米花大学の学生食堂。
昼休みが始まったばかりで、キャンパス中から学生が集まり、食堂の
狭い入口から我先にとなだれ込んでくる。
ご飯ものの列に並んでハヤシライスを受け取る。
脇に避けて見回すと、遠くでぴょんぴょん飛び跳ねている友人が見え
た。
「らーん! こっちこっち!」
人目を憚らずに両手を振り大きな声で呼ぶ友人。
ずらりと並んだテーブルと人の間を縫うように、彼女のところまで行
く。
「園子、席ありがとう。大変だったんじゃない?」
「余裕よん! 2限なかったからねー」
長テーブルの端に、向かい合って座る。
「そっちの授業はどう? もう慣れた?」
「まあまあね。基礎経営学Iの先生の話し方、超ねむくなるよ〜」
共に米花大に入学しつつも学部は分かれた二人は、昼ご飯は一緒に食
べるようにしていた。
「あ、蘭メイクまた上手くなってる」
「わかっちゃう? アイシャドウ買ってみたの」
大学生になって三週間が経とうとしていた。
講義にサークル活動。慣れないことで生活パターンが慌ただしく変わ
った。
「あいつとはちゃんと連絡取ってんの?」
「あいつって、新一のこと?」
「そうよ! まったく、嫁を置いて一人だけ東都大行っちゃうなんて。
ちゃんと見張っとかないと他の男にとられちゃったって知らないわよ
って言っとかなきゃ」
「ええっ?」
前のめりで、鼻息荒く言った園子に、蘭はきょとんとした。
「私と新一はもうそういうんじゃないよ?」
「まだそんなこと言って……」
「本当に! 去年、一度ちゃんと話し合ったの。それで、これからは
ただの幼馴染でいようって」
「でも蘭、あんたずっと新一君のこと……」
「それは昔の話。今はもう、新しい恋を探してる」
苦笑して否定する蘭の表情に辛さや強がっている様子が見えないこと
を慎重に確認してから、園子は脱力した。
「な〜んだ、そうだったの……」
「心配かけてごめんね」
蘭はすまなそうに微笑んだ。それから、そういえば、と思い出したよ
うに言った。
「有希子さんから聞いたんだけど」
「有希子さんって、新一君のお母様よね」
「うん。ロスに住んでるんだけど、この間お母さんの事務所に行った
ら、偶然来てたの」
お母さんと有希子さんは高校時代の親友でね、と付け足す。
「それでね。新一、結婚するんだって」
その瞬間、ざわざわと騒がしい昼時の食堂の中で、二人の空間だけ、
静寂が落ちた。
たらこスパを口に運ぶ途中で、園子はぴしりと固まっている。
小刻みに伝わる震えに、微妙なバランスでフォークに巻きついていた
スパゲティーが、何本かつるつると皿に落ちた。
「………っ、えーーーーーーーっ?!!!」
堰き止めていた何かが決壊したかのように、耳を劈くような叫び声が
食堂中に響いた。騒がしさが一瞬静まり、何が起きたのかと多くの視
線が集まるが、園子本人にも蘭にも気にする様子はない。
「結婚ってどういうことよ?! 蘭とじゃないなら、どこの誰と?!」
蘭とくっつかない新一も想像しがたいが、蘭以外の女性とくっつく新
一はもっと想像しがたい。
「それがね、私も詳しくは聞いてないんだけど、どうも相手は男の人
らしいのよ」
「し、新一君が男と……でも、どっかの女といちゃいちゃするよりは
よっぽど自然に思えるわ、何故か……」
園子は顔を引き攣らせながらもどこか納得したように頷く。
「で、どんな人なの? 新一君に釣り合うくらいだから、相当美形な
んでしょうね?!」
すっかり興味深々で聞き出そうとする園子は切り替えの早い人間だ。
「写真は見てないけど、確か、私たちと同い年で、今年から東都大に
通ってるんだって」
「夫婦で同じ大学に通ってるってこと? あやつ、キャンパスライフ
を新婚ライフに塗りかえる気ね。大学入ってすぐ一目惚れとか?!」
「お見合いだったんだって」
「ということは双方の親公認……結婚式には呼んでくれるんでしょう
ね!」
「招待状出すわ〜って有希子さんが言ってたよ」
本人たちの知らないところで、新一と快斗が結婚する話は広まってい
た。
***
「はぁ………」
机に頬杖をついて、窓の外、どこか遠くへと視線を飛ばす新一。
溜息をもらすたびに、その憂い顔が漂わせる色気に周りがどぎまぎし
てしていることに本人は気づいていない。
ちなみに新一は今、必修である第二外国語の授業が終わったばかりの
教室にいる。大学のクラス分けはこの第二外国語で決まるため、つま
り周りで少し遠巻きに新一をちらちら見ているのはこの春からのクラ
スメイトたちだ。
その時、教室の後方のドアがガタンと大きな音を立てて開いた。古い
建物で立てつけが悪いのだ。
「新一ぃぃ〜〜!」
走り込んできた男の登場に、様子を窺っていたクラスメイトたちが俄
かにざわめく。
ドイツ語選択が圧倒的多数な理系の中で数少ないフランス語選択の新
一と快斗は同じクラスで、しかも入学当初から大体常に一緒にいるこ
とから、二人はセットで覚えられていた。
快斗は、まったくの無反応の新一の前の席に、後ろ向きに座った。
「あーもー、疲れたー」
「……オメー、必修サボったな」
「しょうがねーだろ、今朝急に母さんに呼び出されたんだから」
息子の成績なんてどうでもいいと思ってんだぜ、と快斗が愚痴を零す。
実際その通りなのだろう。
もっとも、フランス語はすでに習得済みの快斗が、今更基礎文法を勉
強する必要はないのだが。
それよりも、新一はハッとして、ようやく快斗の方を見た。今日初め
て目が合う。
「もしかして……」
「そー。まぁた式場と衣装のカタログ。早く決めろってうるさいの何
のって。夏休み中に挙式させるつもりみてぇ」
「快斗……」
机の上で握った拳がわなわなと震える。
「……どうすんだよ、完全に本気の流れだぞこれ! 今更、実はエイ
プリルフールの嘘でしたなんて言い出せる空気じゃねーぞ!!」
「わかってるって! でもまさかあの日にあんなこと言われて本気に
する方がおかしいだろ?!」
「あたり前だ! どこの世に本気で探偵と怪盗を結婚させようとする
親がいるっていうんだ」
そして自分たちの親を思い出して、がっくりと項垂れた。
ひそひそと言い合う二人に、周りは会話の内容が気になってしかたが
ない。部分的に聞こえてきた「結婚」の言葉に、各々想像が飛躍する。
「今日も二人がかりで色々と……パワフルでした……」
「二人?」
「有希子さんもうちに来ててさ。同棲はどう?って」
実は婚約が決まってすぐ、まずは同棲して互いをよく知るべきだと言
われ、快斗は強制的に工藤邸に引っ越しさせられたのだった。
「……ま、頑張れ」
「他人事みたいにぃっ。一人はオメーの母親なんだぞっ」
「姑の機嫌を取るのも嫁の仕事だ」
「嫁はオメーだろ!」
「はあ?! 俺は夫だろ!」
「何でだよ?!」
「だって家主俺だし、快斗の方が家事似合う」
「似合うって何だ。最近じゃ夫が家事する家庭だってある」
「じゃオメーはなぜ自分が夫だと断言できる」
「そりゃ――」
言おうとして、快斗は途中で口を噤んだ。
「何だよ?」
「あ、いや……その。夫婦になるなら、どっちかってーと夜のそうい
うのは俺の方が――」
「やっぱ言うな」
口ごもりながら言いかけた快斗を、新一はばっさりと遮った。だが、
その頬は少し赤くなっている。それを真正面から直視した快斗もまた、
少し顔を赤くした。
「……………」
「……………」
急に頬を染めて沈黙した二人に、遠巻きながら様子を見ていた周りは
内心きゃあきゃあ言っていた。
さっきから登場する「嫁」やら「夫」やらの言葉に、二人の関係を勘
ぐるのもしかたがない。
「……とりあえず、俺はドレス着ねーからな」
カタログを見せられたことに話を戻して、新一がぼそりと言った。
「俺も着ないって」
「……ゲイの結婚式じゃ普通は二人ともタキシードだ」
「うん……でも納得してくれなさそう。特に有希子さん」
「すでにどっかの有名デザイナーにドレス作らせてたりしてな……」
「う、ありえそう……」
「……あ〜も〜! それより、どうやって婚約を解消するかだろ?!」
新一は呻き声を上げながら机に崩れ落ちるように突っ伏した。
「やっぱ別れたって言えば……」
「だから、理由は何だよ?」
「……この相手との結婚に不安、とか?」
「それじゃただのマリッジブルーだっ」
「……新一が本ばっか読んでて構ってくれない、とか」
「それただ拗ねてるだけじゃねーかっ。……ってオメー、もしかして
寂しかったのか?」
「い、いやぁ、まさか。例えばだって」
「だよな。他に何かねーの?」
新一の人任せな催促に、快斗はIQ400の頭脳を回転させる。
「うーん。スケジュールが合わない」
「授業大体同じだろ……同じ学部で同じクラスなんだから」
「ペットアレルギーとか?」
「ないない」
「生理的に無理」
「最初に気が合うって言っちまっただろ」
「浮気した」
「おま、殺されかねねーぞ」
「だよなぁ……」
相手の嫌なところを挙げればいいのだろうが、それが思いつかない。
恋愛感情を抜きにしても、性格の相性は抜群に良いのだ。破局に至る
ほどの理由を捏造するのは案外難しい。
快斗も諦めたように新一の頭の横に突っ伏す。
その時の顔の近さに心臓が跳ねたのを誤魔化すように、新一は眉間に
皺を寄せた。
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ありがとうございます。
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2013/04/07
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