ほら、足元見ないと落ちちゃうよ 














「そういや磯田。お前彼女できたんだってー?」
「うわ、なぜそれを……!」
「遠野さんから聞いた」
 
一人がにやにやしながら、磯田と呼ばれた男を肘で小突く。
情報通な先輩の名前が出てきて頭を抱えた磯田に、話題が初耳だった
他の者たちが興味深々に詰め寄った。
友人が繰り広げるそんな会話を、黒羽快斗は適当に相槌を打ちながら
眺めていた。
 
暑くも寒くもない、五月後半の天気のいい日だ。
学食のテラス席に数名で陣取って、突然休講になって暇になった時間
をつぶす。
 
「尋問ターイム! まず、出会いは?」
「サークルの新歓で……」
「今年の? ってことは一年?」
「まあ……」
「後輩に手出したのかよー」
「手出したとか言うなって」
「はいはい。じゃあ、意識し出したタイミングは?」
「え、っと……最初に話した時から、何か気さくな子でいいなって。
髪型タイプだったし」
「ほほーう。ちなみにその髪型とは?」
「ポニーテール」
「うわあぁぁ。鉄板! 鉄板キタ!」
 
ふむ、と快斗はポニーテールの女の子を思い浮かべてみた。
ポニーテールは確かに男の間では人気が高いとよく聞く。元気で明る
い子のイメージがあるし、一緒に過ごしたら楽しそうだ。
 
すると、一人がうーんと首を捻った。
 
「ポニーテールもいいけど、俺はボブが好きだなぁ。JKくらいじゃダ
メだけど、大人の女性のボブってお洒落じゃね?」
「ああ、パーマとかかかってるといいよな」
「そうかぁ? 俺は断然ロング派」
 
皆が思い思いのタイプの髪型を口々に言い始め、いつの間にか話題は
磯田の彼女から移っていた。
 
 「黒羽は?」
 
黙っていた快斗に、一人が聞いてきた。
 
「あー。俺は特に……似合ってればいいじゃね?」
「なんだよそれー」
 
不満げな友人たちに、快斗は苦笑して付けたした。
 
「あえて言うならロングかな」
「だろー!」
「えー」
 
それぞれの反応を返す友人たち。
すると、一人が言った。
 
「髪型もだけどさ、俺はやっぱオーバーニーソックスに萌えるな。あ
のミニスカとソックスの間の絶対領域が何とも言えん」
「超わかるわー!」
「あれは最強」
「そんでさ、丈の長いカーディガン着て、袖から指だけ出てる感じ」
「たまらん」
「それで服をくいくいやられたら鼻血出る」
「勃つわ」
 
男しかいないせいかだんだん際どい会話になってきたが、男子学生の
会話なんてこんなものだ。
 
「本棚の高い段にある本取ろうとして必死に背伸びするのとかかわえ
え」
「代わりにさっと取ってあげたりするんだろ?!」
「ちょ、それは二次元すぎるw」
「俺は、髪かきあげる仕草もぐっとくるな」
「お、セクシー系きたな。草間は綺麗系お姉様が好み、と」
「おいおい」
 
白熱する談議に、快斗は曖昧な笑みを浮かべて相槌を打つ。
普段盛り上げ役の快斗は、今回ばかりは聞き役に徹していた。案の定
それを珍しがった友人たちが快斗を不思議そうに見た。
 
「何か今日の黒羽大人しくね?」
「いや、何つーか……」
 
好みのタイプがないわけではない。
萌える仕草がないわけでもない。
ただ、そういう格好や仕草をする女の子を見たり想像したりしても、
そこまで滾るものがないだけだ。可愛いけれど、それだけだ。
 
それに――
 
「妄想するほど相手に困ってねーし?」
「うわー、出たよモテ男発言!」
「事実だから言い返せねぇ……」
「敵! こいつは敵だ!」
 
冗談めかして言ってのけた快斗に、周りの友人たちが沸いた。
 
「そういやこの間も料理愛好会の女の子と歩いてるの見たぞ」
「え?! 先週OLらしき女性と大学の前で待ち合わせしてるの見かけ
たけど?!」
「じゃあ一ヶ月前ちょっと噂になってたフランス語クラスの美女とは
どうなったんだよ?」
「あはは、そんな昔の女の子たちいちいち覚えてないよ」
 
そう言った快斗の笑顔は実に爽やかでイケメンと称されるに値するも
のだったが、発言は最低だった。さすがの友人たちも顔を引き攣らせ
る。
 
「黒羽、お前……」
「最低男だな……」
「プレイボーイにもほどがあるだろ……」
「いつか刺されんぞ……」
 
だが、大学生にもなれば人付き合いはそれぞれの問題だ。友人たちも
明らかに非難しつつも、それ以上踏み込もうとはしない。快斗が上手
く立ち回れる人間だとわかっていたせいもあるかもしれない。
 
「本気の子ができたら大切にしろよ」
 
軽い忠告の後は、次の話題へと移っていった。
 
 

(……本気の子、ね)
 
快斗は心の中で呟くと、こっそり嘲笑ともとれる笑みを浮かべた。 
 
 
――そんな人間、現れるわけない。 

 
 
 
               ***




「あー、その資料は研究室図書ですねぇ」

キャンパス中央に位置する総合図書館。
その貸出カウンターの中にいた中年の女性司書は、目を細めてパソコ
ンの画面を見ながらそう言った。

「区分は科学哲学科なので、そこの研究室に直接借りに行ってくださ
い」
「科学哲学科って……」

快斗は嫌な予感に駆られながら恐る恐る訊いた。

「後期教養学部の科学研究棟ですよ」

(うげー……)

あっさりと答えた司書の言葉に、快斗は内心うんざりした。もちろん
顔には出さず、にっこりと爽やかな笑顔で司書に礼を言う。

そのまま図書館を出て、晴れ渡る空を仰いだ。天気は良いのに気分は
最悪だ。


後期教養学部というのは極めて特殊な存在だ。

東都大のキャンパスは、一、二年生が通う第一キャンパスと、三年生
以上の学部生及び院生が通う第二キャンパスとに分かれている。
三年生に進学し各学部に所属すると同時に、ほとんどの学生が、大部
分の研究室が集結する広大な第二キャンパスに移るのだ。

しかし、唯一、進学してなお第一キャンパスに留まる学部がある。そ
れが後期教養学部だ。

大学四年間、一貫して第一キャンパスに通い続けることから、他学部
生からは「地縛霊」と揶揄されることもある。


問題は、快斗が今いる第二キャンパスから第一キャンパスまで、片道
一時間以上かかるということだ。
面倒くさいことこの上ない。

だが、再来週の演習の発表準備に最適だと判断した資料なのだ。諦め
るのも惜しい。

快斗はそれほど研究熱心な学生ではないが、くだらないことに阻まれ
て諦めるのは性に合わない。だって何か負けた気がする。

時計を見る。
五時前だ。今から向かえば六時前には着くだろう。
今日はもう講義もないし、と確認して、快斗は正門へ向かった。








久しぶりに訪れるキャンパスに、懐かしさがこみ上げる。
そういえば第二キャンパスに移ってからは一度も来ていなかったから、
実に二年ぶりだ。

第二キャンパスとはまったく異なる雰囲気に、自分が異邦人のような
疎外感を覚えた。

何と言っても、雰囲気が若いのだ。
もう六時近いのに人が多く、わいわいがやがや騒がしい。ガラスの壁
の前ではダンスサークルの連中がラジカセの音楽に合わせて踊ってい
て、食堂前の広場ではジャグリングサークルが練習をしている。遠く
からは太いトロンボーンの音色が聞こえてきた。

つい二年前までは自分もこの空間に溶け込んでいたのかと思うと妙な
感慨がある。


「えーと、教養学部ってどっちだ……?」

キャンパスマップで場所を確認する。

研究棟に向かうに連れて、人気がなくなっていった。


「ここか……?」

研究棟は打って変わって静かだった。薄暗い廊下に自分の足音だけが
響く。
時折扉のスモークガラスから明かりが見えるから、人はいるのだろう。

「科学哲学科は3階の奥、だったよな」

階段を上りきったところで、開けっぱなしのドアが目に入った。備蓄
室と言った方が納得するほど狭い部屋いっぱいに本棚が並んでいるか
ら、きっとどこかの研究室が所有している書庫の一つだろう。

足音を殺して通り過ぎる。

その時、ちらりと中を覗いた快斗は思わず足を止めていた。

立ち止まったのはおそらく無意識だった。

開け放たれたドアから見えたのは、一人の青年だった。踏み台の上で
背伸びをして、本棚の一番上の段に本を戻そうとしている。
もう片方の腕には他にも数冊、重そうな本を抱えていた。

窓から夕陽が差し込んで、彼の横顔を照らす。暖かい光の中に浮かび
上がった美しい顔に、快斗は息を呑んだ。


 (う、わ……)


――綺麗だ。

透きとおったオレンジ色に染まった頬。
本と本の狭い隙間になかなか入らなくて苦戦しているのか、軽く寄せ
られた眉。
丈の長いカーディガンが華奢な身体を覆い隠している。

部屋を舞う小さな埃が、彼の周りだけダイヤモンドダストのように煌
めいて見えた。


「あーもー……」

彼が苛立ちを顕わに小さく舌打ちする。

彼が手を届かせようと踵を上げ下げするたびに、古い木製の踏み台が
がガタガタ左右に揺れた。

(危ないなー……)

そう思った瞬間、踏み台が一際大きく揺れて、彼の身体がぐらりと傾
いだ。

「っ」
「危ない!」

考える間もなく快斗は部屋に飛び込んでいた。
倒れる身体が床に叩きつけられる前に、下に滑り込んで受け止める。

「間にあった……」

我ながら素晴らしい反射神経だ。

「…………」

抱きとめた青年が振り返って、快斗を見上げる。いきなり現れた快斗
に、目を丸くしている。

(っていうか顔近い……!)

確実に赤くなっている顔を、今なら夕陽のせいにできるだろうか。

「……ほら、ちゃんと足元見ないと」

かろうじてそんな言葉が出てくる。
すると、今度は青年の顔がさっと赤く染まった。

「え、あ……ありがとう……」

鼓動がどんどん速くなる。


(ああ、もしかして)


快斗は心の奥の深い深いところがコトリと動き出す音を聞いた。


(落ちたのは俺の方……)















〜おまけ〜



「見かけねー顔だけど、どこの人?」
「あ、工学部の黒羽快斗。科学哲学科に資料借りにきて」
「マジ? 俺、科哲の修士1年。アルバイトで研究室の図書の貸し出
しも担当してる」
「えっ、そうなん、ですか」
「何年生? 別に敬語いらねーよ?」
「あ、うん、四年」
「借りたいのって?」
「これ……」
「……あー。これ今貸出中だわ」
「え……」
「俺が持ってる」
「え」
「すぐ必要? 明日には持ってこれるけど」
「あ、明日で大丈夫。ありがとう」
「おう。けどこれ読みたがる奴工学部にもいるんだな」
「まあ、ちょっと興味あって」
「へぇ? 理論やりたいなら教養来れば? 色んな奴が雑多にいるか
ら、面白い話たくさん聞けるぞ。卒業後は就職?」
「一応内定はもらったけど……まだ考え中で……」
「だったら考えとけよ、教養の院。歓迎する」
「……うん」












fin.













お題配布元:ブルーメリー


それから快斗、院試の勉強〜vとか言って科哲の研究室に通いつめそ
うですね。

初めての年下攻めです。最初は大学生×図書館司書にしようと思った
のですが、実は年下攻め&年齢差があまり得意ではないので、一歳差
に縮まりました……。




2013/07/06