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工藤新一が江古田高校に編入して一週間。 授業中当てられればすらすらと答え、体育のサッカーでは超高校級のテク を見せて場を沸かせ、クラスの女の子にはモデル顔負けの綺麗な顔で微笑 みかける。 そしてその優れた能力に驕ることのない謙虚な態度に、すでに教師陣から の信頼も得ている。 完璧なプリンスの出来上がりだった。 工藤新一の存在は瞬く間に学校中に知れ渡り、今じゃ廊下を歩くだけで熱 い視線を送られ、連日靴箱にはラブレターが届けられている。 「白馬の王子様ならもう一頭いるんだけどな」 「黒羽君……そういう言い方はよしてくれないか」 生徒会室の窓から、校庭でサッカーをしている2−Bのクラスを眺めなが ら、快斗がぼやいた。 「というか黒羽君、君は今あの中にいるべきなんじゃないのかい」 「そういうオメーだって、会長様が授業サボってていいのかよ」 「僕はサボっているんじゃなくて生徒会の職務を全うしているだけだよ。 役員は授業免除の特権もある。知ってるだろう」 生徒会長――白馬探が溜息を吐いた。 「それで、何故そんなに彼に興味を持っているんだい?」 君にしては珍しいじゃないか、と白馬が尋ねる。 快斗は多くの人間の情報を握ってはいるが、一人ひとりに興味を持つとい うことは今までにないことだった。 「んー。興味っつーか、むしろ」 頬づえをつきながら、首を傾げる。 「あいつの顔見てると、何故かすっげーイラつくんだよな」 仕事にとりかかろうとしていた白馬が思わずといったふうに振り返る。 「ぶっ飛ばしたくなるっつーか」 「それは、彼が完璧な人間に見えるから、嫉妬しているのかい?」 「まさか」 俺がそんなことで嫉妬するかよ、と言った快斗に、白馬も頷く。 「君がそんな小さい男じゃないのは僕も知ってるよ。しかしだとすると、 彼の何が、そんなに君をイラつかせるんだろうね」 白馬の言葉に、快斗は考えるように視線を巡らした。 「…………顔、かな」 「…………黒羽君」 白馬が呆れたように息を吐き、書類に向き直った。 「とりあえず、校内で揉め事は起こさないでくれよ」 「……へいへい」 放課後。 靴箱を開けて、新一はため息を吐こうとしてかろうじて呑みこんだ。 ここ数日、毎日放り込まれる可愛らしい封筒。 委員長から聞いた話では、校内の女の子は黒羽快斗派と生徒会長派に分か れると聞いていたのに、どうやら新しい派閥を作ってしまったようだった。 正直、ものすごくめんどくさい。 だが過ごしやすくするためにせっかく築いた自分のフェミニストなイメー ジを崩さないためにも、無視するというオプションはなかった。 しかたなく、ピンク色の封筒を鞄に滑り込ませ、来たばかりの廊下を逆戻 りしてトイレに入る。鏡の前で封筒を破かないように注意して開けて手紙 を流し読みすると、新一は今度こそ大きな溜息を吐いてから、再び昇降口 へ向かった。 「お決まりの校舎裏か」 昨日も呼び出されて行った校舎裏は、告白の定番スポットらしい。転校一 週間でもう行き慣れてしまうなんて、新一としては嘆かわしいばかりだ。 何と言ってもそこは、はげた芝に使われていない古い焼却炉があるだけの 薄暗い陰気な場所だ。 不良が巣食うこんな学校では、リンチやカツアゲ現場に使われているよう にしか見えない。 新一が誰もいない校舎裏で待っていると、不意に枯れ草を踏む音がして顔 を上げた。 そこには。 「……え?」 「は……」 同じクラスの黒羽快斗がいた。 新一は目を見開いた。快斗も同じような顔で新一を見ている。 新一は一度、ゆっくり瞬きをした。そして次に目を開いた瞬間には、クラ スメイトに向けるべき正しい微笑を貼りつけていた。 「よう。黒羽、だよな。こんなところでどうしたんだ?」 まさか女の子の告白を装って手紙で新一を呼び出したのは黒羽快斗なのか。 いや、今の表情を見る限り、向こうも新一がここにいると知って驚いた顔 をしているからそれはない。 たまたま通りかかっただけか。いやこの先はフェンスがあって行き止まり だ。一体何の用があるというのだろう。 もしかしてこれから誰かを呼び出してここでリンチするつもりか。いや、 黒羽快斗はどこのチームにも属していないと委員長が言っていたから、喧 嘩をしかける理由なんてないはずだ―――。 一度の瞬きの間に、新一はそこまで考えた。 そして新一の顔を一瞬じっと見つめた快斗も、すぐに笑顔を浮かべる。 「いやぁ、驚いたな。こんなところで工藤に出くわすなんて。工藤こそ何 してんだ?」 「あ、俺は―――」 はぐらかされた。そう気づきながらも口を開いた時、バタバタともう一つ の足音が聞こえた。 そして快斗の後ろから、一人の女子生徒が現れる。 「遅くなってごめんなさい!」 女子生徒は新一を見るや否や頭を下げた。 「先生に呼び止められちゃって、その……って、黒羽君?!」 彼女は快斗の存在に気づくと、ずささっと数メートル後ずさった。 「ああ、優子ちゃん。どうしたのそんなに慌てて」 「あっ、いや、私、その………」 優しい顔で問う快斗と、過剰に慌てた様子の女の子。新一は二人を眺めて いて一つの答えを導き出した。 (なるほど、彼女は元黒羽派だったのか) だから他の男に乗り換えようとしている瞬間を目撃されて、挙動不審にな っているのだ。 答えがわかるやいなや、すっきりした新一は状況を変えさせてやろうと口 を開いたが、何も言う前に快斗が踵を返した。 「ごめんね、邪魔しちゃったみたい」 快斗はひらひらと手を振って、来た道を戻っていった。新一の心境として は、「あの野郎、面倒くさいこと俺に放って逃げやがったな」といった具 合だ。 「あの……」 仕方ないので、固まっている女の子に声を掛けてやる。 言いたいことはわかってるが、こういう告白は、決まった手順を踏まない と清算したことにならないのだ。 新一としてはさっさと終わらせて帰りたい。 「あっ、はい、ええと……工藤君、私3年C組の原口優子です。その、一 目見た時から、工藤君のことが好きで……付き合ってください!」 本当はすぐさま「ごめん無理」と言って帰りたいのだが、そんなことフェ ミニストな工藤新一がするはずがない。 代わりに新一は「えーっと……」と少し戸惑うふりをした。 その間に、他のことを考える。 この女子生徒は三年生だったのかとか、黒羽快斗のファンには上級生も多 いのかとか、そういえば快斗は彼女をちゃん付けで呼んでいたなとか、二 人はどういう関係だったんだとか、三年の女をちゃん付けなんて黒羽調子 乗りやがってうぜぇとか、そのあたりのことだ。 表面では、口が勝手に動く。 「ありがとうございます。気持ちはとても嬉しいんですが、俺、先輩のこ とまだよく知りませんし、この学校に来たばかりで恋愛とか、まだわから ないんです」 「そ、そう……あの、彼女はいるの?」 「いえ、彼女も好きな人も、今のところいません」 「それじゃあ……工藤君のこと、これからも好きでいていいかな?」 上目づかいで問われて、新一はにっこりと微笑む。 「もちろん! 好意を持ってもらえて嬉しくないわけないです。それがこ んなに綺麗な人なら尚更ですよ」 そう言うと、女子生徒は一気に赤くなってコクコク頷いた。そして「また ね」と手を振って走り去っていく。 「……はあぁ」 肩を下ろした新一の顔に、さきほどの笑顔の名残は欠片も残っていなかっ た。 鞄を肩に掛け直して、新一も帰ろうと歩き出す。こんなずるずると踵を引 きずるような歩き方なんて、人目のないところでしかできない。 そしてそんなだらしなさ全開の新一が校舎の角を曲がると。 「あ……」 そこには先ほど去っていったばかりのクラスメイト、黒羽快斗と、その向 かいに赤い顔をして立っている女子生徒がいた。 咄嗟に一歩後ろに下がって校舎の陰に隠れる。 そこから2人の様子をこっそり窺っていると、快斗が少し困ったような笑 顔で二言三言言い、そして女の子の頭をぽんぽんと撫でた。 状況からして、さきほど新一と同じことが起こっているのだろう。 それからその女子生徒はすぐに走り去っていってしまったが、顔を合わせ るのも気まずいので快斗も立ち去るまでその場で待っていると。 「おーい。出てこいよ覗き魔」 あたり前のように声を掛けられた。 気づかれていたのが何だか悔しいので、少しだけ壁から頭を覗かせると、 それを見た快斗がぷっと吹き出した。 「何やってんだよ、工藤」 くすくす笑う快斗に何となく絆されて、壁の陰から進み出る。 「悪かったな、邪魔して」 「いや、お互い様でしょ」 ちゃんと話すのは今日が初めてだと言うのに、それが互いの告白現場だっ たのだから何だか微妙だ。 「工藤も結構モテんのな。さすがプリンス」 「プリンス? 何だそれ。つーかお前ほどじゃねぇって。さっきの子一年 生だろ?」 「うん、俺のファンだって」 「そうかよ」 新一が興味なさそうに言ってあくびを洩らすと、快斗は意外そうな顔で新 一を見た。 「工藤って、何かイメージと違うのな」 「イメージ? あー。さっき黒羽が言ってたプリンス的な?」 「的な。さっきも優子ちゃんの告白断る時すごいこと言ってたし」 「聞いてたのかよ。あんなこと素で言うわけねーだろ。鳥肌立つっつの」 「だよな。ちょっと安心した」 素で言ってしまえる知り合いならいるけど、と快斗が内心乾いた笑いを浮 かべていたのを、新一は知らない。 「でも、俺には猫被らなくていいのか?」 快斗に問われて、新一は今気づいたかのようにハッとして指を顎にかける。 「そういえばそうだな……忘れてた」 「忘れてたって、おいおい。そんなんで大丈夫かぁ?」 「何でだろうな。自分でもよくわかんねーけど……何か黒羽の前ではいい やって思った」 「え。それって………」 快斗が驚いたように目を見開く。それから首を傾げて考えている新一を見 つめて、呟いた。 「………キモい」 「うぜぇ!!」 急激に近くなった距離に、自覚のないままわくわくした。 明日から、もしかしたら学校が少し楽しくなるような予感がした。 白馬登場。 今回はちょっと食えない感じの会長さんです。 2012/10/20 |