しとしとと町に降る雨の中。
公園の隅っこにかけられたブルーシートと、張り巡らされたイエロー
テープ。
長閑な日常風景にちょっとした非日常をプラスしたその光景は、けれ
ど警視庁捜査一課所属の高木にとってはむしろ日常だった。

「工藤君、何かわかったかね」

忙しなく動き回る鑑識と、情報を確認し合う刑事たち。その中で、凄
惨な殺人現場には似合わない、一際目立つ存在があった。高校生探偵
工藤新一だ。

その凛とした佇まいと、高校生にあるまじき落ち着き払った態度。彼
は本職でも顔を顰めるような遺体を前に、僅かに眉を寄せるだけだ。
そして生気を失った死体を、じっと見つめる。

その真っ直ぐな瞳には、何が映っているのだろう。

多くの現場に呼ばれ、多くの人の醜く歪んだ心を目の当たりにしてき
た彼は、一体どういう気持ちで、彼らを見ているのだろう。

「工藤君、これ使って」

自分の先輩であり恋人でもある佐藤が、彼に傘を差し出す。
雨粒が細かくて気づかなかったが、彼のジャケットは濡れて濃くなっ
ていた。

「いえ、これくらい平気ですよ。佐藤さんが使ってください」
「遠慮しないの! 工藤君が風邪ひいたら、困るのは私たちだしね」

一旦は断った新一は、佐藤の悪戯っぽい言葉に苦笑を浮かべて、傘を
受け取った。
彼はあまりに高校生らしくなく、極端に周りの大人に甘えることを許
さない。佐藤くらいの強引さと気さくさがなければ、彼は傘を受け取
らなかったかもしれないと思うと、少しだけ悲しくなった。

「高木君、どうしたの?」

いつの間にか近くに来ていた佐藤が声をかけてきた。

「あ、いえ……工藤君って、高校生に見えないなあと」

感心したように言うと、佐藤がああ、と頷いた。

「確かにそうね。あんなに堂々と大人と渡り合って。私たちも彼に頼
り切りだしね」
「う………」
「けど」

佐藤が不意に顔を曇らせる。

「彼を見ていると、時々切なくなるの」

その気持ちは、高木にもわかる気がした。

「何もかも、受け止めちゃうような……本当、子供らしくないわ」

高木はもう一度新一へ目を向けた。彼はいつものポーズで思考の海に
沈んでいて、その姿勢は崩されることはない。

子供らしくない子供。

それは、ある少年の姿を彷彿とさせた。

彼は不思議な子供だった。
違和感を感じる前にするりと大人たちの中に入り込み、無邪気な笑み
を浮かべて鋭いことを言う。彼の天使のような笑顔に、一体何度誤魔
化されてきたのかと、高木は思う。

彼は明らかに、普通の子供じゃなかったのに。

一度、爆弾の仕掛けられたエレベーターの中で、彼と不思議な会話を
した。

初めて目にするはずの爆弾を前に、高木の覚束ない説明を聞きもせず
に的確な処理をしていた。
そして以前プロの命さえ奪った爆弾を片し、大勢の命を救ってみせた。
彼はそれをいとも簡単なことのようにやってみせたが、今思い返せば、
その時もたくさんのことを彼に誤魔化されたのだと思う。

彼の正体を、聞いてみた。
正体、なんて、小学生の男の子に使うべき言葉じゃないのに、彼は高
木の畏怖にも似た感情を理解して認めた。
結局その正体を彼から教えてもらうことはなかったのだけれど。

「佐藤さん、あの子は……」

高木が言いかけた言葉を遮るように、佐藤は高木を見た。その目は複
雑そうに揺れている。

彼女も、あの子供の正体を疑っていた。疑って、でも何も言わなかっ
た。彼も、そのことにはおそらく気づいていたのだろう。気づいてい
て、何も語ろうとはしなかった。

彼はきっと自分たちの知らないところで、あまりにも多くの複雑な何
かを抱えている。
その重いものを少しでも分けてくれと言う資格は、自分たちにはきっ
となくて、それがとても寂しく感じる。その感情でさえ所詮は、エゴ
なのかもしれないけれど。

だから無責任だと自覚しながらも、願う。

彼の重い荷物を、少しでも手伝ってあげられる人がいればいいのにと。


すると、佐藤が「でも、」と苦笑を浮かべて言った。その視線は再び
新一に向けられている。

「結構頑固だし曲げられないところもあるじゃない? そういう諦め
の悪いところ見ると、何だかほっとするのよねぇ」

普段はあまりにも冷静で大人の事情を理解しているから。そういうと
ころが垣間見えると、本当の新一が顔を出したようで安心する。

「そういえば彼、最近、雰囲気変わったわよね」

いつからだったかしら、と佐藤が首を傾げる。

「復帰してからじゃないですか?」

高木の言葉に、佐藤は曖昧に頷く。

「そうねぇ。戻って来てからかなり落ち着いたというか。前までは事
件と聞くと目がキラキラしてたけど、今はもっと老成したというか、
犯人を逮捕する時、深い目をしてるのよね」

佐藤が思い出すように言う。
彼のそういう目なら、高木も何度も見たことがあった。事件が解決し
て、以前の彼なら隠しきれない不敵な笑みを浮かべ、自信に目を輝か
せていたというのに、今の彼は目を伏せて、その場に渦巻く悲しみや
憎しみといった想いを余さず受け止めているようだった。


不意に、佐藤がそうだ、と手を打った。

「そうよ、そうだわ」
「何がですか?」
「工藤君の雰囲気が変わった時期よ。復帰してからもそうなんだけど、
もっと最近。ほら、彼が現れてからよ」
「彼?」

声を弾ませて言う佐藤は、事件現場に似合わず嬉しそうに言った。

「黒羽君よ! 工藤君が復帰してすぐ、爆弾事件の現場に巻き込まれ
てから、よく工藤君と一緒にいるでしょ? 友達になったんだって工
藤君は言ってたけど、そのくらいからじゃないかしら、彼の雰囲気が
こう、やわらかくなったの」

黒羽快斗という少年は、新一に似た面差しでありながら、常に人好き
のする笑顔を浮かべた明るい少年である。
マジックが上手いというところ以外は普通の男子高校生という感じで、
ちょっとおちゃらけた性格はむしろ新一とはそりが合わないような気
もしたのだが、そうでもないようだ。

はたから見ていてもわかる。新一は、快斗のことを大事にしている。

ぶっきらぼうで時に乱暴な態度は、心を許しているからこそだ。そも
そも新一がそういう遠慮のない態度を取る相手を、今までに見たこと
がなかった。
一番心を許していると思っていた毛利蘭は、彼にとってはどうしても、
守るべき存在だった。

新一は、簡単に大切な存在を傍に置こうとはしない。それはおそらく、
自分の傍こそが危険だとわかっているからではないだろうか。


「こら高木! 何をぼうっとしておる!」

上司に怒鳴られて、高木ははっと顔を上げた。いつの間にか佐藤はも
う離れたところにいて、仕事に戻っていた。

溜息を吐いて、仕事に集中しようと顔を上げる。
その時、ふと、公園の外からこちらを見ている人影に気がついた。

あ、と声を上げかける。

たった今思い出していた人物、黒羽快斗だった。

遠くて見にくかったが、彼は黄色いテープの中の新一を見つめている
ようだった。その顔に普段の明るさや人懐こさは欠片もなく、無表情
だった。

彼の目にどんな思いが浮かんでいるのかはわからなかったが、それが
熱いものだといい、と高木は漠然と思った。


不意に、快斗がこちらを見て、高木と目が合った。

「あ………」

手を振ろうかどうしようか迷っていると、彼がニッと口の端を上げた。
それは、普段の彼からは想像できないようなニヒルな笑みで、まるで
彼じゃないような、まったく別の人間を前にしているような、妙な気
分になった。彼の放つ強烈な気配が数十メートル離れたところまで、
波紋ように広がって届く。

得体の知れない緊張感が全身を支配して、高木は目をそらせなかった。
手の中がじっとりと湿る。


――彼は一体何者なんだ。


「高木さん」

突然近くで呼ばれて、振り返ると、新一がいつの間にか傍に来ていた。
何故か申し訳なさそうに高木を見ている。

「すみません」
「工藤君……?」

突然謝られて、高木は首を傾げた。というか、ついさっきまで推理に
没頭していた彼が、何故急に話しかけてきているのか。

すると新一はぱっと公園の入り口の方を向き、睨むように目を細めた。
高木もつられてそちらを見ると、そこにはいつものにこにこした顔で
手を振る快斗がいる。つい数秒前の鋭い気配は影も形もなかった。

彼を睨み、次いで呆れたように溜息を吐く新一に、高木は何が何だか
わからないまま、それでもすとんと、納得のいく感覚がした。

いつも推理中は周りをシャットアウトしてしまう新一が、快斗の気配
にはすぐに気づくのだと知って、高木は何となく嬉しくなった。

自分たちが心配するまでもなく、彼にはすでに、一緒に歩んでくれる
人がいたのだ。

自分が快斗に礼を言うのは筋違いなんだろうけれど。

高木は心の中で、ありがとう、と呟いた。










――――君に幸あれ














お題配布元:ブルーメリー




高木刑事と佐藤刑事は何となーくコナン=新一に気づいてて、でも
何も言えない。




2012/04/27