(8)














ぱたん。
店のドアを閉めると、店内の喧騒が遮断され、一気に静かな空気に包まれた。

店を出て数歩歩いたところで、世良は足を止めた。
背中に、突き刺さるような視線が注がれている。

「僕に何の用だい、黒羽君」

快斗は僅かに眉を寄せた。

「この姿の時に名前を呼ぶな」
「失礼、黒燕クン」

快斗は溜息を一つ吐くと、再び鋭い視線で背を向けたままの世良を睨んだ。

「ここ数日、『レッドブロッサム』のところにいたんだよな」
「そうだよ」
「何故だ」
「何故って……理由が必要かい? 僕は姫たちと一緒に帝丹に通っているん
だし、彼女たちとは友達なんだ。別に問題はないだろう? うちと『レッド
ブロッサム』は同盟を結んでいるしね」

知っているだろう、と世良が小馬鹿にしたように言ったが、快斗は動じなか
った。

「それだけじゃないだろう。姫たちはあいつ―――『黒猫』のことを、何か
知っているんじゃないのか?」

ようやく、世良がゆっくりとこちらを向いた。

「……何故そう思うんだい?」
「………………」
「どうして彼女たちと関係があると思うんだい?『黒猫』は男だろう? 姫
たちが悉く『浪花』以外の男を避けているのは周知の事実だよ。それに、仮
に何か知っていたとして、うちの同盟チームである『レッドブロッサム』が、
そんな重要な情報を隠す理由なんてないじゃないか。少なくとも僕には思い
つかないね」

おおげさなくらい首を振る世良を快斗はただじっと見ている。つき合いはそ
こそこ長いが、この女にはどうしても慣れる気がしない。

答えようとしない快斗に、世良は肩を竦めた。

「用がそれだけなら、僕はもう行くよ」
「あ、待て……」

歩き出そうとした世良を、快斗が呼びとめる。
それまでとは打って変わって力を失ったその声に、世良は驚いて振り返った。

快斗はハットの下で視線を逸らしていた。影で隠せているつもりになってい
たが、その困惑した表情は隠し切れていなかった。何か迷っているような、
躊躇っているような。

情報屋として振る舞っている時にそんな態度を見せることは絶対になかった
快斗だから、世良は驚愕して瞬いた。

「あ、その………工藤新一って、知ってるか」

思わぬ名前に世良は息を呑んだが、幸いにも快斗は気付かなかったようだっ
た。

それにしても、と世良は思う。
黒燕は恐ろしく勘のいい男だが、どうもこの様子からすると、『黒猫』騒動
のこととは別件で工藤新一個人のことが気になるようだ。

これは、予想以上に面白くなるかもしれない、と世良は内心唇の端を吊り上
げた。

「……工藤新一? ああ、この前まで帝丹にいた生徒のことかな。転校して、
今は君の学校に通ってるはずだ。……彼がどうかしたのかい?」
「いや……ただの情報収集だ。そいつについて、他に何か知ってるか?」
「うーん。成績は学年一位で、サッカーが上手いのは有名だから知ってるけ
ど……あとは女の子にすごくモテてたってことくらいかな。クラスも違うし、
特に話したこともないからね……悪いけど、大したことは知らないよ」
「あ……そうか………」

口ごもる快斗を内心面白そうに見ながら、世良はにやけないように気をつけ
て言った。

「それにしても、君が普通の生徒に興味を持つなんて珍しいね……君にもと
うとう春がきたのかな?」
「服部と同じこと言うなよ……キモい」
「あれ、総長も言ったのか。それなら尚更だね」

世良は一人納得したように頷いた。

「それじゃあ僕はそろそろ行くよ。またね、黒燕クン」

例のごとくにっこりと、快斗に言わせれば嘘くさい笑みを残して、世良は今
度こそ去っていった。








勘働きは重要だと、快斗は思っている。

脅威的な族潰しの噂が広まってどこの族も警戒している中、副総長である世
良が自分のチームを放っておいて呑気に友達と茶会に興じていたこと。

まさか服部にも知らせずに独断で『レッドブロッサム』と族潰し対策を相談
していたわけではないだろう。秘密にするメリットがない。本当に純粋に、
遊びに行っていたのだと、快斗は確信している。実際、世良はよくそうして
『レッドブロッサム』との掛け橋を担っている。

世良のことは苦手だが、自分の責任を蔑ろにする人間じゃないことは知って
いた。だからこそ、体術では優る京極真を差し置いて、副総長に据えられて
いるのだ。

そんな世良が、『黒猫』を特に警戒している様子がなかったことは、快斗に
仮説を立てさせた。

世良は、『黒猫』の何かを知っている。

何か知っているのかと、尋ねた時。快斗を論破して、くだらないと言わんば
かりに去ろうとした。その態度が、快斗の疑いを深めたとも知らずに。

一体何を隠しているというのだろう。
快斗も『黒猫』と実際に対面して、噂に聞くほど危険な奴ではないと感じた。

今のところ狙っている族はどこも良い噂を聞かないチンピラのような奴らの
集団だったし、ただの自己満足だと本人は認めていた。

黒燕を一目見て警戒する賢さもあり、話も通じる。
無闇に『浪花』を狙ってくることもないだろう。



考えているうちに、ふと、とある顔が頭に浮かんできた。
快斗は微妙な表情を浮かべる。何故世良に最近つるんでいるクラスメイトの
ことを尋ねようと思ったのか。同じ学校だったから何か知っているんじゃな
いかと、確かな期待があった。
そしてその期待は、『黒猫』のことを聞いた時よりも強かったような気がす
る。

工藤新一は美人だと、快斗の脳内メモに書かれている。
でも中身は見かけほどお綺麗じゃなくて、それが一層、想像の中の彼をキラ
キラと輝かせた。

(……イライラする)

彼の顔を見ると感じていたイラつきが、また湧き上がってくる。

(……あー、もう………)


今は何よりも、自分の感情が一番わからなかった。

















嵐の前の静けさ。



2012/10/26