コンコン、というノックと同時に、ドアが開けられた。 「かーいと! やっほー!」 「何だ青子か。オメー、いきなり入ってくんなよな」 ひょっこりと顔を覗かせた幼馴染に、快斗は呆れたような顔をしてみ せた。 「いいじゃない! どうせ支度も済んで暇なんでしょ? 青子が緊張 ほぐしに来てあげたよっ」 「別に緊張してねー」 「そうかしら。若干肩に力が入ってるわよ」 「紅子も一緒だったのか」 青子に続いて美少女が現れた。 「せっかくだから、式の前に黒羽君にお祝いのおまじないをしてあげ ようと思ったのよ」 「うわ、ぜってーヤメロ!」 彼女の魔法とやらには、ろくなことになった記憶がない。高校時代、 ずいぶん苦労させられたものだ。助けられたこともあるけれど。 「失礼ね。でもまあ、緊張は解れたようだからいいわ」 そう言って微笑んだ紅子に、少し照れくさくなる。自分でも気づかな いうちに緊張していたようだ。 これまで幾度となく命のやり取りをするような極限の緊張状態の中に 身を置いてきた。だが、これはそういう緊張とはまったく別の種の緊 張だ。わずかに速い脈拍が、心地良くさえ感じられる。 大学生になって化粧をするようになったことで、より一層美女と形容 するに相応しくなった紅子が、今は穏やかに微笑む。純粋に友人の幸 せを祝福する、慈愛に満ちた大人の微笑だ。 そしてその隣では、まだ幼さの残る顔立ちの幼馴染も、同じ表情を浮 かべていた。 「おめでとう、快斗」 「おめでとう、黒羽君」 「……ありがとう」 *** 朝、起きぬけに突然見合いをすると言われた時、驚きはしたものの、 それもいいかもしれないと快斗は思った。 怒涛のように過ぎ去った高校生活が終わって振り返ってみると、この 平穏の代償に、自分は多くのものを置き去りにしてきたのだと気づい た。その中には幼馴染と共に築く予定だった未来もあって、その喪失 は少しの寂寥感を心の中に残していきはしたものの、後悔は一つもな かった。 妹を見守る兄のような気分で彼女の手をそっと離した時、快斗は恋愛 への欲を捨てた。当時誰よりも大切だった彼女よりもキッドを選んだ 時気づいたのだ。同じような状況になったら、自分は何度でも独りで 戦うことを選ぶ。その頑固な意志さえねじ曲げてしまえるような、何 よりも優先したいと思えるような人に出会うことはないのだろうと、 思い込んでいた。 だから、それならば親が良いと思う人と結婚するのも悪くはないと、 そう思ったのだ。 だが、ホテルのレストランでどうでもよさそうに座っていた快斗の前 に彼が現れた瞬間、快斗は頭を殴られたかのような衝撃を受けた。 慧眼の名探偵。 探偵嫌いの自分が唯一認め、尊敬の念すら抱いた最高の好敵手。 彼は、自分が誰でもいいと思っていた婚約者の低い椅子に座らせて適 当に扱っていい存在ではない。名探偵には名探偵に相応しい椅子を。 彼を見た時点で今日がまだエイプリルフールだったことを思い出し、 母親の手の込んだジョークである可能性に思い至ったのだが、たとえ ジョークだとしても、名探偵を、恋愛を諦めた快斗の中では正直どう でもいい存在である婚約者などという立場に据えたくなかった。 どうしたら彼に相応しい椅子を与えられるか考えて、とりあえずのと ころそれは、自分の親友という座だった。 これなら、尊敬できるし、対等でもある。うん、これでいい。 「それってさー。快斗、その人のこと好きなんじゃないの?」 「………へ?」 見合いの話を聞きつけて快斗を呼び出した幼馴染が、ざらめ煎餅を齧 りながら言った。彼女の方から自宅に呼びつけたくせに、リビングの テレビでは数年前のドラマの再放送が流れていて、青子の視線はずっ とテレビに向けられたままだ。 「だってその人と婚約するのは嫌じゃなかったんでしょ?」 「おい俺の話聞いてたか? 婚約はあくまで冗談で、そいつはただの 親友っつーか――」 「要するに、快斗の一番大切な人、なんでしょ?」 青子は煎餅の最後の欠片を口の中に放り込んだ。噛み砕いて嚥下して、 仕上げとばかりに煎茶を啜る。 「――快斗って、親友いたことないじゃない」 快斗は呆けたように青子を見た。 確かに、快斗に親友がいたことはない。友達は多いが、今まで一番距 離が近かったのはこの幼馴染で、その彼女に抱いていた恋心を昇華さ せてからこっち、一番近いところにいるのは間違いなく彼だ。 でもそれはすべて、友情だと思っていた。 朝起こしに行って寝顔が見たいと思うのも、朝食を作ってあげたいと 思うのも、一緒に大学に行って一緒に授業を受けて一緒に課題をやり たいと思うのも。……夜、おやすみ、と言いたいと思うのも。 「あ、れ……俺……」 「別れる理由が思いつかないのって、そういうことじゃん」 (俺、新一のこと好きだったのか) 気づいてみれば、その気持ちが一番しっくりくる。 「快斗って変なところで鈍いよね」 そう言って青子が苦笑する。 (でも) 次回予告が流れ初めて再びテレビに目を戻した幼馴染の横顔に、快斗 は心の中で問いかけた。 (自覚したところで、どうしろってんだよ……) パソコンを開くと、「親友」の母親からメールが届いていた。 アドレスを教えた覚えはないのだが、まあその辺りのことには突っ込 むまい。 メールにはブライダルのお役立ち情報サイトのアドレスがいくつか記 載されていて、快斗は試しに一つクリックしてみた。 「海外の式場……披露宴の演出……」 画面を適当にスクロールして流し見る。 どのページにも、幸せそうな笑顔の新郎新婦の写真がある。 「……………」 しばらく画面を見つめた後、快斗は徐に電話をかけた。 『Hello?』 「あ、もしもし。黒羽快斗です」 『あら〜、快斗君。二人での生活はどう? 順調?』 「ええ、まあ。あの、メールしてくださったサイト、ちょっと見てみ ました」 快斗がかけた先はロサンゼルスだった。 有希子の明るい声が受話器から流れ出る。 『本当? 何か気に入ったのあったら教えてね。私たちが全面的に協 力するわ』 「ありがとうございます」 それから、快斗は少し躊躇いがちに口を開いた。 「でも……式は、無理だと思います」 『あら、どうして?』 「新一には、俺と結婚する気はありませんし」 『快斗君は?』 「え?」 『快斗君は、新一と結婚したいの?』 「俺は……」 思わぬ問いかけに戸惑った。 自分の息子に結婚の意志がないというのに、なぜ相手の男の意志を気 にしたりするのか。 大体、ここで彼のことが好きだと告白したとして何になるというのだ。 好きだから結婚させてください? いや、それでは新一への裏切りで はないか。 「……わかりません」 我ながらふざけた答えだと思った。自分が親だったら相手を殴りつけ るくらいには。 けれど受話器の向こうからは、有希子の苦笑が聞こえてきた。 『ねぇ、快斗君。結婚って案外、もっと単純なことなのよ。快斗君が 幸せになるのに、新一は必要?』 「幸せ……」 快斗は未来の幸せな自分を想像してみた。 世界中のステージでマジックを披露し、名実ともに世界一のマジシャ ンとして活躍する自分。たくさんの人々が自分のマジックで笑顔にな る。魔法みたい、と子供たちが目を輝かせる。 大きな拍手とたくさんの笑顔の中にいる自分。 (あ……) 唐突に理解した気がした。 未来の自分を取り囲むように、たくさんの人たちが見える。だが隣に は、誰もいない。孤独だ。 やっぱり必要なのかな、と快斗は思案した。快斗と肩を並べ、同じ方 向を見て、時々肩が触れ合って、手を伸ばせば指を絡め合うこともで きる、そんな距離にいる人が。 それが新一ならいいかもしれない。いや、新一じゃないときっと駄目 だ。 彼が隣にいないと思うと、輝いて見えるはずの観客の笑顔が、ひどく 褪せて見えた。 「……でも新一の幸せには、俺は必要ないです」 想いを呑みこんで、快斗は答えた。 すると有希子は今までで一番優しげな声で言った。 「二人とも本当はどう思ってるのか、ちゃんと話し合った方がいいわ。 隠し事をしたまま夫婦になっても、碌なことにならないんだから」 それから有希子は、シリアスな雰囲気を払拭するように、殊更明るい 声で言った。 「ふふ、私、新ちゃんに怒られちゃうわね。快斗君の貴重な弱音を聞 いちゃって」 「え……」 「ああ見えて嫉妬深いんだからぁ」 弱音を吐いたつもりはなかったし、それで新一が嫉妬するというのも 理解できなかったが、有希子と話して少しだけ胸のあたりがすっきり した。 (明日、新一とちゃんと話そう) 自分がどうしたいか、本当はどう思っているのか、今まで口に出すこ とを避けてきた。けれど今は、言葉にして伝えなければいけない時だ。 たとえその結果、彼が離れていってしまったとしても。 *** 快斗は控室を抜け出して、教会の裏庭に出ていた。 「快斗」 かけられた声に、ゆっくりと振り返る。 「こんなところにいたのか」 快斗とデザインの異なるタキシードを着た新一が近寄ってきた。 「なあ新一」 隣に並び立った今日伴侶となる人に、快斗は静かに言った。 「俺の幸せには新一が必要みたいなんだ。だから、こんな形で新一を 縛るよ」 謝罪こそ口にしなかったが、快斗の声に僅かな罪悪感を感じ取ったの か、新一はすっと目を眇めた。 「そんなの。俺の幸せにだって快斗が必要なんだよ。だから俺だって オメーのことを縛るんだ」 二人は自然と手を取り合い、指を絡めた。 手と、それから胸のあたりがぽかぽかと暖かくて、幸せってこういう ことなのかなと快斗はこっそり唇に笑みを刻んだ。 新婦はいないから、快斗と新一は手を繋いで、二人で一緒にヴァージ ンロードを歩いた。 隣を歩く彼と目が合って、にやりと笑い合う。 その様子がいかにも彼ららしかったと、後に隣家の少女は振り返る。 指輪を交換して、誓いのキスをする。 披露宴はガーデンパーティー風に屋外で行って、晴れ渡った空にマジ シャンの銀鳩が飛び立った。 二人の希望で、親しい人間だけを招待した、格式ばらない披露宴だ。 ケーキにナイフを入れた瞬間ピンク色の煙幕がはじけて、ナイフが薔 薇に変わっていたりと、お茶目なマジックも交えて招待客たちの笑い を誘った。 「あれ……?」 各テーブルを回って招待客に挨拶をしていた時だ。 二人で一緒に回っていたはずなのに、高校時代の友人たちに囲まれた 辺りから、伴侶の姿が見えなくなった。 やっとテーブルを離れて辺りを見回すも、彼の姿はどこにもない。 探偵だというのに逃げるのも得意なのだから、ますます侮れない人だ。 「大丈夫よ」 下から声をかけられて振り向くと、春らしいミントグリーンのドレス に身を包んだ少女がいた。 「哀ちゃん」 「すごく不安そうな顔をしてたわよ。置いてけぼりをくらったみたい に」 哀がからかうような笑みを浮かべて言った。 「……俺、新一がいないと駄目なんだ」 至極真面目に言った快斗に、哀は少し驚いたような顔をして、それか ら微かに、優しげな笑みを浮かべた。 「……よかった」 その時、招待客たちのざわめきが聞こえて、快斗は顔を上げた。 「え………」 ガーデンの端に現れた、白。 次々と立ち上がった招待客たちの間を縫うように、こちらへ向かって くる。 「うそっ、あれ……!」 「きゃあ、綺麗!」 女性たちが歓声を上げ始めた。 だが快斗は呆然とその場に立ち尽くし、それが近づいてくるのをただ 待っていることしかできなかった。 「……快斗」 目の前までやってきて止まったその人は、薄いベールの向こうから快 斗の名を呼んだ。 「しん、いち……」 何とか名を口にすると、彼はもう一歩快斗に近寄った。膨らんだドレ スの裾が、快斗の脚をふわりと撫でる。 「ウェディングドレス……何で……」 絶対に着ないと、そう宣言していたのに。 彼のプライドの高さは知っていたから、大勢の知り合いの前でそうい う格好をするのは何が何でも拒否するだろうと思っていた。 それなのに彼は今、純白のウェディングドレスを身に纏って、快斗の 目の前にいる。 「オメーがっ、見たいって言ったから……」 良く見ると少しばかり化粧も施されていて、羞恥で頬を染めながらも その目は快斗に真っ直ぐ向けられ、快斗だけを瞳に映している。 「う、わ……嬉しくて死んじゃいそう……」 「バーロ」 快斗はそっとベールを捲くった。 現れた綺麗な蒼い瞳を強く見つめ返す。 見つめ合う二人の美しさに、周りは溜息を零した。 「新一……ホント、綺麗……」 「もう黙れよ」 「愛してる」 二人の唇が重なって、周りからは自然と拍手が沸き上がった。
結婚式編と、快斗sideも読みたいとおっしゃる方が何人かいらしたの で、両方合わせて書いてみました。 最初の「電撃まりあーじゅ」の軽いノリとは雰囲気がちょっと違うの で、イメージ崩れてしまったらすみません。 2013/04/13 |