結果からすると、事件は殺人未遂事件となった。的確な応急処置のおかげ で、被害者の命に別状はなかった。 そして絞り込まれた容疑者たちの中から、現場近くの店の店主が逮捕され た。被害者は店の中で刺され、逃げようと通りに出て数メートル歩いたと ころで倒れたのだった。原因はよくある金銭トラブルだった。 特に複雑なトリックもない事件だったためか、事件は発生からわずか2時間 ほどで解決した。 「協力してくれておおきに、工藤君」 「いえ、力になれて良かったです。それでは、僕たちはこれで」 「駅まで送っていこか?」 「大丈夫です。途中でお昼を食べていこうと思っていますし」 「そうかい。ほな、また大阪にくることがあったらよろしゅうな」 警察と別れて、哀と近くのお好み焼き屋に入る。 「悪かったな。けどお前がいてくれて助かったよ。俺一人じゃ応急処置も 手が回らなかった」 「今更よ。あなたといて事件が起こらないことなんてほとんどないんだか ら。治療道具を持ち歩いていて正解だったわ」 お好み焼きが焼き上がるのを待ちながら、幾分疲れた表情で話す。 店員に焼いてもらっているので非常に楽だ。 「早く解決して良かったわね」 「ああ。さあ、腹ごしらえしたら比護さんたちと合流するぞ」 推理中の硬い表情を払拭して、二人は本場のお好み焼きを堪能した。 *** 「工藤! 事件解決したのか」 「はい。お待たせしました」 「いや、しかたないさ。それが工藤のするべきことなんだろ」 練習場に到着すると、余っている練習着と靴を貸してもらってフィールド に入る。 自主練をしていた他の選手たちも興味深げに新一に視線を寄こした。 中には探偵としての新一を知っている人もいて、新一と比護はすぐに囲ま れた。新一が礼儀正しく、嬉しそうな笑みを浮かべて挨拶をすると、周囲 のテンションがぐっと上がる。 そんな中、真田だけがその様子を一人遠巻きに見ていた。 「軽くアップしたら、ミニゲームやらないか」 チームメイトの歓迎ムードを見て、比護が提案する。 「いいんですか?」 練習の邪魔にならないかと恐縮する新一を置いて、周りはすでにチーム分 けで盛り上がっていた。 「それじゃあ貴大はどっちに入る?」 「俺はええですよ」 真田は興味なさげにそう言って、スタンドに上がってしまった。 「あなたは交ざらないの?」 適当な座席に座ってフィールドを見下ろしていた真田に、見学していた哀 が近寄る。 「別に」 「さっきは助かったわ。一応お礼を言っとくわね。ありがとう」 「……アンタ、何モンなんや」 「何者って?」 「普通の子供に、あないなことできるはずないやろ」 「私は工藤君の主治医よ」 「主治医って……」 「人は見かけ通りとは限らないのよ」 哀がそう言うと、真田は追及を諦めたようだった。 フィールドでは二つのチームに分かれてミニゲームが始まるところだった。 比護と新一は別チームに分かれている。 「……アンタ、名前なんやったっけ」 「灰原哀よ」 「せやった。俺、ガキは――」 「苦手、なんでしょ」 真田の言葉を途中で引き取ると、真田は驚いたように哀を見た。 「私、前に一度、あなたに会ってるのよ」 「え?」 「何ヶ月か前に、子供たちにサッカーを教えるというイベントがあったで しょう」 「ああ……あれか」 真田はふと、例の爆破事件のことを思い出していた。あれは、イベントの 直後に起きた事件だった。 「嫌なこと思い出させちゃったかしら」 哀の言葉に、現実に引き戻される。 「あなたの戦い、見てたわ、中継で」 「え……」 「私は工藤君から爆弾解除の方法を教えてもらっていたから。あのプレッ シャーの中で、本当にすごかったわ」 哀が素直に賞讃の言葉を述べることは滅多にないことなのだが、それを知 らない真田は俯いた。 「怖く、なかったんか」 「え?」 「俺が失敗したら何万人も死ぬって知ってたんやろ? しかもアンタが好 きな比護さんは怪我してて、俺が変わりにストライカーの役目負って。不 安やなかったんか?」 真田は小刻みに震えていた。 何ヶ月も前に終わった事件は、しかし、彼の中に永遠に残る深い傷跡を残 していったのだと哀は悟った。 「怖かったに決まってるじゃない」 何でもないことのように、哀は言った。 「でも。守るって言ってくれた人がいるのよ。私を、あらゆる恐怖から、 そして運命からさえ、守ってくれるって。……そんなふうに言われたら、 私はその人を信じるしかないじゃない?」 そう言って微笑んだ哀を、真田は呆然と見つめた。その微笑は少女のよう に可愛らしいが、成熟した女性のように穏やかだった。 ホイッスルが鳴って、二人はフィールドに目を向けた。 比護率いる赤チームと、新一率いる青チーム。 ただのじゃれ合いにしてはハイレベルなゲームが始まった。 そして開始数分で、真田は新一の動きに目を瞠っていた。 さすがに体力的なところではプロの選手に引けをとるが、何より注目すべ きはその指示系統だった。 広い視野と並はずれた動体視力、そして素早く的確な判断能力を駆使して、 チームの司令塔として動いていた。 どこにどのタイミングでパスを送れば、敵味方の動き含め、ボールがやが てどこに辿りつくのか、まるで数十秒先までのゲーム展開を読んでいるか のような、そんなサッカーだった。 「すげぇ……」 これは確かに、Jリーグに欲しくなるのもわかるかもしれない、と真田は 思った。 「工藤! お前やっぱすごいな」 汗を拭いて水分補給していると、比護が興奮気味に駆け寄ってきた。 「もうサッカーやってないなんて信じられないな。鍛えればプロとして十 分やっていけるんじゃないか」 「そんなことないですよ」 「そういえば、前に工藤の試合見に行った時、噂でちょっと聞いたことが あるんだが……」 「噂、ですか?」 「ああ。何でも、工藤の『黄金の右脚』がどうとか……」 「え……」 「コントロールは確かにずば抜けてるが、お前は左脚だって同じくらいコ ントロール利くだろ? だから、『黄金の右脚』の真髄が何なのか気にな ったんだ」 「えーと」 新一が困ったように口ごもると、一人の男が二人に近づいてきた。 「比護君」 「あれ、監督? 来てたんですか」 ポロシャツを着た中年の男は、ビッグ大阪の監督だった。 「その子は……?」 視線が移されて、新一は前に進み出た。 「僕は工藤新一です。練習にお邪魔してすみません」 「工藤新一……まさか、高校生探偵の?」 「はい」 「君、まだ高校生なのかい! いや、スタンドから少し見させてもらった んだが、とても高校生のプレーには見えなかったよ。うちにも若いのは何 人かいるが、君のプレーは落ち着きがあって安定している。何より周りの 状況をしっかりと見ている大人のプレーだ。プロになる気はないのかい?」 「いえ、そんな買いかぶりですよ。それに、僕はあくまで探偵ですから」 新一が言うと、監督は少し残念そうな顔をして頷いた。 「もし気が変わったら、私のところに連絡をくれ」 そう言って新一に名刺を渡すと、監督はフィールドを出ていった。 「監督に気に入られるなんて、さすが工藤だな」 「比護さん……。依頼なら、受けるんですけどね」 休憩ついでにしばらく談笑していると、先刻までスタンドにいた真田が走 り寄ってきた。 「工藤!」 「真田さん?」 「俺も、交ぜてもらえんやろか」 「え?」 「俺にはサッカーしかないから、サッカーのことしかわからん。それで工 藤のプレー見て、俺も工藤とサッカーやってみたい思たんや」 真っ直ぐに新一を見てそう言った真田を、比護は微笑を浮かべて見ていた。 *** 新一たちは夕方までサッカーに興じた後、四人そろって駅に向かった。 「今日は本当にありがとうございました」 「いや、俺たちもいい練習になったよ」 新一は久々の激しい運動にかなりの疲労を感じながらも、気分は爽快だっ た。哀も、比護と、それから真田からももらったサインを大事そうに抱え て満足そうだ。 「今日中に東京に帰るんか」 「はい。まだ新幹線もありますし」 「せやったら、また大阪来る時は連絡しーや。美味しいたこ焼きの店連れ てったる」 大阪の友人を彷彿とさせる台詞に、新一は内心安堵していた。どうやら少 し、真田との距離を縮めることができたらしい。 「よかったら今度また練習相手になってくれよ。工藤の『黄金の右脚』も 見せてもらいたいしな」 ようやく駅が見えてきたところで、しかし、事件を呼び寄せるのが探偵だ。 駅の方向で女性の叫び声が聞こえた直後、猛スピードで走る自転車が迫っ てきた。自転車をこぐ男の手には、女性物のハンドバッグが握られている。 「ひったくりだ!」 四人に突っ込むようにして走ってくる自転車に、比護と真田は咄嗟に脇に 避けたが、新一は動かなかった。 「工藤、危ない!」 だが、新一は飲みかけのジュースの缶を真田からひったくると、躊躇いな くその缶を落とし、迫りくるひったくり犯に向けて、蹴った。 高速回転のかかった缶は、まるで吸い寄せられるように犯人に飛んでいき、 額を直撃。突然の攻撃にバランスを崩した犯人は、そのまま転倒して地面 を滑り、新一の足下で止まった。 新一は黙って犯人が落としたバッグを拾うと、埃を払って、あとを追いか けてきた被害者の女性に渡した。 その時、新一が被害者に気を取られている隙にゆっくりと立ち上がったひ ったくり犯が、懐から出したナイフを新一に振りかざした。 「「工藤!」」 比護と真田が焦って声をあげる。 しかし次の瞬間、新一が振り向くと同時に、男の体が吹っ飛んだ。地面に 叩きつけられるように沈んだ男はぐったりと意識を手放している。 一瞬何が起きたのかわからなかった比護と真田だったが、新一の右脚が地 面に下ろされたのを見て、新一が男を蹴ったのだと理解した。 「い、今の蹴り、見えたか?」 「いや、見えへんかったです……」 引き攣った顔で囁き合う二人は、「まさか、これが『黄金の右脚』なの か?!」と衝撃を受けていた。 「お二人は大丈夫でしたか?」 「あ、ああ」 けろりとした様子の新一に、哀はため息を吐いた。 「ほら、早くしないと新幹線に遅れるわよ」 「そうだな」 交番から警察官が駆けつけてくるのを確認して、四人は駅へと入っていっ た。 「それじゃあ、本当にありがとうございました。あっ、これ俺の連絡先で す」 改札の手前で別れの挨拶を交わす。 「あ、そうだ、真田さん」 ちょっと、と言って新一は真田を隅に引っ張っていった。 「な、何や?」 「いきなりすみません。お節介かもしれないんですが、謝っておいた方が いいと思って」 「何を?」 首を傾げる真田の耳元に、新一は小声で囁いた。 「比護さんのことです。何だか、真田さんの気分を害してしまったようで すみません」 「は?」 「あの、お二人はお似合いだと思うので」 「っ?!」 真田は顔を真っ赤にして飛び上がった。まさか比護との関係が新一にばれ ているとは思わなかったのだ。 「なっ、どうして……」 「まあ、何となく。見てればわかります」 「そないわかりやすいんか……」 「いえ。ただ、俺にも嫉妬深い恋び――わっ」 言葉の途中で、新一がいきなり前につんのめった。 「しーんいちっ」 後ろから抱きつく、どこか新一に似た面差しの青年。 「か、快斗?! 何で大阪にいるんだよ?!」 「今日の昼間のショーは京都だったんだー。だから快斗君、新ちゃんをお 迎えに上がりましたぁ」 そう言って新一をぎゅうぎゅうと抱きしめる男に、真田はぽかんとしてい た。見れば、こちらの様子を窺っていた比護も驚いたように目を見開いて いる。 「さ、一緒に東京に帰ろ?」 「あ、ああ」 そうして、台風のように現れた男は、新一と哀を連れてさっさと東京へ帰 っていった。 そしてこの嫉妬深い恋人に、真田との顔の距離が近かったと、新幹線の中 でさんざん責められることになった新一だった。 <fin> |