暖かな日差しが心地いい。

待ち合わせの時間までまだ少し余裕があるし、散歩を兼ねて遠回りしてみても
いいかもしれない。桜は散ってしまったけれど、公園の方まで足を延ばせば、
春の花々で美しく彩られた花壇が見られるだろう。

何と言ったって、今日は気分がいい。

そう、幸せな気分、という感じだろうか。



「あら、蘭ちゃん」

不意に声をかけられて、振り向くと、そこにはここのところほとんど会うこと
のなくなった捜査一課の刑事、佐藤が立っていた。

「佐藤刑事! お久しぶりです」

二人はどうやら聞き込みの最中らしく、警察手帳を広げていた。

「本当に久しぶりねぇ! 前はあんなにしょっちゅう会ってたのに」

前、というのは、コナンが蘭と小五郎と一緒に暮らしていた一年間のことだ。

コナンは現れた時と同様、何の前触れもなく去っていってしまった。
突然迎えに来た母親に連れられて、それきりだ。
今はどこにいるのか。
寂しく思った日々も、考えてみればもう数年前のことだ。

そしてコナンが去ってからというもの、あれだけ様々な事件が舞い込んできた
怒涛の一年間が嘘のように、毛利探偵事務所は元通りの平穏を取り戻していっ
た。


あの不思議な少年とは、もう二度と会うことはないのだろうと、蘭は直感的に
悟っていた。


「蘭ちゃんはこれからおでかけ?」
「はい」
「あら、デート?」

佐藤がにやにやしながら問う。

「べ、別に、そんなんじゃないですよ」
「あら〜、怪しいわねぇ」

顔を赤らめて否定する蘭に説得力の欠片もなかった。
佐藤は惚気られているような気分になった。

「佐藤刑事は聞き込みですか? お仕事邪魔しちゃ悪いので、私そろそろ……」
「聞き込みだけど、裏をとるだけだから別にいいのよ。あ、そうだ、これから
工藤君に会うんでしょ?」
「ええ、まあ」

佐藤は思い出したように鞄をガサゴソと漁った。

「工藤君に渡してほしいものがあるんだけど、頼めないかしら?」
「もちろん構いませんけど、私が預かっちゃっていいんですか?」

捜査関係のものだとしたら、たとえ探偵の娘と言えど、一般人である蘭が預か
るのはまずい。
だが蘭の心配とは裏腹に、佐藤はウィンクした。

「大丈夫よ。個人的なものだから」

そう言って渡されたのは白い封筒だった。

「この間のお礼、って言ってくれれば、通じるはずだから。頼むわね」
「はい、わかりました」
「それじゃあ、毛利探偵によろしくね。それと、工藤君に頑張るのよって伝え
てね」
「頑張る……?」

佐藤は再びにやにや笑いを浮かべて言った。

「だってつき合ってるんでしょう、工藤君と。もう、工藤君何にも言わないか
ら……」
「ち、違います!」
「いいのよぉ、照れなくて」
「いえ! 本当に私たち、そういうんじゃないんです!」
「蘭ちゃん?」

蘭が否定するのを単なる照れだと思っていた佐藤だったが、あまりにはっきり
と言う蘭に、何かが違うと気づいた。

「あの、私たち、本当につき合ってないんです」
「……そうなの?」

ここ何年かで新一はだいぶ丸くなったようだから、私生活の方で落ち着いたの
かと思っていたのだが……どうやら蘭との仲は進展していないらしい。

そして、蘭の告白に耳を疑った。


「それに私、他につき合ってる人がいるんです」




                 ***




「毛利様のお連れの方ですね。こちらのテーブルへどうぞ」

そう言って奥のテーブル席に案内された。
なかなか品の良いフレンチレストランで、昼にはちょっと遅い時間だが、ちら
ほらと女性客が入っている。

蘭とは今も頻繁に連絡を取り合っているが、こうして外で一緒に食事をするの
はずいぶん久しぶりのことだ。

高校を卒業してからも、たまに園子を交えて遊ぶことはあったし、そういう時
の誘いも大抵蘭からだったが、今日のはどうもそれとは違うようだ。
先週の蘭からの電話で、それがはっきりとわかった。

受話器から、僅かながら緊張が伝わってきた。


『あのね……会ってほしい人がいるの』



「こちらです」

ウェイターの声に顔を上げると、そこには蘭と……新出が立っていた。

「久しぶり、新一」
「よう、元気にしてたか? ……お久しぶりです、新出先生」
「久しぶり、工藤君」

新出がにこやかに挨拶する。

一瞬だけ、新出を見た瞬間に鋭い目をしてしまうのは、ベルモットの変装の影
響だ。本人には申し訳ないと思うが、もう条件反射の域で、どうしても彼の顔
に慣れることができない。

「新一、今日は来てくれてありがとう」

料理が運ばれて少ししてから、蘭が切り出した。

「おう。何だ、会わせたい人って新出先生のことか?」
「うん」
「別に今更会わなくっても、俺だって新出先生のことくらい知ってるぜ?……
お前が先生とつき合ってることも」

新一が組織との戦いを終え、帝丹高校に戻ってきてから最後の一年間、新出も
帝丹に養護教諭として勤めていた。
そして卒業から間もなく、蘭と新出がつき合い始めた時も、真っ先に報告を受
けた。

新一が新出と個人的に話をすることは皆無だったが、もちろん面識はある。

「あのね……大事な話があるの」

蘭が緊張した面持ちで言う。

やはり、と新一は思った。フォークを置いて聞く体勢になる。

後を引きとるように、新出が口を開いた。


「僕たち、結婚するんだ」


……なるほどな、と新一は思った。

自分は永遠に誰かの親になることは叶わないだろうけど、娘を嫁にやる父親の
心境というのに、今のこれはちょっとだけ似ているのかもしれない。
今日の誘いがあった時点で予想はしていたが、妙に納得した。

「……新一?」

何も言わない新一に、恐る恐る蘭が声をかける。

「……蘭」
「な、何?」
「おめでとう」

ふわりと笑って言った新一に、蘭と新出は息を呑んだ。そして、祝福の言葉に
笑顔を浮かべた。

「ありがとう」
「ありがとう、工藤君」

新一に認めてもらえたことが嬉しかったのか、それとも緊張が緩んだのか、蘭
は目に涙を浮かべて、「ちょっとお手洗いに行くわね」と言って化粧ポーチを
手に席を立った。
その後ろ姿はかつて見ていた少女のものではなく、大人の女性の色気を纏って
いた。

新一は再びフォークを手に取りながら、新出を見た。

「式はいつやるんですか?」
「まだ何も決まってないんだ。それに結婚と言っても、今すぐにというわけじ
ゃない。蘭さんが大学を卒業してからにするつもりだよ」

蘭は今大学四年生。卒業まではあと一年ある。

「とりあえず婚約ということにして、一年かけて、ご両親に認めてもらおうと
思うんだ」

なるほど、母親はともかく、あの頑固な父親なら、説得に一年くらいかかるか
もしれない。

「……工藤君」

ふいに、新出が少し声を落とした。

「僕はずっと、君に聞きたかった。蘭さんが高校を卒業して僕たちがつき合う
ことになった時、どうして君は認めてくれたのかって」
「……どういう意味ですか?」

すると新出は苦笑した。

「帝丹の元B組の子たちから、散々言われたよ。僕が、その……工藤君から蘭
さんを奪ったって」
「……蘭は何て?」
「蘭さんは笑って否定してたけど、本当は――」
「蘭がそう言ったなら、そうなんじゃないですか?」
「工藤君……」

新出の困ったような視線を感じながら、新一はゆっくりと口の中の料理を咀嚼
した。

「……先生」

新一は真っ直ぐ、新出を見た。

「先生は何でそんなことが知りたいんですか?」
「……僕は……」

新一は言い淀む新出をじっと見つめた。
やがて、新出が決意したように口を開いた。

「……僕は、蘭さんを信じるよ」

言いきった新出に、新一はふっと微笑んだ。

「それが、答えですよ」
「え?」
「あなたは蘭を――蘭の幸せを、守ることができる。だから認めたんです。…
…俺には、蘭を幸せにすることはできない」
「工藤君……」

新一は自嘲気味に言った。

「好きでしたよ、蘭のことが。でも俺には蘭の望む平穏な幸せを守ることはお
ろか、脅かすことしかできないって、気づいたんです」
「それは、君が行方不明になっていた一年間と関係があるのかい?」
「ええ……それには新出先生も巻き込んでしまいましたね。FBIの捜査官から
聞いているでしょう? 本当に、申し訳なく思ってます」
「それはいいんだ……今でも、ちょっと信じられないくらいで」

誰かが、自分になり替わっていたなんて。

「俺がいなかった一年間、蘭には寂しい思いをさせてしまいました。そのくら
いの自負はありますよ」

そして、新一は目を伏せて続けた。

「帰ってきた時、蘭は泣いていました。もうどこにも行かないでって。でも俺
は、どこまでも探偵でしかいられないから、そんなささやかな願いすら叶えて
やれない」

そうして辛そうに静かな笑みを湛えた顔は、記憶にある以上に大人びていた。

そして何故かそれは、一人の、やはり大人びた少年を彷彿とさせた。

「ねぇ、工藤君」
「はい」
「君は、コナン君の親戚なんだよね?」
「……ええ」
「彼は……何だか不思議な子だった」

会ったのはほんの数回だが、強烈な印象を残していった子供。

「彼は今、どこに?」
「外国で、親と一緒に暮らしているはずですよ」
「そうか……やっぱり親戚だからかな。何だか、少し君に似ていたような気が
するよ」

新出は懐かしむように目を細めた。

「僕はたぶん、君に会う前、コナン君が羨ましかったんだ」
「コナンが?」
「あんな小さな体で、立派に蘭さんを守っているように見えたんだ。……でき
れば彼にも祝福してもらいたいんだけど……」
「伝えます、必ず。式にはたぶん、出席できないと思いますけど」

新一がそう言ったところで、蘭が化粧室から戻ってきた。

「お待たせ」
「遅かったな」
「悪かったわね。私がいない間に智明さんのこといじめてないでしょうね、舅
みたいに」
「いじめてねぇよ! ってか舅って何だ、せめて小舅にしてくれよ」

それから三人は和気あいあいと、式場やエンゲージリングの話で盛り上がった。

そして食後のコーヒーを飲んでいると、新一の携帯が震えた。

「あっ、俺そろそろ行かねぇと」
「じゃあ僕たちもそろそろ出ようか」
「そうね。……あっ、そうだ。新一、佐藤刑事から預かりものがあるのよ」

蘭が思い出したように言って、ハンドバッグを探った。

「佐藤刑事から?」
「さっき偶然会ったの……これ」

白い封筒を差し出されて、新一はすぐに納得がいったように受け取った。

「この間のお礼って言ってたけど、何なの?」
「ああいや、高木刑事への誕生日プレゼントのことでちょっと相談されて」
「へぇ」


店を出て、新一は二人に向き直った。

「じゃあ、蘭、またな」
「うん」
「新出先生、蘭を、よろしくお願いします」

力強く頷いた新出に新一が満足そうに微笑むと、目の前の道路に一台のバイク
が停まった。

それに気づいて、「ああ、そうだ」と新一が思い出したように言った。

「さっきの話ですけど。勘違いしないでくださいね」

――俺の、蘭への気持ち。

バイクに跨った人物がヘルメットを取る。そこにはどこか新一に似た顔立ちの
青年がいた。

「俺、つき合ってる奴がいるんです。高2の時から」

それじゃあ、と言って、新一はひらりとバイクの後ろに跨り、ヘルメットを受
け取った。
そして二人を乗せたバイクはあっという間に車の波に消えていった。



















<おまけ>



「迎えありがとな、快斗」
「いいえー。それで、やっぱりあの二人……」
「ああ。蘭が卒業したら結婚するってよ」
「そっか! お祝いしなくちゃね! ねねっ、もし良かったら、ウェディング、
俺にも協力させてもらえないかな?」
「気がはえーよ。まあ、聞いてみるけど」
「そっかぁ〜、蘭ちゃんが結婚か〜」
「ああ」
「……幸せになってほしいね」
「そうだな」
「ホント、時が経つのって早いねー」
「へぇ?“快斗”が蘭と知り合ったのってまだ二年くらい前じゃなかったか?」
「もー。いじわるー」
「つーかオメー、蘭に正体バレたら殺されるかもな」
「わー! それやめてっ。まじで怖いから!」
「ははっ」
「新一ぃ」
「あ、そういや佐藤刑事からあれ、もらったぞ」
「えっ、もしかしてあのスイーツ専門店のケーキバイキングの招待券?!」
「ああ。テレビでやった時オメー行きたいって言ってたしな」
「わぁあ! ありがとう新一! 今すっげぇ抱きしめたい!」
「馬鹿言ってんな。運転に集中しろ」
「はい……。……?! し、新一、今、ぎゅって……」
「バーロー、腕にちょっと力入っちまっただけだ」
「(うわあぁぁ……!)」














fin.








お題配布元:ブルーメリー


蘭ちゃんには幸せになってほしいです。新出先生と。

快斗の存在感うs…


初稿 2013/06/08