とある国の強く優しい姫と、彼女を守る気高く勇敢な騎士。

けれど物語がハッピーエンドじゃないなんて、誰が想像しただろう。

そんな結末を、







――――笑いとばせることができたならどれだけ、






                 ***





帰ってきた親友の幼馴染は、姿を消していた一年の間に、まるで知らない人に
なってしまったみたいだった。

明るく気さくで強気な自信家、頭はいいけれど目立ちたがりがそれを嫌みに見
せているところがまだまだガキっぽい。探偵であることを自慢に思っているの
が見え見えだったし、犯罪者に天の裁きのごとく正義の鉄槌を下すその姿は、
清々しくもあった。
能力は確かだったから、周りの大人すら彼を止められなかった。


それが、どうだろう。

再び彼が蘭と園子の前に現れ、ただいまと言って笑う工藤新一は、もう二人が
知る工藤新一ではなかった。

想い人の帰還に涙を流す彼女を優しく抱きしめ、苦笑とも照れ笑いとも自嘲と
もとれる不思議な笑みを浮かべた彼の目には、見たことがない慈愛で溢れてい
た。

彼が帰ってきてくれさえすれば、親友はもう泣くことはないのだと、園子はそ
う思っていた。
互いの気持ちと向き合い、照れながらも正式に恋人同士となり、すべてが上手
くいくのだと。

けれど二人の抱擁を見ながら、漠然とした不安に襲われた。親友が大切に育て
てきた花の蕾のような恋心は、もはや一方通行でしかないのかもしれないと。

そしてその予感は、日を追うごとに現実味を帯びていく。


戻ってきた彼の隣には、見知らぬ人間が立っていた。

黒羽快斗は鮮烈な印象の持ち主だった。
帝丹の校門に見目麗しい他校生がいると聞いてはしゃいだ気持ちが、新一が真
っ直ぐに彼へと近づき呆れたように笑いかけた瞬間、嘘のように萎んでいく。
新一のそんな信頼しきった顔を見れば、素直に喜べるはずがなかった。

蘭と新一は、それまでほとんどすべての思い出を共有していると言ってもいい
はずだった。
互いの交友関係で知らない人間はほとんどいない。親しい人間なら尚更。

しかし新一は、黒羽快斗との出会いや関係について、詳しいことは一切語ろう
としなかった。
矛先を黒羽快斗自身に変えて、持ち前の明るさでカモフラージュして根掘り葉
掘り聞き出そうとしても、彼も新一同様、ひどく抽象的な答えしか返してくれ
なかった。




工藤邸での一人暮らしに戻って碌な生活をしていないだろうからと心配する蘭
に付き添って、園子も久々の工藤邸へと向かっていた。

事件の要請さえなければ、出不精の新一は家で読書にでも勤しんでいるはずだ
った。
そうなれば朝も昼も碌に食べていないに違いない。
夕飯にはまだ早い時間だったが、親友の手にはおかずを数品入れたタッパー。

これぞ奥さんの特権、なんて思いながら向かった工藤邸で、けれど出迎えたの
は快斗だった。

「あ、蘭ちゃんに園子ちゃん! いらっしゃい」

この家でいらっしゃい、なんて言われたことがなかった。
おまけに快斗は黒地にワンポイントの白い刺繍の入った趣味の良いエプロンを
付けていて、何をしていたかなんて一目瞭然だった。

「こんな格好でごめんね」
「新一君は?」
「新一は今事件の要請でちょっと出てるんだけど、もう少ししたら戻ってくる
と思うよ。あ、良かったら夕飯一緒に食べていく?」

新一が蘭以外の友人に家の留守を任せるなんて、初めてのことだった。
そのあたりは探偵らしく、警戒心が強いのだ。

リビングに通されて、あっという間にお茶と軽いお菓子が出てくる。
この家では馴染みのない手本のようなもてなしのされ方に、二人がお客扱いを
されているのは明白だった。

「あ、ううん……ごめんなさい、新一一人だと思ったから、これ作ってきちゃ
ったんだけど……黒羽君がいたなら余計だったわね」

蘭が気まずげに手元のタッパーに視線を落とすと、快斗は満面の笑みを浮かべ
た。

「わあ! 蘭ちゃんの手作り? ありがたくもらっておくね。これ日持ちする
かな?」
「冷蔵庫に入れておけば、二、三日は……」
「ありがとう。明日のお昼にでも新一に食べさせるね。あ、タッパーは月曜日
に新一に学校に持って行かせるんで大丈夫かな?」
「う、うん」
「蘭ちゃんの手作りが食べられるなんて新一羨ましいなあ」
「あ、多めに作ったからよかったら一緒に食べて?」
「ほんと?! ラッキー!」

女の子に対しては、完璧な対応だと思う。
さすがというべきか、新一と並び立つだけあって何でもそつなくこなすらしい。
キッチンから漂ってくる匂いはとても美味しそうな匂いがした。


「ただいまー」
「あ、新一。お帰り。蘭ちゃんと園子ちゃん来てるよ」

労りをこめた軽いボディタッチ。
その自然なやりとりが、まさに夫婦のようで、園子は声を詰まらせた。隣に座
る親友が気になってそっと窺うと、やはり戸惑いの表情を浮かべていた。

「蘭、園子。何しに来たんだ?」

きょとんとした表情に、悪気はない。
けれどこれまでこの家に幾度となく大した用もなく遊びにきていた身としては、
その純粋な疑問が胸に刺さる。

「あ……新一がちゃんとやってるか心配で見にきたのよ」
「何だそんなことか。俺だって子供じゃねーんだ、大丈夫だから心配すんなよ
な」
「そんなこと言って、どうせ三食きちんと食べてないんでしょ?」
「あー、今は快斗がいるから、ちゃんと食べてるよ」

蘭が小さく息を呑んだのが、園子にはわかった。
幼馴染として心配する権利すら、もうないと言うのか。

「そ、そっか。じゃあ、私たちもう帰るね。長居しちゃうと悪いし」

自分をよそ者扱いするこの空間に耐えきれないように、蘭が立ち上がった。
彼女の辛そうな笑顔に、聡いはずの探偵は気づいているのだろうか。
沈黙を守っていた快斗はこの微妙な空気に気づいているのだろう、困ったよう
な顔をして新一と蘭を見比べている。

そして玄関まで二人を見送りにきた新一が、追い打ちをかけるように言った。

「あ、そうだ。蘭、お前に預けてた合鍵、返してもらっていいか?」
「……え?」


もう二人のことを「夫婦」とからかう言葉すら、出てこなくなった。




                 ***




「ちょっと、新一君。話があるの」

だから一緒にきてくれる?
蘭が先生から頼まれた用事で席をはずしている隙に、園子は新一に声をかけた。

てっきり、何だよ、と不機嫌な答えが返ってくるものと思っていたら、新一は
すっと真面目な顔をして頷いた。

――ああやはり、彼は変わってしまったのだ。



二人は誰かに盗み聞きされる恐れのない屋上にやってきた。

「新一君、変わったよね」

我ながら漠然とした指摘だと思ったが、新一は正しく理解したようだった。老
成した穏やかな表情で、少しだけばつが悪そうに頷く。

「……色々、ありすぎた。」
「……聞かない方がいいの?」
「できれば」

申し訳なさそうに言う新一に、正直調子が狂う。
以前はこんなにしおらしい態度を取れるほど大人じゃなかった。

「でも園子には借りがあるから、これだけは話しておこうと思う。――俺には、
誰よりも大切な奴がいる」

それが蘭でないことはすぐにわかった。
何となく予感はあったものの、実際言葉にされるとショックが大きい。
親友は、あんなに待っていたのに。

「蘭は知ってるの?」

幼馴染の変貌には蘭も当然気づいている。
二人の仲を周りに茶化されても以前のように照れてムキにならない幼馴染に、
少し寂しそうに笑っていたのを見たことがある。

新一の方にまだ蘭を愛する気があるのなら、まだ後戻りはできる。
ここに呼び出した時はまだあった希望が、しぼんでいく。

こんなにも強い光を宿した目を、見たことがあっただろうか。

「蘭とのこれからの関係のことは、いずれはっきり伝えるよ。蘭には本当に申
し訳ないことをしたと思ってるし、一生恨まれても文句は言えねぇ。オメーに
も、また世話かけると思う。けど、この一年俺に起こったことについては、知
らせるつもりはない」

もう駄目なのだと、その目を見て悟った。
それはもう決めてしまった目だ。蘭には関わらせないと、守るために拒絶する
ことを決めた目だ。

そんなこと、彼女は望んでいないだろうに。

「園子、オメーには俺を責める権利がある」

――俺がいなかった間誰よりも蘭の傍にいて、蘭を支えていたオメーには。

そう言った新一は、もう一方的に断罪するだけの傲慢な男ではなかった。その
目は、自らの罪を自覚している目だ。

「でも誰に何と言われても、俺にはそいつが必要なんだ。そいつに出会ったか
ら、俺は今ここにいる。俺が自分の無力さに途方に暮れて、どうしようもなく
足掻いていた時に、そいつだけが俺の背中を押してくれた。そいつになら、背
中を預けられた。正しいとか正しくないとか、そんなの関係なくて、俺たちは
ただお互いが必要なんだ」

一体この友人はどんな困難を切りぬけてきたというのだろう。

そしてこんなふうにすべての責を受け入れるつもりで話す友人を、どうやって
責めろと言うのか。

「……あの鍵」
「え?」
「あの合鍵、今は黒羽君が持ってるの?」
「……ああ」
「蘭じゃ駄目なの?」
「……ごめん」
「私に謝ったってしょうがないでしょ!」
「ごめん」
「はあ。……黒羽君が必要なのね」
「ああ」

ふわりと笑った新一に、一瞬どきっとする。
この友人は、こんなにも綺麗に笑う人だっただろうか。

「っ、もう、蘭の空手、覚悟しときなさいよ!」
「ええっ?!」


結ばれて幸せになると思っていたお姫様と騎士は、二人の道が別たれた時から
違う未来を選び取っていた。

でも、たとえ友人二人にどんな未来が訪れるとしても、ただひたすらに、彼ら
の幸せを願う。




















お題配布元:ブルーメリー


園子嬢好きです。



2013/01/30