顔で冷たい視線を送った。 大学で実施された健康診断の結果を哀に提出しにきたついでに、相談 という名の愚痴をこぼしているのだ。 哀には事の顛末をすべて話してある。 「昨日も二人で一緒に登校して一緒に帰ってきてたじゃない。同棲生 活は順調なんでしょ?」 「オメーまで同棲言うな」 新一が不満そうに言うと、哀がからかうような笑みを浮かべた。 「同棲でしょう? 聞いたわよ、ご両親からクイーンサイズのベッド をプレゼントされたんですって?」 「俺は使ってねーけどな!」 見合いの数日後、突然ベッドが配達されたのだ。 今は新一の隣の部屋に置いてあり、一応快斗はそこで寝ている。新一 は変わらず自室のベッドで寝ているが、それもいつか勝手に処分され てしまうのではないかと、帰宅するたびに戦々恐々と自室を覗いてい る。あの両親ならやりかねない。 「灰原も何か良い案ないかー?」 「いっそ本当にくっついちゃえばいいじゃない」 「オメーまでそんな……」 「だって、あなたは好きなんでしょう? 彼のこと」 さらりと言われた言葉に、新一は硬直した。 「…………は? 何のこと――」 「だって好きじゃなかったら、いくら嘘でも結婚するなんて言わない でしょう」 その辺の性格はあなたのご両親もわかってるんじゃないかしら、と哀 は続けた。 新一はパクパクと口を動かすが、まともな単語は出てこない。 「え、な――」 「ならいいじゃない、結婚しちゃえば」 哀の言葉に、新一は一度口を閉じた。そしてこれまでとは違う、どこ か思いつめたような表情を浮かべる。 「……だからだよ」 「え?」 「好きだからこそ、こんな冗談みたいな形で結婚して、何とも思って いないあいつを巻き込みたくない」 「……本当にそうかしら」 「え……?」 「彼。本当にあなたのこと何とも思ってないのかしら」 「…………」 あたり前だろ、と言おうとして、何故か言葉が出てこなかった。 胸が痛い。 「聞いてみたら?」 「え、あいつに?」 「こういうのは本人の口から聞かなきゃ駄目よ」 それでも渋る新一を置いて、哀はさっさと部屋を出ていってしまった。 「って言われても……」 昼休みの後、3限が休講になったため二人は図書館裏の芝生で、鞄を 枕にして寝そべっていた。 日向と日陰がちょうどいい具合にあり、人も少なくて二人の穴場スポ ットだ。 結局一週間悩み続けて、いまだに気持ちを聞き出せずにいる。 「おい快斗、さっきから何見てんだ?」 快斗がもくもくとタブレット端末を操作しているのが気になって問う と、画面を向けられる。 「おまっ、何調べてんだよ?!」 画面には「こだわりの式場選び」の文字と、何枚かの教会の写真。 「いや、有希子さんにいくつかサイト教えてもらったからさ」 「乗せられるなよ!」 飛び起きた新一は、寝そべる快斗を見下ろした。快斗は相変わらず画 面を操作している。 「ちゃんと考えてんのかー? 破局の理由」 「うーん」 「……このままじゃ本当に結婚することになっちまうぞ」 「うーん」 「オメーはそれでいいのかよ?」 「うーん」 いつになくぼうっとして曖昧な相槌を打つ快斗に、新一は苛立ちを覚 えて溜息を吐いた。 これまでこの結婚話に新一と同様に焦っていたはずなのに、ここに来 て何故こうも煮え切らない態度を取るのだろう。 まして自ら結婚情報サイトなんかを見たりして。 「……俺はさ」 タブレットの画面から目を離さないまま、徐に快斗が口を開いた。 「なんか、別にいいかなーって」 「何が」 「結婚しても」 「……………………はあ?!」 驚愕にぽかんと口を開いた新一をよそに、快斗がのんびりと身体を起 こす。 「だから、このままでいいんじゃね」 「……いやいやいやいや、何言ってんだよ?! いいわけねーだろ! 好きでもない男と結婚なんて――」 「俺は好きだよ」 「…………は?」 唐突に幻聴が聞こえた気がして、新一はまたしてもぽかんと間抜けな 顔を晒すこととなった。 「だから。俺は新一が好きだよ」 「え……お前何言って……」 「自覚したのはつい最近なんだけどさ。何か、新一と結婚てのも悪く ないなって。だからこのまま結婚ってことになるなら、それでもいい かなって思う」 「な………」 一週間、ずっと聞こうか悩み続けて聞けなかったことを、相手から言 い出した。 でもその答え次第でどうするかは、何も考えていなかった。 「マジかよ……」 「うん」 「……俺なんかが嫁で、いいのかよ」 「うん。新一がいい」 っていうか嫁でいいんだ?と言ってくすくす笑った快斗の笑顔はやけ に甘くて、新一はじわじわと心が何かで満たされていくような、ある いは浸食されていくような感覚を覚えてむず痒くなった。 「新一は? 俺と結婚するの、やっぱ嫌?」 「嫌じゃ、ない……俺なんてずっと前から、快斗が好きだ」 自分でも驚くほど素直にするりと出た言葉に、快斗がほっとしたよう に微笑んだ。 「そんじゃ改めて。――新一、結婚しよう」 「……はい」 快斗は徐に新一の左手を取り、指にキスを落とした。 唇が離れると、薬指の付け根に四葉のクローバーが器用に巻かれてい た。ふと快斗の左手を見ると、同じように四葉が巻かれている。 今度は両手を包み込むように取られて、額が触れ合った。キスができ そうなほど至近距離で見つめ合う。 「どんな時も。ずっと一緒にいよう」 「ああ」 囁くように誓い合って、自然と唇が重なった。 図書館裏の、樹の茂みに隠されているようなところで、芝生に座り込 んだまま交わした誓いの言葉とキス。 指輪も即席で、そこには煌びやかなものは何もなかったが、不思議と 神聖な空気が出来上がっている。 誰も知らない、二人だけの秘密の儀式だった。wedding編
2013/04/09 |