(30)
それは突然、やってきた。 フードを深く被った新一はいつものように二人掛けの古いソファにだらしなく 沈み込み、読書に勤しんでいた。 黒燕はというと、ちょっと飽きてきてカフェオレを淹れなおしているところだ った。 遠くから聞こえてきた慌ただしい足音に、2人は同時に顔を上げた。 足音はだんだん近づいてくる。この、第二図書室に向かって。 そして一瞬、足音が途絶えると、2人の無言の視線を注がれていたドアが勢い よく開かれた。 あまりの勢いに、ドアが反動で少し閉じかける。それをぐいっと押さえて、す ごい形相で立っていたのは、やはりというか、服部平次だった。 「……おいおい、ドア壊すなよ」 せっかく新品に取り換えたばかりだろうが、と非難としているわりに、黒猫の 声はどうでもよさそうな響きをしていた。 「なっ、なっ、なっ………」 あ、何かデジャヴ、と新一は思った。最初に黒猫が『浪花』のアジトに顔を出 した時の反応そっくりだ。 「――なんでお前がここにおんねん!!」 びしっと黒猫に指を突きつけた服部に、新一は心底不思議そうに服部を見返し た。服部から目は見えていないので、それが伝わったかはわからないが。 「なんでって……ここ俺のにするって言わなかったか?」 至極当然のように言うと、服部は絶句した。 「まあまあ、とりあえずコーヒーでも飲む?」 仲裁しようと声をかけた黒燕に、服部は思い出したようにハッとし、今度は同 じ人差し指をそのまま黒燕に向けた。 「せや! なんでお前もここにおんねん!!」 「えーっと、客だから? つーか服部こそ、どうして俺らがここにいるってわ かったの?」 その様子を見て、どうやら黒燕が情報を流したわけではないと確信する。いや、 それは端から疑っていなかったのだが。 ということは、考えられるのは―― 「白馬に教えてもろたんや……」 「げっ」 黒燕が嫌そうな声を出す傍ら、新一は溜息を吐いていた。最後に白馬に言われ た言葉を反芻する。 「手土産」ってこういうことかよ、と脱力した。 「何で白馬が知ってるわけ?」 「お前が窓際になんか座るからだろ」 不機嫌そうに言った黒燕に呆れたように言うと、黒燕は驚いたように新一を見、 それから自分専用の椅子を置いている窓際を見た。 カーテンは常にしまっているが、真向かいの校舎に生徒会室があることを思い 出したようだ。 「ご、ごめん……」 「今更だ」 しゅんとした様子の黒燕を、服部は信じられないという顔で凝視していた。 「とりあえず服部、中入ってドア閉めろ」 黒猫に言われて、服部はそれまで勢いはどこへやったのか、おずおずと入り、 打って変わって静かに戸を閉めた。 「ツバメ、念のため鍵かけてくれ」 「らじゃ!」 従順に動く黒燕に、服部は何とも言えないような微妙な表情を浮かべる。 「紙コップまだあったか?」 「あるある」 完全に客人扱いなその対応に、服部は戸惑いを隠せないようだったが、ふと2 人の手元を見て固まった。 「お、おそろい、やと……?!」 衝撃にぽかんとしている服部を無視して、新一は「まあ座れよ」と促した。 「えーと、パイプ椅子どこやったかな……」 黒燕がきょろきょろする。自分専用の回転椅子を持ちこんだ時にどこかへ片付 けたのだ。 奥に立てかけたのだったかと、本棚の向こうへ探しに行こうとする黒燕を、新 一は呼び止めた。 「いいから、お前の椅子貸してやれよ」 「えー……」 それはつまり、自分は立てということだろうかと不満そうな黒燕に、新一は自 分の隣をぽんぽんと軽く叩いた。 「お前はこっちくればいいだろ」 「え……」 今度は驚いたように固まる。さすがに服部のようにぽかんと口を開けることは しないが、相当驚いたのだろう、手に持っていたマグカップがぐらりと揺れて、 中身がこぼれそうになった。 新一はあえて見なかったふりをしてやる。 「ほら」 座りなおして一人分のスペースを開けてやると、黒燕はゆっくり近づいてきて、 慎重に腰をかけた。緊張感がこれでもかというほど伝わってきて、思わず笑い 出しそうになるのを耐えた。 黒燕の回転椅子に腰をかけた服部は、居心地悪そうにそんな2人を窺い見てい た。 「お前ら、いつの間にそない仲良うなったんや……」 それに新一は小さく笑うと、しれっとして「別に?」と答えた。 「それより、お前の用件を聞こうか」 用のない客人は受け付けないからな、と言うと、服部が黒燕を見た。物言いた げな視線に黒燕が得意げに答える。 「俺は本読みに?」 「絶対嘘やんけ!」 服部ははぁ、と溜息を一つ吐くと、姿勢を正して新一を見た。 「黒猫がここに潜伏しとるとわかった以上、『浪花』の奴らは黙ってへんで」 「ずいぶん他人事みたいな言い方するんだな、総長さんよ」 「…………」 黙りこんだ服部に、新一はぱたんと本を閉じた。 「はっきり言えよ。ここを襲撃するつもりだってな」 「……学校にチームの問題を持ちこむのは俺の本意やない」 「それならちゃんと鎖で繋いどくんだな、メンバーの暴走も食い止められない、 その責任も取れないようなら頭を張る資格はねぇ」 辛辣な言葉に、服部は反論しようとしてできなかった。図星だったのだ。 黒燕は口を挟むことなくじっと聞いている。 「敵に忠告して責を軽くしようなんざ卑怯な手、使ってんじゃねーよ」 ばつが悪そうに目を逸らした服部に、新一は内心溜息を吐いた。 悪い奴ではないのだ。チームの敵である黒猫にすら冷たくなりきれない、そう いう意味では総長として相応しくないお人好しだ。 しかし、だからと言って譲歩して平和的にここを明渡してやるつもりはない。 「もうチームの奴らには俺がここに潜伏してること伝えたのか?」 「いや、まだやけど……」 「まあ、あれだけ派手に乗りこんでくれば、バレんのも時間の問題だろうけど ねぇ」 「だな。……学校でこれ以上問題を起こしたくねーなら、伝えろ。もっと広い 場所で遊んでやるってな」 不敵に口の端をつり上げた黒猫に、服部は目を丸くした。一方黒燕は呆れたよ うに、けれどどこか愉しそうに黒猫を見ていた。 「よかったの? あんなこと言って挑発なんかしちゃって」 服部が去った後、黒燕が心配の欠片も感じさせない声で言った。 「ここで暴れられるよりいい」 「ここで暴れた人の言うことじゃないでしょ、それ」 黒燕はそう言うが、新一自身、暴れたつもりはない。最低限の埃を立てて速や かに「掃除」したつもりだ。 せっかく居心地のよくなってきたこの部屋を、大人数で乗りこまれて滅茶苦茶 にされたらたまらない。 それにしても。 「甘いな、お前の幼馴染は」 敵を気遣う素振りを見せるなんて。今日の会話をメンバーに知られたら、それ こそ波風が立ちそうだ。 「……幼馴染じゃないけど」 どこか不機嫌そうな声で訂正した黒燕に小さな笑いが漏れる。 すると、ソファの反対の端に寄って縮こまっていた黒燕が、不意に身体を起こ した。 「ねぇ。ここまで許してくれたのって、何で?」 「は? それは服部が座る椅子がなかったから――」 「嘘」 黒燕が身体を寄せてきて、新一は思わず反対に離れようとしたが、如何せん狭 いソファの上だ、大して身動きも取れない。 黒燕が片膝をついて、スプリングがぎしっと軋んだ。 「なん……」 「あんまり無防備だと、勘違いしちゃうよ」 あっと思った時には、覆いかぶさられていた。 突っぱねようとして、いつの間にか手を縫い止められていることに気づく。 「くろっ――」 黒燕が新一の肩口に顔を埋めてきた。 首に熱いものが触れ、ピリッとした痛みが走る。その同じ箇所を今度はぬるり と這う感触がして、新一は身体を震わせた。 緩んでいた拘束から手を引き抜いて、ハットの下から覗く黒燕の髪に差し入れ る。予想以上にふわふわと心地良い髪の毛だ。 無意識に、頭を抱え込むような体勢になっていた。 「んっ、黒、つ……」 もう一度、今度は喉仏のあたりがピリッとして、ようやく黒燕は離れていった。 首のあたりがざわざわする。何をされたかわからないほど無知ではなかった。 「……お前な………」 「ごめん。つい」 身体を起こして、ため息を吐く。 吸いつかれた位置から予想するに、制服では隠れないだろう。このままじゃ素 の姿で見られたら一発で正体バレるな、とどこか呑気に考えた。 これ……見ようによってはただの浮気快斗×浮気新一じゃ………… 2012/12/29 |